「ノモンハン1939」
みすず書房 スチュアート・D・ゴールドマン著
欠落したインテリジェンス
一国の指導者が国家の命運を賭けて下す決断の成否は、膨大な情報から選り抜かれたインテリジェンスの質に拠っている。欧米列強が和戦の岐路に立っていた運命の年、1939年の5月、関東軍はソ連赤軍とモンゴル高原で干戈を交えた。この「ノモンハンの戦い」こそ、様々な情報の素材に溢れたインテリジェンスの教科書である。
モンゴル軍の小部隊がハルハ河を密かに渡って旧満州領に侵攻しつつある――。前線からの急報に接した師団司令部は、国境地帯で頻発していた小競り合いと判断し、2千の兵を出動させて撃破を試みた。だが日本軍の情報には重大な瑕疵があった。モンゴル軍の背後には猛将ジューコフに率いられた赤軍の機甲師団が迫っていたのである。前線部隊の壊滅に衝撃を受けた関東軍の辻正信ら主戦派参謀は、機甲部隊を逐次投入していく。だがスターリンが送り込んだ最精鋭の機甲師団に撃破されておびただしい犠牲者を出したのだった。
戦前の日本を動かしていた陸軍の幕僚たちは、戦術情報に蒙(くら)かっただけではない。僻遠の地での衝突が実は、ナチス・ドイツのポーランド侵攻と連動していたことに気付かなかった。スターリンが水面下でヒトラーのドイツと折衝しながら、日本の出方を窺っていたとは思ってもみなかったのだろう。ノモンハンでなお烈しい戦闘が繰り広げられていたその時、ヒトラーとスターリンは独ソ不可侵条約を締結した。平沼麒一郎首相は「欧州情勢は複雑怪奇なり」と内閣を投げ出している。この「悪魔の盟約」によって、スターリンは、ドイツと英仏の戦争から一時距離を置き、同時に日本の対ソ戦をも封じたのだった。日本は戦略情報でも完敗を喫していたのである。「ノモンハンの戦い」をライフワークとする著者スチュアート・D・ゴールドマンは、欧州と極東の二つの戦域を高い視座から俯瞰しつつ、第二次世界大戦の「知られざる始点」を浮かび上がらせていった。
「ジグソーパズルでこれまで見落とされていた、あるいは不適切な場所に置かれていた重要なピースをしかるべき場所にはめ込むものだといえよう」
著者のゴールドマンはジグソーパズルに譬えて「ノモンハンの戦い」こそ、失われたピースだったと喝破した。インテリジェンスとは、膨大な数のピースを気の遠くなるような忍耐力によってあるべき場所に配し、錯綜した事態から本質をあぶりだす業である。当時の日本の統帥部は、インテリジェンス感覚を持ち合わせず、日露戦争にいたる時代に活躍した石光真清のような人材を欠いていた。翻ってクレムリンは情報の五感を研ぎ澄ませ、20世紀最高のスパイ、リヒャルト・ゾルゲを東京に潜ませていた。日ソ両国にとっては、砲火を交えない情報戦ですでに勝敗が決していたのである。
その意味で本書は、単なる歴史書として読まれるべきではない。インテリジェンスをおろそかにし、長い耳を持たない国家は、国民の生命と安全を守ることがかなわないという冷厳な現実を我々に教えている。大津波がフクシマ原発に襲いかかった時、政府も東電も為す術を知らず、おろおろと核のメルトダインを見守っていた。総理官邸に決断を促す確かなインテリジェンスはどこからも届かなかった。
いまの日本に求められるのは、想定を超える事態にこそ備えておけ、と自らに言い聞かせる人材である。現場の情報に真正面から向き合おうとしない、視野狭窄な「現代の辻正信参謀」ではない。