「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス〈新装版〉」 若泉敬 著
新装版に寄せて
書斎の窓から見わたす庭は荒れて寂寥の感が漂っていた。主を喪って久しく膨大な蔵書を手に取る者もいなかったのだろう。この国の行く末に思いを残しつつ逝った人の形見に蔵書を持ち帰ってほしい―。そんな申し出に、迷わず『石光真清の手記』の愛蔵本をいただいた。随所に付箋がつけられ、繰り返して読みこんだ跡が窺えた。
書庫の主は、沖縄返還交渉にあたって、時の総理、佐藤栄作の密使をつとめた若泉敬。戦火が極東に及んだ時には、沖縄へ核兵器の再持ち込みを認める―。東京・ワシントンを極秘裡に往き来しながら「秘密合意議事録」を取りまとめた若き国際政治学者だった。コードネームは「ヨシダ」。密約の存在を知っていたのはたった四人だった。日本側は佐藤栄作と若泉敬、アメリカ側は大統領リチャード・ニクソンと国家安全保障担当補佐官ヘンリー・キッシンジャーだ。
佐藤政権は、「核抜き本土並み」で沖縄返還を公約として掲げ、対するニクソン政権は、ベトナム戦争が激しさを増すなか、極東の策源地、沖縄の基地を自由に使用したいと譲らない。日米の交渉は苛烈を極め、双方の主張は平行線のまま交わらない。この平行線があえて交わったと見せたのが「秘密合意議事録」だった。
いま新らたに誕生した民主党政権は、核を巡る日米密約の全貌を明らかにすると国民に約束している。だが沖縄への核兵器の再持ち込みに関する限り、その全貌は本書に書き尽くされている。密約を裏付ける文書も整い、米側の公開文書とも符合して矛盾点はない。
若泉敬はこの密約交渉をやり遂げて沖縄が日本に還ってくると郷里の福井県鯖江に隠棲してしまった。そして再び世に出ようとはしなかった。一切の沈黙を守り通して国家の機密を墓場まで持っていくつもりだった。だが沖縄返還から日が経つにつれ、祖国の姿がしだいに愚者の楽園と映るようになっていく。日米同盟に安易に身を委ねて安逸をむさぼり、アメリカの核の傘に身を寄せて、自国の安全保障を真摯に考えることをやめてしまった経済大国への憤りを抑えがたかったのだろう。
いまこそ密約のすべてを明らかにし、主権国家が持つべき矜持を忘れ果てた日本に覚醒を促したい―。かくして、密約の全貌を白日のもとに曝した本書の前身、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』が一九九四年に公刊された。日清戦争の後、三国干渉に遭って譲歩を余儀なくされた陸奥宗光の『騫々碌』の一節から採って標題とした。それは現代日本への諫言の書でもあった。
本書はおのが死を視野に収めて書き継がれた。若泉敬は国家の機密を公にした結果責任をとって、この書を刊行した後沖縄の忠魂碑前で命を絶つ覚悟だった。その決意が堅いことを知っていた私は、せめて英語版を世にだすまでと説得した。そんな日々のなか、若泉が心の拠り所としたのが『石光真清の手記』だった。誕生間もない明治国家を列強のなかで生き延びさせるため、露探と蔑まれた対露諜報員に身をやつした明治の武人に自らの境遇を重ね合わせたのだろう。そして二年後、月下美人が咲く南海の孤島で英語版の序文を書きあげた後、毒杯をあおって自裁した。
四人が交わした密約は果たして必要だったのか―。こう冷徹に見立てることもできるだろう。一九六九年の「佐藤・ニクソン共同声明」は、沖縄返還に当たっては米側の核政策を損なわないと述べ、行間に有事の核持ち込みを滲ませている。ニクソンとキッシンジャーは、若泉との折衝で、その行間を敢えて埋めるよう求めてきた。米側は、大統領選挙の公約だった繊維製品の自主規制を佐藤政権に呑ませるため、密約を存分に利用したのだった。そして若泉はこころならずも繊維を巡る日米の密約にも巻き込まれていく。その秘密合意や交渉メモも保存していた。だが自裁にあたって、その全てを焼却したと本人から聞かされた。それは、沖縄の密約とは異なり、忌むべき合意だったのだろう。だが日米関係の文脈からは、庭で燃やされた資料こそ貴重だった。日米が同盟の契りを結び、それを維持していくことが、どれほどに苛烈なものか、それを後世に伝えるまたとない材料だったからだ。
密約は不可避だったのか。この問いに答えが出なくとも、新しい形で刊行された本書の価値はいささかも減じない。二十一世紀の太平洋同盟を担う若い世代は、本書から安全保障が直面する本質を掴み取り、太平洋の波を穏やかならしめてほしい。