手嶋龍一

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手嶋流「書物のススメ」

「今月買った本」スパイ小説か、ノンフィクションか

 スパイ小説のようなノンフィクション――という常套句がある。現実の出来事が、スパイ小説を思わせてスリリングだと言いたいのだろう。だが、読みごたえのあるノンフィクション作品は、ル・カレやグリーンの小説に劣らず、緻密に構成されている。ルポルタージュの伝説的な書き手、ジョン・マクフィーは『ピュリッツァー賞作家が明かす ノンフィクションの技法』のなかで「しっかりした構成はフィクションにおける筋立てと同じく人を引きつける効果がある」と指摘している。

 それでもスパイ小説のほうがやはり面白いというひとには『KGBの男 冷戦史上最大の二重スパイ』をお薦めしたい。あの冷たい戦争のさなかロンドンに送り込まれたKGBのスパイは、米ソの核戦争を食い止めようと極秘情報を西側に流し続ける。ベン・マッキンタイアーは、膨大な証言と文書に拠りながら「ゴルジエフスキー事件」の全貌を描き出し、クレムリンに叛いたダブルエージェントの内面を鮮やかに切り取ってみせた。前作の『キム・フィルビー かくも親密な裏切り』では、モスクワに亡命した英国の二重スパイを扱った。モスクワとロンドンに入れ替わるように亡命したふたりの大物スパイを一対の作品と構想して筆を執ったのだろう。前作では、フィルビーが、モスクワへ亡命する直前にベイルートでMI6の同僚にして親友の尋問官エリオットと相対する印象的な場面が登場する。

 「イギリス人の非常な礼儀正しさを示す、洗練された死闘だった」

 MI6は組織を見舞った未曽有のスキャンダルを封印すべく裏切者を敢えて寒い国に逃がしたのだと断じ、新作では恐怖の政治体制を憎むKGB諜報員の心の軌跡を辿っている。諜報界の深層を知り尽くす者でなければ、二重スパイの心象風景をかくまで活写することはできなかったろう。

 「殺られる前に殺れ」――国家が生き残るためなら、暗殺もためらわない。イスラエルは敵国に取り囲まれ、熾烈な戦いを強いられてきた。『イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史』は、首相自らがモサドなどに命じて、外国要人やテロリストを殺害させた作戦を扱ったノンフィクションだ。

 アイヒマン誘拐事件をはじめイスラエルの諜報機関が手がけた作戦が網羅されている。白眉はシリアの核施設を空爆する「モーリス暗殺」の章だろう。イスラム強硬派のシリアは、イランから資金援助を受け、北朝鮮から原子炉施設を購入し、核の製造工場を建設しつつあった。イスラエル首脳は、核施設が完成に近づいているとアメリカに警告し共同作戦を持ちかけるが断られてしまう。やむなくイスラエルは、単独で爆破作戦に乗り出していく。二〇〇七年九月六日未明、イスラエル空軍の新鋭戦闘機七機は、シリア領空を侵し、二十二発のミサイルを打ち込んで核施設を跡形もなく破砕した。

 『その本は読まれているか』は、東西冷戦の初期にCIAで働いていた女性たちの物語だ。タイピストとして――。だが、彼女たちはスパイ活動の最前線で重要な役割を担っていた。著者のラーラ・プレスコットは、そんな女性たちの無念を晴らそうとパステルナーク著『ドクトル・ジバゴ』の地下出版を巡る物語の主役に彼女らを据えた。

 強権体制下のソ連では、この名作の出版は許されず、イタリアの出版社が密かに原作を持ち出して大ヒットさせた。CIAもロシア語版を密かに印刷し、ソビエト国内に還流させて「冷戦の武器」としたことは広く知られている。この秘密作戦を記録したドキュメントの機密は解かれたが、なお九十七個所が黒塗りにされたままだ。著者は作家の想像力を駆使して黒塗りを補い、女性スパイたちをいまに蘇らせた。

 日本の出版界の旧弊な基準に従えば、この作品は小説に分類される。だが、両者の境界はいまや溶けつつある。料理の腕が冴え、対象のスパイが魅力的なら、小説か、ノンフィクションかは問題ではない。真実を照らしだす作品こそが王者なのである。

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