手嶋龍一

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手嶋流「書物のススメ」

トランプ治世への警告

 本稿が刷りあがる頃には、米大統領選挙の結果が判明しているはずだ。だが開票を巡って訴訟合戦となり混乱に陥っているかも知れない。たとえどんな結果になろうと、トランプが米国の民主制に負わせた傷は深く、容易には癒えないだろう。異形の大統領は、「ジャスティス」の旗を掲げて建国されたこの国の威信を粉々に打ち砕いてしまったのである。

 トランプは法の網を巧みに潜り抜けて企業王国を築き、その果てにホワイトハウスの主に収まった。『世界で最も危険な男』は、トランプが辿った人生の軌跡を一族の視点から描き出している。若き日のトランプは、フォーダム大学から名門ペンシルバニア大学ウォートン校への転入を試みる。知人に謝礼を弾んで替え玉受験を頼み、大学当局にもコネをつけ、まんまと合格した、と姪の著者メアリー・トランプは暴いている。

 やがて父親の会社に入ったトランプは、アトランティック・シティでカジノ・ビジネスに手を染めて成功する。だが、杜撰な経営で借金が膨らみ、ついには倒産してしまう。その後の税金逃れのカラクリはここに隠されている。アメリカでは、損失を出した後にあげた利益は借金から控除され、納税を免れることができる。税専門の弁護士たちに守られ、ほとんど納税せずに済ませてきた。歴代の大統領が例外なく納税履歴を公表してきたなかで、トランプひとりが納税履歴を明らかにできないゆえんだ。その振る舞いは、違法とは言えなくても、「ジャスティス」からは程遠い。

 建国当時の合衆国は、白人の移民と黒人の奴隷から成る国だった。分かれたる家は立つこと能わず――リンカーン大統領が率いた米国は、奴隷制のゆえに南北に引き裂かれ、二つの人種に分断されていた。そんな米国が統合に向かうには、身を切り裂くような痛みを伴った。その果てに今世紀になって、ようやくアフリカ系のオバマ大統領が誕生する。だが、トランプ政権が出現すると、人種間の対立は激しくなり、この国の亀裂は逆に拡がっていった。

 『黄禍論 百年の系譜』は、超大国にとり憑いた「人種主義的思考」の軌跡を俯瞰した好著だ。白人層は、黒人の叛乱だけでなく、アジアから押し寄せる移民にも恐れ慄き、黄禍論に傾いていった。日本からの労働者に向けられた険しい眼差しは、やがて排日移民法となり、太平洋戦争への序曲を奏でたのである。

 ハーバード大学で学んだ若き日の著者は、名著『歴史の教訓』のアーネスト・メイ教授の指導を受けつつ、燕京(イェンチン)図書館で膨大な史料と取り組んだ。そうして読み込んだ史料のエッセンスを随所に散りばめながら、「黄禍論」の実相を複眼的に描いてみせた。

 本書は単なる歴史の叙述に留まらず、新たな黄禍論が日本を衝き動かし、対米同盟から対中同盟に向かわせる可能性さえ視野に入れてこう指摘する。

「アメリカと中国という超大国のはざまにある日本が、今後いかなる針路をとるにしても、この歴史を正視することは不可欠のことであると考えている」

 『ファシズム 警告の書』にも、トランプ政権に対する危機感が溢れている。ナチス・ドイツに呑み込まれたチェコスロバキアから英国に逃れたユダヤ系の少女は、戦後いったん祖国に戻るのだが、クレムリンの圧政を嫌って両親と共に再び米国へ亡命する。クリントン政権で初の女性国務長官となったマデレーン・オルブライトがそのひとだ。

 彼女はこうした痛切な体験から、ファシズムという名の怪物は、ごくありふれた日常に成長の糧を見つけ出し増殖していくと指摘する。

「憲法は民主主義の針と糸の役割を果たすが、それでは繕いきれないほどの分断が広がる事態は容易に思い浮かぶ」

 ナチズムとスターリニズムという二つの全体主義に祖国が呑み込まれた著者はいま、トランプの治世に心から警告の声をあげている。

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