手嶋龍一

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スギハラ・ダラー

「イスラエル並びにユダヤ人に関するノート(連載第16回):
手嶋龍一『スギハラ・ダラー』をどう読むか 上」

『みるとす』2010年3-4月号

2月に筆者が尊敬する外交ジャーナリストの手嶋龍一氏(元NHKワシントン支局長)が『スギハラ・ダラー』(新潮社)を上梓した。1940年夏にリトアニア共和国の首都カウナスの日本領事館で領事代理をつとめていた杉原千畝が発行した「命のビザ」で、日本を経由し、米国に渡ったアンドレイが、先物市場の大立者になるという話を軸に物語が展開される。その中で9.11事件を背後で操る勢力や、2008年のリーマン・ショックの「謎解き」などがでてくる興味深いインテリジェンス小説だ。

インテリジェンス小説とは、事実をそのまま描いたドキュメンタリー・ノンフィクションではない。また、実際の話に架空の人物を押し込んで、そこに「ふくらし粉」を入れて創作したノンフィクション・ノベルでもない。あえてインテリジェンス小説の定義をすると「公開情報や秘密情報を精査、分析して、近未来に起こるであろう出来事を描く小説」である。

この小説では、一般の報道ではなかなか知ることができないインテリジェンス情報が盛り込まれている。そこでイスラエルが重要な役割を果たしている。例えば、北朝鮮とシリアに関する部分だ。

<シリアから北朝鮮に供与された小麦の時価総額は、新たに原子炉を完成する費用とほぼ同額だった。イスラエルの情報当局は、シリア・北朝鮮の秘密議定書を密かに入手した。そしてこの小麦の取引きが原子炉の建設計画と裏表の関係にあることを関係者の証言で裏付けたのであった。

シリアが核開発を急ピッチで進めているという情報をめぐって、ブッシュ政権の内部で深刻な対立が持ちあがっていた。強硬派のネオコン一派は、シリアの核の背後に北朝鮮の影を見咎めて、国務省が進めている宥和的な対北朝鮮政策に異を唱えたのだった。国務省の東アジア・チームが、金正日政権を甘やかした結果、ピョンヤンからダマスカスに核兵器を拡散させることになったと批判し攻勢を強めていたのだ。

これに対してコンドリーサ・ライス国務長官率いる国務省一派は、北朝鮮がシリアへ様々な支援を行っていたのは過去の出来事だと一蹴した。そしてイスラエルがシリアを攻撃するのは時期尚早だと強い難色を示したのだった。

こうした米政権内部の論争に止めを刺すべく、イスラエル参謀本部に直属する特殊部隊「セイェレット・マトカル」がシリア国内に潜入していった。シリア軍の軍服をまとってシリア兵士になりすました特殊部隊は、この施設に侵入して核物質を持ち帰っている。それはシリアがこの施設で長崎型のプルトニウム爆弾の製造に手を染めている動かぬ証拠だった。

イスラエルの国防相エフード・バラックは、ブッシュ政権にシリアの核施設を攻撃することを内報したうえで、全軍に戦闘態勢を命じた。二〇〇七年九月六日を期して空爆が敢行された。イスラエル空軍のF15戦闘機の編隊がシリア上空に姿を見せ、アル・キバルに建設中だった核関連施設を標的に爆撃が行われた。この攻撃によって現場にいた北朝鮮の外交官と技術者が死亡した。

シリアのアサド大統領は「爆撃された標的は、現在は使われていない軍事施設であり、空爆はなんらの結果ももたらさない」と述べた。「セメント工場」は「軍事施設」に巧みに言い換えられている。それでも、シリアの核施設の開発に北朝鮮が協力している事実はないと強弁した。

これに対して、アメリカ政府は核施設の爆破前の写真を主要メディアに公開した。それは、北朝鮮が寧辺に完成させた、プルトニウム爆弾の原料を抽出するための黒鉛減速ガス冷却炉と酷似していた。>(手嶋龍一『スギハラ・ダラー』新潮社、2010年、203~204頁)

