「諜報の天才 杉原千畝」 白石仁章著
「知られざる情報活動の全貌」
日本の外務省には2人の異能の士がいる―。その存在は早くから聞き及んでいたが、実際に会ったのは随分と後だった。1人は、モスクワの「ラスプーチン」こと佐藤優。いま1人は外交史料館の「ポアロ」こと白石仁章。戦後の日本からインテリジェンス・オフィサーは絶滅してしまったのだが、2人は氷河期の蝶のように生き残っていた。
そして「命のビザ」でユダヤ人を救った杉原千畝の事績を発掘し、名誉回復に取り組んだのがこのふたりだったのは偶然ではない。現代日本の優れた情報士官は、真のインテリジェンス・オフィサー、杉原の素顔を見誤らなかった。
1940年夏、リトアニアの首都カウナスにいた杉原領事代理は不可解な公電を本省に再三発出し、ユダヤ難民に通過ビザを発給してよいかと請訓する。本省からは「否」の訓令が届くのだが、そしらぬ顔で本省に発給の可否を尋ね続けた。領事館の閉鎖後も、ビザの日付を操作しビザの発給をやめなかった。すべては自ら署名したビザの効力を担保するための巧みなアリバイ工作だった。白石仁章は膨大な史料の海に分け入り、スギハラ・マジックを読み解いていった。快刀乱麻の推理はポアロ探偵のそれだった。
杉原千畝が発給した2139通のビザはヒューマニズムの物差しでは実像が見えてこない。全欧に張り巡らされたユダヤ系の情報網は、「命のビザ」と引き換えに一級の機密情報を差し出していたのだ、と白石は喝破した。
動乱のさなかには、ビザは魔物にも宝石にもなる。杉原は満洲に在勤当時、優れた情報能力を駆使して北満鉄道の買収交渉でソ連側を手玉に取った。このためソ連当局は、ビザ給を拒否して杉原のモスクワ赴任を阻んだのだった。
その2年後、杉原はカウナスでユダヤ難民の命を救い、戦後世界の種をまいた。
欧州のユダヤ人情報組織は、民族の生き残りを策して、ひとりの日本人外交官に全てを賭け、杉原はこの機をとらえて祖国に珠玉の情報をもたらした。知られざる杉原千畝の情報活動の全貌は白石の筆でいまによみがえった。