手嶋龍一

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手嶋流「書物のススメ」

『潜行三千里 完全版』(元大本営参謀 辻政信著 毎日ワンズ刊)

書評 「奇怪」としか形容しようがない『潜行三千里』を取りあげることには躊躇いがあった。この欄では読者に是非とも薦めたい本だけを扱ってきた。だが、本書には共感できる箇所がなく、ざらざらとした読後感だけが残った。にもかかわらず敢えて取りあげたのは、『ノモンハン 責任なき戦い』(田中雄一・講談社現代新書)を同時に読んだからだ。表題と同じNHKスペシャルを担当したディレクターの取材記であり、『潜行三千里』の著者である辻政信を主役のひとりに据えている。

 たしかに太平洋戦争の前奏曲となったノモンハンの戦いは、辻政信の存在なしには語れない。陸軍大学で恩賜の軍刀を拝受した経歴を引っ提げて、関東軍に作戦参謀として乗り込み、「ソ満国境紛争処理要綱」を自ら起案している。そして参謀本部の制止を無視して国境の対ソ戦を拡大させていった。その果てにジューコフ将軍が率いる赤軍の精鋭に痛打を浴び、夥しい犠牲者を出してしまう。だが前掲の取材記は辻参謀を次のように描いている。 「旧軍を象徴する“悪”として描かれてきた辻にも人間的な顔があったこと、また辻に光を当てたことで、責任を互いに押し付けあう陸軍という巨大組織の闇も見えてきた」

 「人間的な顔」をした参謀が独断専行を重ね、多くの兵士を死なせた自らの責任を不問に付しながら、前線の指揮官を暗に自裁に追い込む――かかる行為が許されていいはずがない。

 陸軍中央は辻を形ばかり左遷するが、間もなく参謀本部に復帰させ、開戦劈頭のマレー作戦を委ねた。続いてガダルカナル島やインパールなど主要な作戦を担わせた。バンコクで敗戦を迎えた辻は僧侶に変装し、ラオス、ベトナムを経て、重慶、南京に赴き国民党との連携を模索した。

 そして3年後、北京大学の教授を装って上海経由で佐世保港に降り立った。だが、GHQ(連合国軍総司令部)による戦犯の訴追を逃れるため国内を転々とした。この間に大陸での逃亡の日々を綴った『潜行三千里』はベストセラーとなり、国会の議席も得た。

 今回の復刻版は「完全版」と銘打たれ、家族に宛てた遺稿も新たに収録されている。「我等は何故敗けたか」と題して敗戦の理由を語り「官僚が政治を誤ったことであろう。さんざん言論を弾圧封鎖した後にはただ上級軍人の驕慢と低能なる官僚の独善とがあった」と断じている。辻のいう「官僚」のなかの「官僚」こそ、陸軍を思うさま操った高級幕僚に他ならない。だが、自責の念はかけらもない。

 かかる陸軍の幕僚政治が昭和の日本を決定的に誤ったと厳しく批判してやまなかった将星がいた。かつて北清事変に遭遇し、列強の部隊を見事に統率して「日本陸軍にかかる駐在武官あり」と各国から称賛された柴五郎である。朝敵会津の出身ながら陸軍大将まで進んだが、太平洋戦争が始まり華々しい戦果が伝えられても「この戦は負けです」と譲らなかった。熊本城下に生まれて陸軍士官となり、帝政ロシアの脅威を前に露探に身をやつしてシベリアの地に潜んだ石光真清が寝食を共にして私淑したのがこの人だった。石光の息子、真人は、柴五郎翁に話を聞き『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』を編纂した。この国の陸軍にもアジアをよく知り、彼らへの信義を重んじた逸材がいたことを是非とも知っておいてほしい。この柴五郎伝と石光真清の筆になる『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』の四部作(いずれも中央公論新社刊)なら若い方々に自信をもって薦めたいと思う。

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