手嶋龍一

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手嶋流「書物のススメ」

『中国外交と台湾―「一つの中国」原則の起源』

書評 たった一つの合意文書が、40年の永きにわたって、東アジアの海を波穏やかに保ってきた。20世紀外交界の二人の巨星、周恩来とヘンリー・キッシンジャーが、知恵の限りを尽くして取りまとめた「上海コミュニケ」の台湾条項がそれだ。文書の骨格がようやく固まったのは、ニクソン大統領が初めて中国を訪れる前年、1971年秋のことだった。
 「台湾海峡を挟む両岸の中国人が、中国は一つであると述べていることを米国政府は事実として知り置いている」
 これに続いて、米国政府は台湾海峡問題の平和的解決を希求すると釘をさすことで、言外に人民解放軍が台湾に侵攻すれば座視しないと匂わせている。同時に国府には台湾防衛の義務を明言せず、独立への動きを巧みに封じたのだった。中国と国府の双方を牽制しながら決定的な言質を与えていない。米国の「曖昧戦略」がここに初めて姿を見せている。
 「中国は一つ」というくだりも、交わるはずのない平行線を交わったと表現して、最大の難所を乗り切ったのである。「台湾は中国の不可分の一部である」と中国側は主張し、将来の大陸反攻をあきらめない国府も「中国は一つ」という擬制を掲げて台湾統治を続けていた。苛烈な交渉の果てに周恩来とキッシンジャーという名うての交渉者は、わずかな接点を見出したのだった。
 評者は米中接近のさなかに北京を訪れ、周恩来そのひとから「一つの中国」論を聞かされている。だが、東アジアの政局を拘束してきた「一つの中国」原則が、どのようにして生まれたのか、これまで正確には知らなかった。若き研究者、福田円『中国外交と台湾―「一つの中国」原則の起源』を読了し、初めてそのダイナミズムを目の当たりにしたのである。
 「元来は中国政府の究極的な目標であった『台湾解放』の論理が、より短期的な手段としての『一つの中国』論へと変容し、さらにその『一つの中国』論が外交上の『原則』へと斬新的に形成された課程を明らかにする」。福田円は、膨大な外交資料を渉猟しながら堅牢な手法で本書の目的を成し遂げている。「一つの中国」論には、台湾の武力解放をもくろむ革命の論理より、東アジアでの自国の安全保障を怜悧に優先させた中国の内在論理が見事に投影されていることを明らかにしたのだった。
 「実質的には『台湾解放』を棚上げし、そして中長期的には武力による『台湾解放』も可能となるような実力をつけるためにも、目前にある国家の軍事建設や経済建設に励んだのであった」
 米国、中国、台湾、日本の4極外交を現場で目撃してきた評者は、福田円の結論に異を唱えない。だが、本書で述べられている認識が、21世紀のいま、次第に崩れ始めていることも指摘しておきたい。理由は3つ。今の中国は、武力解放を可能とする実力を備え始めている。そして性急な武力行使の誘惑に駆り立てる国内の矛盾のマグマが臨界点近づきつつある。さらに周恩来のような優れた外交家を欠いていることが挙げられよう。
 それにしても、これほどの学術書が明快な論理と達意の文書で綴られていることに思わず爽快感を覚えてしまった。従来の学術書はともすれば晦渋(かいじゅう)で文体も生硬なものが多かった。あまつさえそれをよしとする空気すらあった。難解なテーマをこれほど平易に面白く書くことができる若い研究者が現れたことを喜びたい。若い読者にもぜひ手に取ってもらいたいのだが、学術書籍のなんと高価なことか。出版文化の衰退を憂慮せざるをえない。

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