国立競技場が問い掛けるもの
『建築家、走る』隈研吾著 新潮社
小学4年生の少年は、美しい屋根の曲面をなめるように降り注ぐ光のなかに立ち尽くし、いつかの日か建築家になると心に決めたという。壮大な吊り屋根が彼の内面を揺さぶったのだろう。あの陽光のなかで泳ぎたくて、少年は横浜から電車で代々木体育館にせっせと通ったという。1964年の隈研吾がそこにいた。
日本では明治以来、国家的な建造物は官僚が設計することになっていた。だが丹下健三は役所と死闘を繰り広げて設計の仕事を建築家の手に奪い返したと著者は言う。
「国の大事な建築を役所の中で設計している例などは、北朝鮮以外にはないのです」
本書の骨格となるロング・インタビューが行われたのは、新しい国立競技場の騒動が起きる3年前のことだ。だが、その後に持ちあがる問題の本質をすでに予見していた。官僚機構は設計者こそイラク生まれでイギリスの女性建築家ザハ・ハディドを戴いたものの、建設を統御するシステムは、丹下健三が闘った無能な官僚機構に握られていた。「アンビルトの女王」は生贄にされたのかもしれない。
かくして計画は納税者の怒りを買い、振り出しに戻ってしまった。新しい国立競技場の建設に向けた再出発にあたって、この地で建築家を志した隈研吾少年が名乗りを上げたのは自然の成り行きだろう。騒動を受けて本書の文庫版が新たに編まれた。隈研吾は「だから走りたくなってしまう」と題して興味深いあとがきを書いている。
来るべき東京オリンピックのために、8万人を収容する競技場の建物が「とんでもないデザイン」のゆえに、巨額の税金を無駄使いし、神宮外苑の環境を破壊しようとしている――こうした一般の人々の感情に触れたうえでこう述べている。
「建築が建つ前にすでに、炎上したのである。建築というのが、あまりにもヴィジュアルであり、見えすぎてしまうから、炎上するのである」
現代社会は形も質量もないサイバー・スペースに深く取り込まれているため、決定に至る真のプロセスは見えにくい。ただ、ひとり建築だけが視覚的な形をとって聳え立っているゆえに、飛び抜けて孤独な存在となる。建築家だけが丸裸にされ、無防備たらざるをえないと隈研吾は嘆息する。
「こんなに、喜劇的、悲劇的な存在があるだろうか。あわれみをもって、好奇心にかられて、人々は建築家の生態を観察するのである」
それゆえ、現代の建築家は、建てた現場にとどまっている勇気をもてず、ひたすら遁走するという。
「それはとても恥ずかしくて、苦しいことである。だから走りたくなってしまう。建築家はそんなみんなの苦境を先取りし、代弁して、まず走る」
21世紀の建築家を国際コンペという名のレースに出走する競走馬に著者は譬えている。世界の名だたる建築家がその戦いに名乗りをあげるのだから、過酷な競争にならざるを得ない。にもかかわらず、最も格の高いG1級のレースを日本の建築家は次々に勝ち抜いている。ならば2020年の東京オリンピックのメイン会場となる建物も、なぜ日本の建築家が手がけられないのかと誰しも思うだろう。
潤沢な予算で公共建築を次々に建てた時代は過去の風景になった。遅れてきた世代の建築家たちが、立ちはだかる壁をどう超えるか思い悩み、知恵の限りを尽くして、創意あふれるモニュメントを次世代に遺してほしい。