遠く海より来たりし者 暖あやこ著 新潮社
古代生物からの飛躍
ファンタジー小説の読者は貪欲である。
作者が紡ぎ出す物語がリアリズムに傾きすぎると、「これじゃ夢がない」とそっぽを向いてしまう。その一方で無稽な筋立てに走ってしまえば、「アクチュアリティに欠ける」と見向きもしない。それゆえ、傑れたファンタジー・ノベルは、リアリティをふんだんに盛り込みつつ、同時に天空に跳躍する力を内に秘めていなければならない。現実味と空想力のハイブリッドが求められる。物語の作者が、両刃の剣の上を摺り足で渡り終えた時に初めて読者の期待に応えることができる。
この厄介なジャンルに彗星のように現れた暖あやこは、地球上で四億年の時空を生き抜いてきた「カブトガニ」に啓示を受けて筆を執ったという。そして並外れた跳躍力を駆使して、常識という名の引力から離脱してみせた。こうして編まれた物語には、随所に危険な地雷が埋め込まれている。暖あやこはその地雷原に踏み込み、一歩また一歩と核心に迫っていった。
「カブトガニ」には、青い血が流れている。現代の生理学によれば、銅イオンを基盤とする体液が流れているからだという。その青い血液は、癌の予防に効き目があるらしい――。日本の海沿いの村々では、古くからそう言い伝えられてきた。確かに欧米や中国でもカニの青い血液を原料にガンを予防する新薬を創り出す様々な試みが延々と続けられている。
暖あやこは、岡山県笠岡市周辺に生息する天然記念物・カブトガニに啓示を受けて、この特異な物語を着想し、地道な取材を積み重ねた。この作者は前作『恐竜ギフト』でも太古の生物を素材に選んでおり、古代生物への並外れた憧憬を読み取れる。カブトガニこそ、作者が遭遇した「遠く海より来たりし者」だったのである。
かつて瀬戸内海の直島や佐賀関には銅の精錬所が点在していた。カブトガニの銅イオンと瀬戸内海の銅精錬島が奇妙に溶け合って、奇想に彩られた物語は織りなされていく。カブトガニの青い血液を人体に注入すれば――常の人々の眼には、いかがわしいマッドサイエンスと映るだろう。
この小説の主人公の祖父にあたる人物こそマッドサイエンテストであり、瀬戸内の知られざる孤島を基地として狂気の実験が繰り返されていた。その実態が詳細に記された手記が見つかった。作品は20XX年、現代からさほど遠くない近未来を基本のテンスに据えつつ、孤島で生起した出来事を記した半世紀も手記と往還しながら物語は進行してゆく。
主人公は巨大製薬メーカーの社史編纂室に突然異動を命じられる。だが彼女が編むことになる社史には奇妙な空白があった。東京オリンピック前後の期間がそれだ。その謎に迫ろうと丹念に資料を収集していったその果てに問題の手記が主人公の手に落ちたのだった。マッドサイエンスが産みだした奇怪な副作用にまつわるおぞましい事実を社史に刻むべきか。事実を封印したまま再び闇に葬り去ってしまうべきか。社史の編纂を委ねられた主人公は深いジレンマに囚われて立ち竦む。
副作用とは「あれ」だった。自分の尾骶骨のあたりに疼きが生じ、何やら異変が現れる。そう人体に妙な尻尾が生えてくる――。そんな不条理に見舞われたら、人々はどう振舞うだろうか。愕き慌て、悲しみ、「それ」を隠そうと必死になるに違いない。他人に知られれば、差別の標的にされてしまう。
だが、進化した新人類に「それ」が多く見られるようになれば、事態は一変するはずだ。人々の蔑視は反転し、むしろ誇らしく思う風潮が生まれてくるにちがいない。本作は、リアリズムに徹底して拘りながら、異変に伴う社会の変容を描き出し、新たな境地を切り拓いた。
やがて手記の書き手は自分の母ではないかと疑い、手記に記された副作用が手記の筆者にも及んでいることが発覚するくだりには息を呑むだろう。読者はそれまで理解してきた世界がぐるりと反転してしまったことに立ち眩みを覚えよう。物語のラスト近くになって新たな「反転の地雷」が用意されている。そして「異変」の意味が劇的に変容していたことを読者は思い知らされるだろう。
この作品では、幾度かの飛躍を経て、すべての枝葉がひとつの大きなロジックに収斂されてゆく。テーマとなっている副作用を超克するプロセスを含め、すべてが見事なロジックに包摂されていく。決して幻想に逃げ込むことなく、物語を紡ごうとする作者の心意気は痛快にして爽快。想像力を豊かに蓄え、同時にリアリティを備えた描写を重ねていく若き作家。彼女がこの作品を跳躍台にどんな物語世界を見せてくれるか、その将来が楽しみでならない。