手嶋龍一

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ウルトラ・ダラー

著者は語る

文春図書館

9・11テロ当時の連日の中継放送で、NHKワシントン支局長だった手嶋龍一氏の顔を覚えている読者も多いだろう。その手嶋氏がNHKを退職、初めての小説を上梓した。

昭和四十三年。東京・荒川で若い彫刻職人が忽然と消した。二十年ほど経って、アメリカではドル紙幣の原料が盗まれ、スイスの紙幣印刷機メーカーでは、売り渡した印刷機の行方が分からなくなっていた。それからさらに時は流れ、現在。ダブリンで超精巧偽百ドル札、通称ウルトラ・ダラーが現われた―。

「いままでノンフィクションは書いてきまして、幸いにも多くの方に読んでいただけましたが、やはりノンフィクションは読者層が限られる。今回、小説の形を取り、物語性や人物造形の魅力で、読者の幅が広がれば、嬉しいですね」

BBC 東京特派員にして英国秘密諜報部員のスティーブン・ブラッドレーは、ウルトラ・ダラー出現の報を受け、マイケル・コリンズに連絡をとる。マイケルは「贋金ハンター」の異名をとる米国財務省シークレット・サービスの捜査官だ。一方、内閣官房副長官の高遠希恵は、スティーブンに、外務省アジア大洋州局長・瀧澤勲と面会することを勧める。震源は「北」。ここから物語は、日・米・欧州・東アジアを舞台に、拉致、通貨偽造、マネーロンダリング、さらには巡航ミサイルの密輸入など、さまざまな事件を露出させながら進んでいく。

「書き始める前にまず、私が持っている<インテリジェンス>のピースをいろいろ並び替えて、全体の骨格を作っていきました。そしてそれを読み解き、導き出された結論で、この物語はできています」

著者のいうインテリジェンスとは<知性によって彫琢しぬいた情報>であり、<雑多な情報のなかから選り分け>られたそれは、国際政治の舞台で強力な武器となる。

「物語の大筋は、去年の夏の終わりに決めてしまいました。その結果、いま事実が小説を追いかけ、追い越している事態になっている。インテリジェンス・ワールドが事実を予言している、といえるでしょう」

実際にこの数ヶ月、ドル紙幣偽造に北朝鮮が関与しているとして、米朝間で激しい攻防が続いていることは、連日の報道を見ていれば分かるとおり。この作品を読んでいると、報道に触れるたびに既視感を覚え、驚くばかりだ。それだけ著者の持つ情報の確度が高いということだろう。

「ものを書く基本は、自分の知っていることを世に知らしめたい、というところからスタートすると思います。ただ、読者に面白がってもらいたいのは当然ですが、取材源をどこまで隠せるかが、インテリジェンスの世界ではポイント。そういう意味で今回、自分が書くにあたっては、それなりの決断が必要でした」

物語が解き明かす「真相」に驚愕すると同時に、日本という国があまりに安全保障に無防備なことに、背筋が寒くなる。

「報道の世界で国際政治を目の当たりにしてきて、この小さな国が生き抜くには<インテリジェンス>が不可欠と確信しました。その思いが、この小説を書かせたといえます」

舞台となる新橋花柳界の華やかさや、美しく聡明な女性陣、着物や車、食べ物など小道具への細かい目の配り方と、エンターテイメント小説のツボもしっかりと押さえてある。「読者が望むなら」と控えめだが、小説家としての活躍もしばらく続きそうだ。

『週刊文春』2006年3月23日号掲載

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