『ニューヨーク・タイムズが報じた100人の死亡記事』
ウィリアム・マクドナルド編 河出書房新社
現代史彩った巨人たちの葬列
マフィア親子の葛藤を描いた『汝の父を敬え』をはじめ、ノンフィクションの傑作を世に送ったゲイ・タリーズ。『名もなき人々の街』は、後に「ニュージャーナリズムの旗手」と謳われたひとの斬新な手法が早くも随所に窺える。掌編だが若き日の意欲作だ。自分にツキがあると信じない者はこの街に住んではいけない――タリーズはそう断じ、ニューヨークに暮らす人々の素顔を活き活きと描きだしている。なかでも、死亡記事をひたすら書き続ける記者の日常を描いた話がずば抜けて面白い。ニューヨーク・タイムズ紙にストックされている二千本の死亡予定稿を「死体置き場」と呼び、担当記者は死期が迫った人物の原稿を取り出しては細部に手を入れてその日を待つ。早く死んでくれ――と思わず願ってしまう担当者の心の内を巧みにスケッチして秀逸だ。
伝説のジャーナリスト、オルデン・ホイットマンが筆を執った「蓋棺録」をいつかまとめて読んでみたいと思っていた。『ニューヨーク・タイムズが報じた100人の死亡記事』の出版でようやく願いがかなった。シャルル・ド・ゴール、ニキータ・フルシチョフ、蒋介石、フランシスコ・フランコ。現代史を彩った巨人たちの華やかな葬列が延々と続いている。ニューヨーク・タイムズの紙面を舞台に葬送の曲を奏でる死亡記事書きがいつしかホイットマンにとって天職となった。 だが、歴史を動かした英雄たちの生涯はひときわ波乱に満ち、柩の蓋が閉じられてもなお評価は定まらない。それゆえホイットマンの肩にはずっしりと重荷がのしかかる。葬儀ではどんなに喝采を浴びても、時の経過と共に名声が地に墜ちてしまうことなど珍しくない。毛沢東もまたその例外ではなかった。ニューヨーク・タイムズ紙は、無名の農民の子として生まれた毛沢東の生涯を振り返り、「西側諸国が課す『不平等条約』の屈辱の世紀を終わらせた」と書いている。その一方で、自らの支配に一切の異議を許そうとせず、「文化大革命では国全体をカオスに陥れた」と手厳しい。
ホー・チ・ミンは、第二次世界大戦の後、超大国アメリカが敗北を喫した唯一の国を率いる指導者だった。「二〇世紀の政治家の中でも、ホー・チ・ミンの不屈の精神は際立っていた。その執念で、ヴェトナムの独立と、共産主義と民族主義の融合という目標を追い続けた」と述べ、冷戦の論理に眼を奪われて、民族ナショナリズムの潮流を読み誤った米国の指導層を言外に戒めている。
無着陸で大西洋横断飛行を成し遂げたリチャード・リンドバーグは、毀誉褒貶のなかで生涯を送ったひとだった。アメリカよ、欧州大戦に加わるな。そう唱える空の英雄は、反ユダヤ主義に傾き、ナチス・ドイツのシンパだと批判された。ホイットマンは、マウイ島に隠棲する彼を訪ねてインタビューし、死亡稿をより公正なものにしようと試みている。欧州戦への介入に抗ったのは、この戦争が西洋の文明を破壊し、何百万という人命を奪うからだという言葉を採録している。 「彼の人生が常に謎めいていたのは、人前で見せるよりもっと深い彼という人間がいたからなのだろう」
かつてニューヨーク・タイムズ紙は死亡記事に署名を入れなかった。ホイットマンはむしろそれを好んだという。歴史に名を遺した人々の追悼録を書き続けているうち、いつしか無名でいることの有難さに思い至ったにちがいない。人間の一生に値札をつける仕事に畏れを抱き、思わず死体置き場に立ちすくむこともあったのだろう。