稀代の外政家 自己形成の物語
『キッシンジャー 1923-1968理想主義者 1、2』 ニーアル・ファーガソン著
村井章子訳 日経BP社
ナチス・ドイツ軍を撃破しつつあった米軍対敵諜報部隊の兵士が、ハーノーファーを見下ろす丘で偶然アーレム強制収容所を見つけて踏み込んだ。
「かつては喉だった枯れ枝のような首。腕があるべきところからぶら下がる棒切れのような腕。脚はほんとうに棒だ」
つい数年前までドイツ南部のフュルトに暮らしたユダヤ人米兵ヘンリー・キッシンジャーは現場でこんなメモ書きを残している。「フォレク・サマ」ですとかぼそい声で名乗る、老人のような、じつは十六歳の少年を前に立ちすくむ。
「この二〇世紀に、私たちはなぜ君への仕打ちを容認したのか」
この二等兵は帰還後ハーバード大学に進み、メッテルニヒが創り出したウィーン体制を論じた『回復された世界平和』を書きあげる。さらに核の時代のジレンマを衝いた『核兵器と外交政策』を世に問い、ハーバード大学の教授として時代の寵児になっていく。
自由の国アメリカに逃れてきたこの青年が、いかにして稀代の歴史・政治哲学者に変貌していったのか。英国の現代史家ニーアル・ファーガソンは、本人から託された膨大な書簡や資料を渉猟し、キッシンジャー自身の言葉を随所に散りばめながら「自己形成(ビルドゥングス)の物語(ロマン)」を綴っている。ナチス・ドイツという名の怪物に自由を根こそぎ奪われ、ヒトラー相手に兵卒として戦った体験を静かに発酵させ、深い思想に結晶させていく。その心の旅路が見事に描かれている。
この評伝はキッシンジャーの疾風怒濤の前半生を五部仕立てで叙述する。ナチズムが荒れ狂うドイツを逃れてアメリカに渡って従軍し、ハーバードの学生から准教授となり、ロックフェラー知事やケネディ大統領の顧問をつとめ、ベトナム戦争の和平工作に携わり、思いがけずニクソン大統領の国家安全保障担当補佐官に指名されるまでの道のりである。
のちに劇的な米中接近を演出する稀代の外政家の前半生を著者はゲーテの「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」になぞらえる。陸軍で出遭った偉大な二等兵にしてユダヤ人の戦略家、フリッツ・クレーマーをはじめ、その時々キッシンジャーを知的に鍛えてくれた恩師たちがいた。
「高い地位は意思決定をすることは教えるが、決定の本質は教えない」
決断は知的な資産をすり減らすが、知的な豊穣はもたらさない。それゆえ、決断を委ねられる者は、何を決定すべきか、自らの内に揺るぎない基軸を持っていなければならない。はキッシンジャーのかかる信念が本書で披露されている。
米ソの冷戦はなぜかくも長きに及んだのか。それは、経済の戦いでもなく、核保有を競う戦いでもなく、理想をめぐる戦いだった。キッシンジャーはこうした冷たい戦争の本質を誰より鋭く見抜いていた、とファーガソンは指摘する。
「高遠な目標をめざした若きキッシンジャーは、真の意味での理想主義者だったと私は信じる」
キッシンジャーの「理想主義」とは、道徳、法の規範、軍事の面で原則にぴたりと一致するウィルソン大統領に代表されるそれではない。不確実な情勢のなかで固い意志をもって決断し、行動する堅忍不抜の信念を持つ者だと著者は見抜いている。
凡百のキッシンジャー評伝は彼をレアルポリティークを体現した現実主義の申し子として描いてきた。だが、ファーガソンの評伝は、揺るぎない信念を拠り所に冷たい戦争と切り結ぼうとした「理想主義者」だったと喝破して特異な光彩を放っている。