手嶋龍一

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手嶋流「書物のススメ」

英国秘密情報部の闇を照射
『キム・フィルビー―かくも親密な裏切り』中央公論新社
ベン・マッキンタイアー著、小林朋則訳

書評 米国の首都ワシントンからポトマック河に沿って北西に車で45分、深い森のなかに「オールド・アングラーズ・イン」がひっそりと建っている。石造りの「釣り人宿」には、狩りの名手だったセオドア・ルーズベルト大統領も立ち寄ったという。筆者もチェサピーク湾で獲れたカニ料理を政府高官に振る舞って密談したことがある。

「あの樹々の何処かにはいまも冷たい戦争の遺物が埋まっているんだ」

 ラングレー(CIAの本拠地)で歴戦の強者として勇名を馳せた高官がそう呟いた。地中に隠された遺物とは何だったのか。本書を読んで初めて知ることができた。
「そこにはソ連製の写真機が、フィルビーのスパイ活動を示す秘密の記念品として、六〇年以上も埋められたままになっている」

 戦間期の1930年代、ケンブリッジ大学に学んで共産主義に染まり、ソ連のスパイとなった5人の仲間たち。その一員だったキム・フィルビーはやがてMI6(英国秘密情報部)で枢要なポストを歴任し、ワシントン支局長として西側の盟主のもとに赴いた。だがキャリアの絶頂にあった彼に災厄が襲いかかる。2人の仲間が二重スパイの嫌疑を受け、モスクワに逃亡したのだ。フィルビーの素顔も危うく暴かれそうになる。幾多の機密書類を写したソ連製カメラこそ冷たい情報戦の墓碑銘だったのである。米ソの対立が険しさを増しつつあった51年の出来事だった。

 英国紳士を育てる独特の教育システムこそ特異な種族を生み、スパイの温床となった。彼らは洗練された所作とウィットに富んだ会話でたちまち人々を魅了した。フィルビーもワシントンの閉ざされたコミュニティーでたちまち人気者となり、ホワイトハウスの最高機密を巧みに引き出していった。クレムリンは超一級のインテリジェンスを手に入れ、情報戦で米国は痛打を浴びせられ幾多の情報戦士を喪った。

 秘密作戦がこうまで失敗するのは、諜報組織の中枢に裏切り者が潜んでいるからではないのか――。二重スパイの正体を追うMI5(国家保安部)は、フィルビーこそ「第三の男」だと疑いを強めていく。その果てにフィルビーはMI6を逐われるのだが、スパイ仲間の密かな工作が功を奏してMI6の工作員として復帰し、中東の要衝ベイルートに派遣された。フィルビー救出に力の限りを尽くしたのはMI6幹部で友のニコラス・エリオットだった。

 だが、ソ連から亡命した大物スパイが携えてきた情報で、防諜当局は「第三の男」こそがフィルビーだと断じる。親友のエリオットは自ら願い出て尋問官としてフィルビーと対峙する。
「イギリス人の非常な礼儀正しさを示す、洗練された死闘だった」

 冷戦史上稀にみる対決を著者はこう表現している。ふたりの果たし合いは「究極のスパイ小説」と称されるジョン・ルカレ作品と見紛うばかりの迫力だ。英国紳士の内面世界を隅々まで知り尽くした著者でなければ二重スパイの真相にここまで肉薄できなかったろう。

 対決の終幕に奇妙な手打ちが行われた。フィルビーは過去を認める調書に署名し、エリオオットは機密漏洩の罪で訴追しないと告げてコンゴに旅立っていった。フィルビーには監視はつけられず、まんまとモスクワへ亡命を果たしている。63年1月のことだ。
 「イギリスでは、フィルビーはあまりにもイギリス人的だったゆえに疑われなかった」

 MI6は戦後最大のスキャンダルを封印しようと裏切者を敢えて寒い国に逃がしたのだ。そう著者は示唆し、ノンフィクションの大作を締めくくっている。

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