十一年目の著者ノート 手嶋龍一
クラコフの秋は、駿馬のように駆け抜けていく。
この作品の筆を執るにあたって、王都の風格を湛える晩秋のクラコフをあらためて歩いてみた。凍てつく寒気にトレンチコートの襟を立て、ユダヤ人が行きかうノヴィー広場の露店をめぐり、古書店に立ち寄って年老いた店主と雑談を交わした。そうしているうちに、開戦前夜の光景が匂い立つように蘇ってきた。
古都クラコフにはヒトラーの機甲師団が襲いかかり、スターリンの狙撃師団は北部国境で牙を剥きつつあった。欧州最大といわれたユダヤ人街に暮らす流浪の民は、孤絶したまま激流に呑み込まれようとしていた。
ユダヤの民が生きのびる可能性は万に一つ。ナチス・ドイツ軍とソ連・赤軍がポーランドに雪崩込むなか、隣国リトアニアに逃れる人々がいた。彼らは、リトアニアの首都カウナスに赴任してきたばかりの日本の外交官の存在を知り、そのひとに縋るほか途はないと考えた。ユダヤ難民の救世主こそ杉原千畝だった。二十世紀ユダヤ人の「出ポーランド記」──それはチウネ・スギハラなくして成り立たなかった。
ポーランドに住むユダヤ人の多くは、ハンガリーやオーストリアに逃れようとした。だが少数の一群だけが大胆にも北を目指し、国境の街ヴィリュニスに身を寄せた。ソ連を率いる独裁者スターリンは、この国境一帯を気前よく隣国リトアニアに投げ与えた。それゆえ、一夜明けてみると、ユダヤ難民はなんとリトアニアに身を置いていた。
ヒトラーとスターリンが交わした「悪魔の密約」によって、やがてバルト三国はソ連に併合される運命にあった。かつてポーランドがリトアニアから奪ったヴィリュニス。スターリンは、この国境の街を投げ与えることで、小国リトアニアの歓心をいっときだけ買おうとしたのだった。
この物語の主人公フリスク一家も北を目指す難民の一群に身を投じていた。杉原千畝が本省の訓令に抗って発行した「命のビザ」を手にした一家は、シベリア鉄道を経て日本海を渡り、神戸に身を寄せ、約束の地アメリカを目指した。後に「スギハラ・サバイバー」と呼ばれるユダヤ難民は少なくとも六千人。彼らを救った日本の外交官スギハラは、類稀なヒューマニストだった。
だが杉原千畝はもう一つの貌を持っていた。日本に突然変異種のように現れたインテリジェンス・オフィサー、それがチウネ・スギハラだった。ナチス・ドイツとソ連の動きを掴もうと、リトアニアを拠点に欧州全域に諜報網を張り巡らし、錯綜する欧州政局を精緻に読み抜いて誤らなかった。こうしたスギハラ諜報網を陰で支えたのは、ポーランド軍のユダヤ系情報将校たちだった。「命のビザ」は彼らが提供してくれる貴重な情報の代償でもあった。
ナチス・ドイツと軍事同盟を結ぼうとしている日本が、リトアニアの首都カウナスに情報拠点を設けた──。亡命ポーランド政府の情報部は、このスギハラ諜報網にいち早く目をつけ、スギハラの助手として最精鋭の諜報要員を送り込んだ。そして「命のビザ」と引き換えに、独ソ双方の動向を密かに流していたのである。杉原千畝がカウナスを去った後も、スギハラ情報網は中立国スウェーデンの首都ストックホルムに駐在する小野寺信少将に引き継がれた。
イギリス秘密情報部は、杉原千畝や小野寺信が東京に打電した極秘電を密かに傍受していた。本文末に挙げた重要資料の一覧はそれを裏付けている。彼らは、早くからチウネ・スギハラの存在に注目していた。東京の統帥部がスギハラ・オノデラ情報をどう扱い、いかなる反応を見せるか、息を潜めるように見守っていたのである。だが、国際政局の核心を見事に掴んだ一連のインテリジェンスは、ニッポンに在っては弊履のように捨てて顧みられなかった。
本書は情報源を堅く秘匿するためにも物語の形をとったが、第一級の機密史料の指定も次々に解かれつつあり、これらの史料に依拠して新たな杉原千畝像が綴られるべきだと考えた。ここに描かれた杉原千畝は、物語の上のフィクションと受けとられる懸念があったからだ。外交史料館の現代史家、白石仁章氏に執筆を強く勧めて出版社を紹介した。インテリジェンス・オフィサーとしてのスギハラ像を史実に確定することでその人物像がより明確なものとなると考えたからだ。こうして『諜報の天才 杉原千畝』(新潮選書)が生まれた。白石氏自らが前書きと後書きにその経緯を詳しく述べている。