インテリジェンス工作は、「裏の世界」で展開される。もちろんイスラエルは、2007年9月6日のシリア空爆を認めていない。米国も公式には何も認めていない。しかし、ここに北朝鮮の協力で建てられた核施設があり、それをイスラエルが破壊したことは、インテリジェンス業界の常識である。さらに、イスラエルの空爆に対してシリア空軍は一切迎撃を行わなかった。シリアの防空能力は、決して低くない。核施設ならば、全力をあげて防衛するはずだ。この関連で、筆者のところに西側軍事筋からこんな情報が入ってきた。
「実は、シリア軍は、ユーフラテス川添いのアル・キバルで核開発が行われていることをまったく知らなかった。それだから、シリアは迎撃機を飛ばすことも、地対空ミサイルを撃つこともできなかった。北朝鮮の協力を得た核開発は、バッシャール・アサド大統領に直属する秘密委員会が行っていた。バッシャールは、核開発を進めている事実を軍に伝えなかったのである」

この情報の信憑性は高いと筆者は考えている。そうなるとここで疑問がでてくる。いったいイスラエルはどこからシリアが北朝鮮と協力して核開発を進めている情報をとったのだろうか? 北朝鮮から情報が漏れることはまず考えられない。そうなるとシリアだ。シリア軍幹部も知らない情報が、イスラエルに漏れているということは、バッシャ ール・アサド大統領の側近で、イスラエルに国家最高機密を漏洩している者がいるということだ。シリア空爆の効果は、核施設を破壊しただけでなく、シリア指導部に疑心暗鬼をもたらした。まさに芸術的なインテリジェンス工作と言えよう。

新館小説のネタバレをするような記述は、業界の掟破りになるので、『スギハラ・ダラー』の筋については、これ以上、説明しない。この小説は、前に述べたように杉原千畝が「命のビザ」を軸に進められている。その中で、杉原千畝が人道精神に基づいてユダヤ人に対してビザを出したという「美談」ではなく、傑出したインテリジェンス・オフィサーであった杉原千畝が、対ソ情報工作の観点から、本省の訓令に違反する体裁をとって、「命のビザ」を発給したという見方を手嶋氏は示している。

この物語が成立するためには、杉原千畝が外務省のインテリジェンス・オフィサーであったということが、挙証されなくてはならない。そうでないと、ノンフィクション・ノベルにはなっても、インテリジェンス小説にはならない。手嶋氏は、外務省総務課外交史料館に勤務する外交史の専門家として外務省においてもアカデミズムにおいても、その精緻な実証研究が高く評価されている白石仁章氏の研究を踏まえた上で、この作品を仕上げた。

白石氏は、査証関係の外務省公電(公務で用いる電報)の中から、杉原千畝がインテリジェンス活動に従事している物証を見つけ出した。
<一九三六年末、外務省は、杉原がロシア語能力を活かし、さらに活躍することを期待して、在ソ連大使館に二等通訳官として赴任することを命じた。ところが、ソ連側は杉原に入国許可を出さず、日本側を「国際慣例上先例がない」と激昂させ、この後三カ月近くも厳しい交渉が続いたのだった。この問題については、杉原の夫人幸子氏の著作『【新版】六千人の命のビザ』でも言及されているが、幸子夫人も「杉原はロシア通だからと、ソ連の方でも神経をとがらせていたのでしょう」と記すのみであり、詳しい事情はご存じなかったようである。

関連史料が史料館のどこかに眠っているのではと考え、色々と推測してみた。入国許可が出なかったということは、入国ヴィザの発給を拒否されていたということになるので、それではヴィザ関係のファイルにあるのではと、まず当たりをつけてみた。外交史料館の分類では、昭和戦前期の「移民、旅券」などの史料はJ門に分類される。J門の目録を夢中で見ていくと何冊か期待させるタイトルがあり、その都度書庫に駆け込み確認したが空振りが続いた。三振を連発し、諦めかけたとき、ついに求めていた記録が綴られた「外国ニ於ケル旅券及査証法規並同取扱事件雑件 蘇連邦ノ部 本省員関係」というファイルに出会った。

ツーストライク、ノーボールに追いつめられながら、そこからホームランでも打ったような気持ちになり、早速読み始めたが、予想以上の内容に驚いた。当時の日ソ間におけるインテリジェンスをめぐる苛烈な駆け引きの記録であったのだ。

当初ソ連側は、杉原には好ましからざる理由が二,三あるので、ヴィザ発給は認められないと繰り返したが、具体的理由を説明しようとしない態度は不可解そのものだった。

二ヵ月が過ぎ、その間在ソ連日本大使館では度々当局に善処を要求し、また好ましからざるとする理由を提示するよう粘ったが、ソ連側の対応は変わらなかった。業を煮やした堀内謙介外務次官が、一九三七年二月二十三日にライヴィット駐日ソ連臨時代理大使を呼び出して、この件について問い質した。ようやく、ライヴィットが明らかにした理由とは、杉原がソ連に敵意を懐く白系露人と親しく接触していたというものであった。

