手嶋龍一

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インテリジェンスの賢者たち

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インテリジェンスの賢者たち

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2010年9月1日、新潮文庫としては4冊目となる『インテリジェンスの賢者たち』が刊行されます。美しき薔薇に謎めいた名札を添える英国の年老いたレディ。鋭い警句を発する黒衣の国際政治学者。スペイン国王の信認あつきドン・キホーテ。この広い世界には、情報の奔流から近未来の出来事を掴み取る目利きたちがいます。ケンブリッジ、マドリッド、ブタペスト、ワシントンD.C.など世界の29都市を、時に取材者として、時にひとりの旅人として経巡り、情報のエキスパートたちと交友を続けた、そのルポルタージュが本書に収められています。旧作『ライオンと蜘蛛の巣』の稿を改め、タイトルも『インテリジェンスの賢者たち』として、新潮文庫として上梓しました。表紙のコピーは担当編集者の青木さんが筆を執ってくれました。

文庫版に書き下ろした「あとがきに代えて」を掲載いたしますので、ご一読ください。

こちらからも購入できます。
新潮社»

「あとがきに代えて」(『インテリジェンスの賢者たち』より)

国際政治の研究者とは、熾烈な競争を生き抜かなければならない銀幕のスターのようなものだ―。こんな洒落た警句を講壇から吐く黒衣の国際政治学者がこの本に登場する。カトリック神父でもある、わが恩師、ブライアン・ヘア教授は、「ハーバード白熱講義」のテレビ番組で日本でも知られる政治哲学のマイケル・サンデル教授と並ぶ人気者だった。

ボストン郊外の大学町ケンブリッジのクィンシー通りに立つカトリック教会の司祭もつとめるヘア教授はいう。

サイレントの時代は去り、トーキーの時代が幕を開けてみると、一世を風靡したスターたちはあらかた姿を消していた。生き残っていたのはほんのひと握りだった―。

次のひとことをじっと待ちうける、ひとりひとりに視線を配りながら、教授はおもむろにこう述べた。

冷たい戦争からポスト冷戦へ。学者がふたつの時代を生きのびるには、チャップリンほどの天分が要る―。

「一世にして二生を生きる」とは、明治維新を境にふたつの人生を生き抜いた福沢諭吉の述懐だった。この希代の学者にしてジャーナリストは、二生を生き延びた自信を持っていたのだろう。ジャーナリストとて冷戦期からポスト冷戦期を生き抜いて者は驚くほど少なかった。大半は絶滅種となって姿を消していった。昨日のイデオロギーというレンズを通して、様変わりしてしまった事象をみても焦点は結ばない。

加えて、眼前の出来事を記録した言葉はあっという間に腐食してしまう。それは獰猛な毒でたんぱく質を解体してしまうハブが持つ毒に似ている。遥か彼方に雪解けの音は響いていたが、眼前の大地は凍てついたままだった。僕はあの冷たい戦争の現実を生きていたハンガリーの、チェコスロバキアの人々の眼差しをいまもくっきりと思い浮かべることができる。この本にはその時の情景を記録したルポルタージュが収録されている。

新たに本書を編むにあたって、これらの文章が猛毒ですっかり腐食してはいないだろうかと不安でならなかった。

断るまでもないが、僕が豊かな天分に恵まれた銀幕のスターではない。にもかかわらず、若い方々を中心にこれらの文章を読んでいただく幸せをかみしめている。読者のここにスケッチした「インテリジェンスの賢者たち」の言葉が、獰猛な毒に抗って腐食を免れた叡知を持っていたからだろう。

インテリジェンスとは、単なる諜報でもなく、極秘の情報でもない。

そこに近未来を見通すような力が秘められていなければ、雑多なインフォーメーションと少しも変わらない。インテリジェンスは、国家や巨大組織の命運を委ねられた者が、近未来という名の海域に船を導いていく指針となるものでなければならないからだ。ちょうど深い霧のなかを進むタンカーの前途を指し示すレーダーのように―。

この本でスケッチされた賢者たちは皆そんな知恵を秘めている。それゆえ、冷たい戦争の彼方に訪れようとしていた世界を見通すことができたのだろう。いや、彼らは新しい世界を構想する知恵を備えていた。ヘルムート・コールという指導者を評価しているドイツの知識人に出遭ったことはほとんどない。彼が差して知的なリーダーではないからだろう。映画俳優あがりと東部エスタブリッシュメントのメディアから終始低い評価しか得られなかったように。

だが歴史の地平を切り拓くのは、凡百の知識などではない。

文字通りインテリジェンスの力なのである。

核軍縮の実現に取り組んでそれを成し遂げ、冷戦を終わらせたドナルド・レーガンこそ「インテリジェンスの賢者」の名に値するだろう。その意味でロナルド・レーガンこそ銀幕のスターにして二生を生き抜いた人物だった

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