手嶋龍一

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手嶋流「書物のススメ」

“敗戦史の定説”偽り明らかに

 情報に生きる者には孤独な影が宿っている。墓場まで国家の機密を携えていく――そんな宿命のゆえだろうか、数個師団に匹敵する功績をあげても称賛されることとてない。明治国家が誕生した年、熊本城下に生まれた石光真清の生涯は、烈しくも哀しい情報士官光芒に貫かれている。
 陸軍の中枢を歩めば、将官としての栄達が約束されながら、北方の大国ロシアが爪を研ぎ、極東の小国に襲いかかろうとする現実を座視できなかったのだろう。石光真清は「露探」と蔑まれながら、軍服を脱いで写真技師に身をやつし、ソ満国境の街に身を潜めた。来るべき日露の決戦の時に備えて、貴重な情報を統帥部に送り続け、若き明治国家の破滅を救ったのだった。

 昭和期に入って列強の仲間入りを果たした日本は、やがて石光の存在を忘れてしまう。だが「城下の人」の志は、ごく少数の情報士官たちに受け継がれていった。独ソが相互不可侵という「悪魔の盟約」を結んだ直後にリトアニアに急派されたロシア通の外交官、杉原千畝がその一人だった。彼は本省の訓令に抗ってユダヤ難民に査証を発給し、6千人もの命を救った。その見返りとしてユダヤ系士官から成る亡命ポーランド政府の情報部から「独ソ戦迫る」という一級のインテリジェンスを入手している。ユダヤ系情報網はやがて北欧の中立国スウェーデンのストックホルムにいた駐在武官、小野寺信に引き継がれていく。本書はそのプロセスを精緻な取材で裏付けている。そして欧洲の諜報界で「情報の神様」と畏れられた男は、終戦史最大のインテリジェンスを入手する。ソ連はナチス・ドイツが敗北して3カ月後に対日参戦する―英・米・ソの3首脳がリバディア宮殿で交わした「ヤルタの密約」がストックホルム発緊急電として東京に打電された。

 だが乾坤一擲の小野寺電は、日本の統帥部を終戦の決断に向かわせなかった。陸軍参謀本部の中枢が日本の運命を決めた重要情報を抹殺してしまったからだ。著者は英国公文書館で発掘した膨大な公電などを引いてそう断じている。日本陸軍の参謀はその時、仇敵ソ連を仲介役に密かな和平工作を画策していた。そんな彼らに「ヤルタの密約」は不都合なインテリジェンスだったのである。

 日本の政治指導部はソ連が日本に戦いを仕掛けることを知らなかった―こうした敗戦史の定説が偽りであったことを筆者は明らかにした。ソ連の参戦を阻止して北方領土を保全し、広島・長崎への原爆投下を封じる道があったものをという筆者の憤りが行間に滲んでいる。

 「日本は天皇制の存続さえ容れられれば降伏に応じる」
 ポツダム会議に臨むトルーマン大統領に向けた米政府の公電である。小野寺信がスウェーデン国王グスタフ5世を介して伝えた情報がここに投影されている。終戦の前日、ご聖断を下そうとする昭和天皇に届いた英国王室の親電にもまたグスタフ5世を介した小野寺工作の跡が見受けられる。小野寺信は「和平工作を考えるならスウェーデン王室を介して、じかに英米と」と参謀本部の説得を試みたが、黙殺されてしまう。小野寺信の意見具申は、ほどなく東西冷戦が幕を開けるという確かな情勢判断に基づいていた。それはジョージ・ケナンの「X論文」に先駆ける慧眼だった。だが、それが正鵠を射たものであればあるほど、自己保身に走る官僚組織は耳を傾けようとしない。そして、フクシマ原発事故は、日本の巨大組織の病弊がいまだに少しも癒えていない現実をわれわれの前に突きつけている。

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