杉原がロシア語を学んだハルビンは、ロシア人が開いた街であり、ロシア革命後には、新政権に反対なロシア人、いわゆる白系露人が多数住んでいた。>(白石仁章「一級史料から読み解く『杉原千畝』の情報戦 インテリジェンス・オフィサーの無念」『小説新潮』2010年3月号)

この論文は、小説誌よりも総合誌に掲載した方がよい内容のノンフィクションだ。外交的な照会に対して、ソ連政府を代表する臨時代理大使が、<ソ連に敵意を懐く白系露人と親しく接触していた>と答えたことは、そうとうの重みをもつ。ソ連として、杉原千畝は「好ましくない人物(ペルソナ・ノン・グラータ)」だったということである。

もっとも、外交史料館から、杉原千畝が具体的にどのようなインテリジェンス活動に従事していたかをうかがわせる具体的な史料は、現時点までのところ見つかっていない。白石氏は、<これは、筆者の見解だが、ソ連側は杉原が白系露人の諜報網を駆使していたことまでは把握していていたが、具体的な活動については全くつかむことができなかったのだろう。それだけに、杉原というインテリジェンス・オフィサーの存在を恐れ、何とかモスクワへの赴任だけは防ごうとして、非常識なまでの入国拒絶に訴えたのではないか。>(前掲論文)と推定する。

太平洋戦争中、空襲によって外交文書がかなり多く失われている。杉原千畝が外務本省に報告した機微に触れる情報は、そのため失われてしまったのかもしれない。あるいは、杉原千畝が傑出したインテリジェンス・オフィサーであるならば、情報源が特定されるような形で機密情報を外務本省に報告することはない。当時の公電は、一般の商用 回線を通じて外務本省に送られた。満州、リトアニア、フィンランドなど杉原千畝が勤務した場所にソ連はスパイ網を張り巡らしていた。公電を盗み出すことは十分可能だ。もちろん公電には暗号がかけられている。しかし、絶対に破ることができない暗号は存在しない。従って、重要な情報は、公電にならない別の方法、つまり信頼できる「連絡 員」を通じて、口頭で伝えていたのかもしれない。あるいは、外交伝書使(クーリエ)が運ぶ外交行嚢(パウチ)に痕跡が残らないように周到に配慮した文書で連絡をとっていたのかもしれない。

いずれにせよ、白石氏の実証研究を用いて、手嶋氏は新たな杉原千畝像を構築する。さわりの部分を紹介する。
<スターリンに率いられたソ連は、ほどなくリトアニアを併合してしまった。一九四〇年七月十五日のことだった。
「首都カウナスに在る各国の在外公館は、八月末を以って閉鎖し、すみやかに退去すべし」

ソ連当局はこう通告した。

ナチス・ドイツの弾圧を逃れて独立国リトアニアに逃げ込んだはずのリフカとアンドレイ。彼らにとってこの地も安寧を得られる場所ではなくなった。スターリンが微かに顎を動かしただけで、瞬時に焼かれてしまう籠のなかの小鳥-それがリトアニアのユダヤ難民だった。独ソ両国が、不可侵条約を破棄して戦端を開けば、リトアニアはたちまち戦場となり、籠の鳥は覇者の手に渡ってしまう。

ユダヤ難民に残されている道はたった一つ。すみやかにリトアニアを去って、シベリアの地を横断し、日本海沿岸のウラジオストック港に逃れる-。ソ連に対して中立を装っている日本へ辿り着けば、万にひとつ生きのびられるかもしれない。

そのためには、日本に入国できる通過査証がなんとしても必要だった。シベリア鉄道を辿って日本に上陸できれば、上海のユダヤ人居留区やアメリカに渡る希望もかなえられるかもしれない。だがそれには、夜空に手を伸ばして流星を掴むほどの幸運が必要だった。>(手嶋龍一『スギハラ・ダラー』38頁)

ここで手嶋氏は、ロンドンのポーランド亡命政府とユダヤ人ネットワークを重ね合わせ、物語を展開する。(この項続く、2010年3月18日記)

作家・起訴休職外務事務官 佐藤優

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