スギハラ情報、それを受け継いだオノデラ情報は、紛れもなく超一級のインテリジェンスだった。だが、日本の統帥部は一連の情報をことさら無視し続けた。銀が泣いている──将棋の坂田三吉は自らの失策で盤上に置いてしまった駒を睨んでこう呻いたという。それになぞらえて言えば、スギハラ・オノデラ情報は、いぶし銀のような光を放ちながら、国家の舵取りを委ねられし者たちから顧みられなかった。敗色が濃くなっていくなか、日本の軍部は仇敵ソ連を仲介役に頼んで終戦工作を進めつつあった。それゆえ、「ドイツが降伏した後、三ヵ月を経て、ソ連は日本に参戦する」というヤルタ密約などあってはならないと考えたのだろう。優れた情報が辿る哀しい宿命なのである。
だが、杉原千畝が大地に蒔いた種は、戦後世界の創成に見過せない役割を果たし、大輪の花を見事に咲かせたのだった。官僚機構の最末端に身を置いていた領事代理が救った六千人のスギハラ・サバイバー。そのひとりは、やがてアメリカの大都市シカゴの金融市場で、資本主義に新たな一面を切り拓いた。そして革命的な金融先物商品を誕生させた。「金融先物取引の父」と謳われたマーカンタイル取引所のレオ・メラメドは、この物語に多くの啓示を与えてくれた実在の人物である。国境を越えて自由の国に渡った彼の人生行路と重ね合わせ、主権国家の国境という軛を軽々と乗り越える「マネーの物語」を紡ぎ出してみた。これほど数奇な運命を歩んだ者でなければ、奇想天を衝くような金融先物商品など生み出せなかったろう。
この物語の主人公、アンドレイ・フリスクは、ヒトラーのドイツとスターリンのソ連という二つの全体主義国家の圧政を逃れて、果てしなき越境の旅を続ける。国家をもたなかった流浪の民の末裔が、ポーランドのユダヤ人街に生まれ、やがて戦火をかい潜りながら、隣国リトアニアを出発し、シベリアの荒野を抜けて不思議の国ニッポンに身を寄せた。そして太平洋戦争の勃発直前にアメリカ合衆国に向けて旅立っていった。
東西冷戦下にあっては、世界の基軸通貨ドルとはいえ、固定相場制という名の軛に縛られていた。だが、運命の年となった一九七一年、当時のニクソン米大統領はドルの変動相場制移行を宣言する。ベトナム戦争に費やす膨大な戦費がドルの価値を揺るがし、もはや固定相場を維持していくことがかなわなくなったためだ。この時、国境なき流浪の民の血を引くアンドレイは、「国家を超越するマネー」を創り出すチャンスを手にしたのだった。
必要は発明の母という。ドルが変動相場制に移行する前から、ロンドンには「ユーロダラー」市場が密やかに簇生していた。冷戦下のソ連も、情報活動を行い、戦略物資を調達するため、何としてもドルが必要だった。それゆえロンドンの金融市場で密かにドル資金を運用しており、その管理を委ねられていたのはユダヤ系財閥の一族だった。基軸通貨ドルを握っていたのはアメリカの金融当局だったが、ロンドンの金融街シティーは、「デリバティブ」と呼ばれる金融派生商品を各国に先駆けて育むことでワシントンに逆らった。
冷たい戦争のさなか、双方に囚われていたスパイを買い戻すドル資金は、このユーロダラー市場から調達された。だが、冷戦が終わると国際テロ組織は闇の資金を運用する「ドルの秘苑」としてこの市場を利用した。九・一一同時多発テロ事件を巡っては、アルカイダがテロ資金をどこから、いかに調達したのかが、いまだに最大の謎とされている。本書はその漆黒の闇に一条の光をあてた。国境を越えてアミーバのように拡がった通貨の魔性の全貌が白日のもとに晒される日はいつか必ず来ると信じている。
杉原千畝が「命のビザ」で救った六千人の「スギハラ・サバイバー」。彼らは亡命先の国々でそれぞれの人生を歩んだのだが、それは個々の生き様に留まらず、戦後世界を衝き動かす壮大な物語を紡ぐことになった。それゆえ、本書のタイトルを生き残りし者を指す「スギハラ・サバイバー」とせず、生き残りし人々が切り拓いた世界を表す「スギハラ・サバイバル」とした。