『オリンパス症候群~自壊する「日本型」株式会社』
「うちの企業が最も力を入れているのはコンプライアンス(法令順守)です。社会の公器たる会社の経営を透明なものにするため、腐れ縁のない3名を社外取締役に迎えています。些細な不正にも厳しく対処できるガバナンス(企業統治)を貫いていきたい」
一部上場企業を親から譲り受けることが決まっている若手経営者は、生真面目にこう語った。心底そう思っているのだろう。だが、この社の下請け企業の経営者から「余りに理不尽です」と不法な手口を明かされたのは前々日だった。受注価格を叩きに叩かれてやむなく契約したのだが、いざ支払いになると、発注元は30%の値引きを一方的に求めてきた。「もう限界です」と抗ったところ、それじゃこれ以後、仕事はやらないと切られてしまったという。
『オリンパス症候群―自壊する「日本型」株式会社』(平凡社)は、その題名がいまのニッポンの病巣を抉(えぐ)って余すところがない。オリンパスという名の吹き出物は、この国の企業社会の奥深くに拡がる病のほんの表層に過ぎないと指弾している。オリンパス事件を例外的な企業スキャンダルだと言い切れる経営者は、冒頭の若手経営者を含めていないだろう。親会社が嵩にかかって下請けをいじめ抜き、契約を無視して受注代金を値引きさせる。これではコンプライアンスなど聞いてあきれてしまう。企業の最前線で頻発する不祥事を見ていると、社外取締役も、ホイッスル・ブロワーと呼ばれる内部告発も、問題解決の決め手にはならない。経営者が現場から正確な情報を汲み取れず、知っていても隠ぺいして、コーポレート・ガバナンスが絵空事になっているからだ。
では企業犯罪を外部から監視する有効な仕組みは整っているのだろうか。会社の不正行為に司法のメスを入れ、厳正に対処することになっているはずの機関も本来の責務を果たしていない。オリンパスは実に20年の永きにわたって巨額の損失の飛ばしを続け、株主には虚偽の報告をして愧(は)じなかった。にもかかわらず、東京証券取引所はオリンパスに上場廃止を命じなかった。ホリエモンこと堀江貴文元ライブドア社長は本書で次のように述べている。
「私は刑事処分を全て受け入れて粛々と受刑生活を送っている。しかし、あまりに不平等な扱いを受けると心がザワつく」
法のもとでの平等はどこにいってしまったのか――モリエモンはこう述べて、オリンパスの上場維持にとどまらず、旧経営陣にも甘い処分が下されるだろうと暗い予見を披露している。
企業の自浄能力の欠如、そして司法や監視機構の機能不全。ならば、最後の拠り所として、メディアの役割は限りなく重い。しかし、オリンパス事件は、大手の新聞やテレビ局の柔らかい脇腹を思うさま曝してしまった。情報誌「ファクタ」がオリンパスの不正を連打で報じているのを承知しながら、既成のメディアは知らぬふりを決め込んで記事にしようとしなかった。オリンパスが白を切り、司法当局も捜査に乗り出さなかったからだ。日本のメディアはいつから当局の動きを待って報じることを「自らのコンプライアンス」にしてしまったのか。この国のジャーナリズムにとって、訴訟のリスクに耐えて不正を暴きだす「調査報道」は死語になってしまった。司法当局が動かなければ事件を報じられないメディアなど要らない。
オリンパス事件は、日本の企業社会を十重二十重に覆っている病弊をニッポン症候群として明るみに出してみせた。その闇は深い。