手嶋龍一

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ノンフィクション作品

「ディプロマシーの崖っぷち」

阿部 重夫 FACTA編集長

ある晩、源氏物語の雨夜の品定めのように、手嶋式美文がひとしきり話題になったことがある。「ちょっとキザ」「あれはサービス」「凝りすぎじゃないか」…

中で一つ、至言と思える評があった。

「そんな一筋縄でいかないよ。毒杯のなかに蜜、ドルチェの下に短剣が忍ばせてある。まさに手練手管、文章そのものがディプロマシー(外交術)なのさ」

本書のタイトルがそうだ。人事を尽くした駆け引きの果てに、事が成就すれば乾杯の美酒、さもなくば暗殺の銃弾に倒れて、遺影に微笑を残す。そんなディプロマシーの崖っぷちを、二十九人の人物スケッチで語ろうという企み。真のインテリジェンスとは、そういう危地を生き延びる知恵のことだろう。

文章のディプロマット。手嶋氏はどこでそれを体得したのか。恐らくジャーナリズムの悪徳――常套句からである。「新聞雑誌のどんなに深い澱のなかに埋もれていても、常套句をその夜の闇から救いだそうと、言葉の翼に乗って舞い降りてくる声の襲撃」(ヴァルター・ベンヤミン)から、手嶋氏が織りなす美文もまた無事ではない。その裂け目に一瞬あらわれる毒と蜜こそ、巧言と奸略のディプロマットらしい自画像かもしれない。

手嶋氏は先読みの人だ。巻頭の一編にバラク・オバマを掲げたのは、ヒラリー・クリントンの大統領選撤退近しを待ち伏せてのことに違いない。もしかしたら、未来のオバマ暗殺まで予見しているのかもしれない。沖縄返還交渉の密使、若泉敬のエピローグまで、一見アトランダムに並べたようでいて、この二十九編の群像劇には周到な企みが隠されている。

若泉の掉尾ではっとした。福井に隠棲したこの憂国の士が見せた最晩年の悲憤を、私も知っている。没後訪れた鯖江の遺宅は無人だった。軒上に沖縄の獅子像の瓦。ああ、刹那の光芒。この本の群像は、慷慨のエピファニー(顕現)集ではないか。

2008年5月
新潟日報、福井新聞・山陰中央新報、東奥日報、神戸新聞、北日本新聞等
のシンジケート各紙に掲載

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