対ウイルスの戦いを予見
ホモサピエンスは、われこそ地球の支配者だと驕りたかぶってこなかっただろうか。遥か40億年前に出現したウイルスはいま、緻密な社会システムを築きあげた人類に牙を剥き、痛打を加えつつある。WHO(世界保健機構)は感染症の地球規模の流行を意味する「パンデミック」を宣言して、ようやく反攻にでようとしている。
これまで動物の体内に潜んでいた未知のウイルスはヒトの身体に侵入し、肺炎などを引き起こして死に至らしめる。だが最新の医学は、新たに出現したウイルスに効く治療薬も予防ワクチンも持ち合わせていない。それゆえ、ヒトとモノの動きを止め、防疫線を敷かざるをえない。その結果、国境を超えた現代のサプライチェーンはズタズタに引き裂かれ、世界経済は麻痺しつつある。これがいま世界に吹き荒れている「コロナ・ショック」の実相である。
ウイルスハンターとして高名なネイサン・ウルフ博士は『パンデミック新時代』(NHK出版・高橋則明訳)で今日の事態を正確に予見していた。
「何であれ、この先、パンデミックが私たちを苦しめ、命を奪い、地域経済を破壊する脅威は増すだろう。その脅威は、想像しうる最悪の火山噴火やハリケーン、地震よりも大きいのだ」
我が身の危険を冒して最前線で未知の感染症に立ち向かってきたパイオニアは「嵐が近づいている」と早くから警告を発し続けてきた。現代の進んだ現代のテクノロジーを活用すれば、気象学者がハリケーンの襲来をぴたりと言い当てるように、パンデミックの到来は必ずや予測できる。さらには災厄が起きる前に強靭な防疫システムを市民社会に築いておくことで感染症の被害を最小限に抑えられると説いてきた。これこそが現代の公衆衛生学にとっての「聖杯」だと本書で強調している。
科学ジャーナリストであり、国連環境計画でも活躍した石弘之もまた今日の事態を言い当てていたひとりだった。アフリカ奥地のフィールドワークでマラリア、コレラ、デング熱、アメーバ赤痢、リーシマニア症など幾多の熱帯感染症に罹った歴戦のつわものだ。そうした体験をもとに書かれた『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)で、中国の危険性をこう指摘している。
「今後の人類と感染症の戦いを予想するうえで、もっとも激戦が予想されるのがお隣の中国と、人類発祥地で多くの感染症の生まれ故郷でもあるアフリカであろう」
その理由として、この2つの地域は公衆衛生上の深刻な問題を抱えていることをあげている。とりわけ中国はペストやSARSなどパンデミックの震源地であり、14億人余りの人口を抱えて春節には夥しい人々が国の内外を旅行するようになった。都市部では過密な人口を抱えているが、上下水道が完備されているとは言い難い。
産業革命以来、地球上で猛威を振るうようになった感染症は、不衛生きわまりない過密社会を温床にして爆発的に広がったと二人の著者は指摘する。
これに対して人類はウイルスを攻撃する新薬を開発し感染症に立ち向かってきた。だが、ウイルスは次々に遺伝子を組み替えて新たな耐性を身につけ、新型の感染症を蔓延させていった。新型コロナウイルスは、エボラウイルスより死亡率がぐんと低く、保菌者が必ずしも発症しない。この事実は決して安心材料ではない。人類の攻撃を巧みにかわして生き延びるウイルスの高等戦術である。それゆえ対コロナ戦争は長期に及ぶだろう――感染症対策の先達はそう覚悟を促がしている。