手嶋龍一

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手嶋流「書物のススメ」

「山本五十六の乾坤一擲」 鳥居民 著

~日米決戦・・・史実の闇に挑む~

書評 連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を立案した山本五十六は、なぜ空母機動部隊を率いて、ハワイ沖に出撃しなかったのだろうか―。この奇襲計画には海軍の軍令部ばかりか連合艦隊の幕僚さえ「あまりに投機的」と反対していた。孤立無援の作戦だっただけに、山本が自ら旗艦赤城に座乗し、奇襲の総指揮をとらなかったのかと永く疑問だった。

 鳥居民の新著『山本五十六の乾坤一擲』を読んで、山本にはやはり日本周辺を離れられなかった深い事情があったのだと得心した。この特異な歴史家の炯眼にはいつも驚かされる。常の歴史家は公文書や回想録にすがって歴史を紡いでいく。だが、大著『昭和二十年』を書き継ぐ在野の歴史家は違う。膨大な史料をむさぼり読みながらも、史料に書かれていない史実の闇に挑んできたのである。その果てに、悲劇の提督が企図した「乾坤一擲」に一条の光を当てた。

 昭和16年11月30日―。それは日本の運命を決めた日だった。すでに択捉島の単冠湾を発った機動部隊は、日付変更線を越えて濃霧の北太平洋を東進しつつあった。真珠湾沖まであと1週間の位置に迫っていたその時。高松宮は参内して昭和天皇と相対していたのである。翌日の御前会議で英米と12月8日に戦端を開くことを決める運びになっていた。

 「高松宮殿下御上がりになりたるが、其時の話に、どうも海軍は手一杯で、出来るなれば日米の戦争は避けたい様な気持ちだが、一体どうなのだろうかね、とのお尋ねあり」

 天皇のたったひとりの相談相手、内相の木戸幸一は日記にこう記している。鳥居民は、この日記で木戸が記さなかった事実を執拗に追っていった。そして、軍令部に席を置いていた高松宮は、連合艦隊司令長官の山本五十六を直ちにお召しになり、アメリカと戦さをしてはならない理由を直接お尋ねくださいと天皇に訴えた―鳥居民はそう書いている。

 高松宮を動かしたのは山本だった。真珠湾攻撃を思い立ち、奇襲作戦を強硬に推し進めながら、同時に最後の瞬間まで対米戦争を避けようと極限の政治工作を試みていた―。常の歴史家たちは、そんな史実はどの史料に載っていないと嗤うだろう。だが、外交の決定的瞬間に立ち会ってきたジャーナリストとして言えば、機微に触れる事実ほど記録に残されることはない。

 軍令部総長を差し置いて山本を呼び、政道の筋を曲げるわけにはいかない、と天皇は高松宮の諫言を退けてしまう。山本が召されることはついになかったのである。この工作に関わった者たちは、この判断がその後の日本にいかなる運命をもたらしたのかよく知っていただけに、戦後も沈黙を守り続けた。内大臣の木戸は、この工作を背後で潰した張本人だった。それゆえ戦後は、対英米戦を避けて中国からの撤兵を呑めば内乱を招いていた、と虚言を弄した、と鳥居民は震える筆致で断罪している。

 連合艦隊司令長官に代わって急遽召された軍令部総長らは、天皇に型通りの応答しかしなかった。海軍の最高首脳は内心では来るべき日米決戦に自信などなかったのだが、時の流れに身を任せたまま、輔弼の責務を全うしようとしなかった。政治決断の衝にある当局者たちの不作為は、決してこの時だけにとどまらない。この国を覆う不治の病弊といっていい―。提督の「乾坤一擲」はわれわれにそう語りかけている。

2010年9月5日付 熊本日日新聞掲載

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