手嶋龍一

手嶋龍一

手嶋龍一オフィシャルサイト HOME » 手嶋流「書物のススメ」 » 書評

手嶋流「書物のススメ」

「猿神のロスト・シティ 地上最後の秘境に眠る謎の文明を探せ」
      (ダグラス・プレストン著、 鍛原 多惠子訳 NHK出版)

書評 コロンビアの国防大臣を訪米直前まで務めていたラファエル・ファルド氏は、麻薬戦争の指揮官として前線から還ったばかりだった。この人と90年代半ばにアメリカ東部の大学の研究所で一年余りを共に過ごしたことがある。彼の地の戦いは警察の手には負えず、国防軍が麻薬カルテルと対峙せざるを得なかった。それゆえ国防大臣は麻薬マフィアの暗殺リストの筆頭に挙げられていた。アメリカ政府は、将来の大統領候補としてファルド氏を温存するためハーバード大学に身柄を預けたのだろう。

 「我々の掃討作戦の結果、麻薬カルテルは中米ホンジュラスに本拠を移しつつある。中南米の国家群には表と裏にそれぞれ支配者が君臨している」

 本書を手に取ってみて、瞳の奥に深い悲しみを湛えた指揮官の表情が鮮やかに蘇ってきた。『猿神のロスト・シティ』は、探検家、考古学者、人類学者の混成チームが、地元で「白い都市」と伝えられてきた古代文明を遂に突き止めた心躍るような冒険譚だ。ホンジュラスの奥地に広がるモスキティア地方の古代遺跡が人々を寄せ付けなかったのは、鬱蒼とした熱帯雨林の故だけでない。この地がアメリカ向けの麻薬の80%を栽培する独立王国だからだ。

 著者のダグラス・プレストンは、地球上から忽然と姿を消してしまった文明に取り憑かれた男たちと終始行動を共にし、モスキティアの熱帯雨林に分け入っていく。一行の行く手には獰猛な毒をもつ大蛇フェルドランスがとぐろを巻き、ジャガーが牙を剥き、マラリアより恐ろしい熱帯病リーシュマニア症が待ち受けていた。だが皮肉にも、苛烈を極めた十重二十重の災厄こそが熱帯雨林に埋もれた未知の文明を盗掘から守り抜く障壁となっていた。

 常の手段では目指す現場に近づけない――。探査チームは遺跡発掘の常道から外れた武器を手に「白い都市」に迫っていった。「ライダー」と呼ばれるレーザー探査装置がそれだった。彼らは現地の踏査に先立ってまずセスナ機に「ライダー」を搭載し、伝説の地の上空を飛ばしてみた。そして遺跡が眠っているとあたりをつけた3つの谷の一帯に科学のメスを入れていった。その画像を解析してみると「失われた都市」の痕跡がくっきりと現れてきた。

 こうして得られた3Dマッピングのデータを頼りに探検隊が標的に挑み、ピラミッドを辿って「失われた都市」の広場に辿り着いた。植物に覆われた石板には古代人の手で刻まれた幾何学模様が刻まれているではないか。かくして未知の文明がその姿をあらわし、後に「ジャガーの都市」と命名された。

 それにしても、これほどの文明がなぜ突然姿を消してしまったのか。スペインの征服者たちは武力だけで彼らを消し去ったのではない。その謎を解くキーワードは「病原菌」だ。旧大陸の人類は、家畜を経て伝染した伝染病に襲われて夥しい死者を出した。だが生き残った人々は病気への免疫を獲得して逞しくなった。だが、新世界の人類はそうした免疫を持っていなかった。異質の文明に遭遇した彼らはひとたまりもなく滅びていった。本書の著者はそうした仮説を紹介している。

 「ジャガーの都市」の遺跡の発掘が進むにつれて、古代文明が消滅していった謎が解き明かされていくことだろう。だがこれは過去の物語などではない。われわれ現代の人類の将来にかかわる命題が含まれている。21世紀に生きる人類は、未知の病原菌に十分な耐性を備えているのか。「ジャガーの都市」を見舞った災厄は、現代の人類にも襲いかかる恐れがある。本書は優れて現代的な問いを内包している。

閉じる

ページの先頭に戻る