チャーチル~不屈のリーダーシップ~
当代きっての歴史家にしてジャーナリストが、20世紀の巨人の生涯に挑んだのだから、面白くないはずがない。17歳だった著者ポール・ジョンソンは、「人生で成功を収めることができた秘訣は何ですか」とウィンストン・チャーチルにじかに尋ねる機会があった。若くしてジャーナリスト魂に溢れていたのだろう。すると間髪を入れず、こんな答えが返ってきたと本書で明かしている。
「精力の節約だ。坐っていられるのなら、決して立たない。横になっていられるのなら、決して坐らない」
マナーにうるさいあの国で、着飾ったレディーを迎えても、宰相は葉巻をくゆらせたまま椅子にふんぞり返っている。そんな光景を捉えた写真の意味がようやく分かったように思う。
ポール・ジョンソンは、精力節減のユニークな逸話を冒頭に排して、第二次世界大戦で英国を率いた宰相の、内面から湧き上がるエネルギーの秘訣を解き明かしている。チャーチルは、ナチス・ドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦の幕が切って落とされると、まず海軍相として戦時内閣に加わり、フランスの崩壊を機に宰相となった。その時すでに65歳だった。そして嵐のような5年間を日に16時間を働き続けた。目覚めると枕元に秘書を読んで命令書を口述し、朝食も読書もベッドで済ませている。
手間を省くために、「宰相のロンパース」と呼ばれたつなぎ服を着て深夜まで執務し、時にそのまま仮眠をとった。かくして[即日実行]という判を押し、政府機関の隅々にメモを送り、眠ったような官僚機構を蘇らせていった。この猛烈な働きぶりについていけず、実際に命を落とした将星もいたという。「ナポレオンが馬を何頭も乗りつぶしたのに似ている」と筆者は表現している。
激務の合間を縫って、母校のハロー校を訪れ、若者たちにこう呼びかけた。
「暗い日々だと語るのはやめよう。厳しい日々だといおう」
この時、新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズが日本海軍機に撃沈され、シンガポールが陥落する英国の悪夢が間近に迫っていた。だが真珠湾を奇襲する日本が、アメリカを参戦に踏み切らせ、英国が救われることを直感的に読みとっていたのである。
戦時の宰相が独自の戦略眼を最後まで曇らせなかった秘訣のひとつは、息抜きが巧みだったことだと著者はいう。週末を家族と過ごすチャートウェル邸こそが彼が心から愛した別邸だった。だが戦時中にわずか12回しか行けなかった。敵の空爆の標的になる恐れがあったからだ。それでも側近が諌めるのも聞かず出かけ、親しい友人に頼んで別の別荘を借り受け、しばしの休息を欠かさなかった。首脳会談で訪れたモロッコのマラケシュでは、典雅なホテルとして名高い「ラ・マムーニア」で趣味の絵筆をとったこともある。
平成期の日本は、傑出した指導者が払底する「宰相不況」に悩まされてきた。そんな国に住む者にとっては、本書に描かれた宰相像は夢のような存在に映る。歴史的な背景も、社会の実情も、平成のニッポンとは全く異なるのだから、安易な比較など意味はないのかもしれない。だが、一国の首相が、その精神の位取りまでひたすら庶民的だとアピールする国には、深い思索のなかから国家の行方を構想するリーダーは生まれてこないのかもしれない。本書を読み進むうちに、チャーチル像が彩りに満ち、時に不機嫌にふさぎ込むこの人に一層魅せられてしまう。