「半導体の三国志」を読み解く
“半導体”という名の妖怪がいま世界を徘徊している――マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」に倣えばそう言えるだろう。この特異な物体には 極限まで純度を高めたシリコン・ウェハーに電流を制御するトランジスタ素子が集積され、超微細な電子回路がびっしりと刻まれている。10億分の1メートルという「ナノ」単位にまで極小化された半導体は、高度な演算をこなし、膨大なデータ群を記憶する。この戦略物資なくして、誘導ミサイルをぴたりと標的に命中させ、AIによる自動運転もかなわない。
それゆえ、各国の半導体企業は、激烈な開発・製造競争を日夜繰り広げている。著者はこの不思議な製品に惹かれて現場を丹念に歩いてきたのだが、やがて経済記者の守備範囲を跳び越え、半導体に映し出される日、欧米、中が演じる国際政局に分け入っていくようになった。
21世紀の半導体ワールドは、われわれの常識を根底から覆す不思議の国だ――この著書はそう語りかけている。ように思う。いまや欧米の半導体企業の多くは、実際に製品を造っていない。半導体の設計・開発の分野に特化し、超微細な半導体の製造は、台湾のTSMC(台湾積体電路製造)に多くを委ねている。“台湾のダイヤモンド“に譬えられるこの企業がなければ、ハイテク製品の製造業は存立しえない。だが、かつては欧米の一流企業から「下請け」と見下されていた。そんなTSMCがいまや「ナノ」級の超微細な半導体を造りだす先端技術を独占し、市場に君臨している。設計・開発と製造を大胆に切り離し、一社が背負うリスクを減らすビジネス・モデルを創り出したからだ。戦乱の大陸を逃れて台湾に移り住んだモリス・チャンこそが伝説の創業者だ。
「稼いでは投資し、投資しては稼ぐ。時には借りて投資する。そして、もっと稼いでもっと投資する――」
2020年の売上高は5兆円を超え、以後3年間の投資額は11兆円に及ぶ「化け物」だと著者はいう。そのTSMCがなぜ熊本の地にやって来たのか。台湾海峡に臨んで台湾島の北端にTSMCの主力工場はある。それゆえ台湾海峡で米中が干戈を交えれば、対岸の水門空軍基地から中国軍機が5分余りで飛来してしまう。米中対立を背景とした台湾危機の深まりを受け、米政府はアリゾナ州にTSMCの工場を誘致した。そして先端半導体の対中輸出を停止し、中国包囲網を敷きつつある。さらにチップス法を成立させ半導体企業に巨額の財政資金を投じ、先端半導体の製造工場を米国内に抱え込む戦略に転じた。これに遅れまいと日本政府も、日本の有力企業8社の連合体「ラピダス」の北海道進出を支援するため補助金を出すと発表した。先端半導体を制した者が主導権を握る時代が幕を開けたのである。
台湾有事に際してTSMCの台湾の工場が陥落すれば、世界のサプライチェーンは崩壊してしまうと著者は指摘する。
「米国が台湾への関与を強めたのは、民主主義の陣営を守るためだけではない。半導体を守りたいのだ」
TSMCは、台湾北端の新竹市、アリゾナ州のフェニックス、そして熊本に新鋭工場を構え、日、欧米、中の各国が繰り広げる国際政局の狭間にあってキー・プレーヤーを演じている。本書は「半導体の三国志」を色鮮やかに描き出して鮮烈だ。