手嶋龍一

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手嶋流「書物のススメ」

「聖獣配列」 松本清張 著

解説

バラク・フセイン・オバマは、黒人のアメリカ大統領ではない。確かに肌の色はそれなりに黒い。だが彼の父親はケニヤから留学生としてハワイにやってきた人であり、奴隷の血は一滴も流れていない。だがより本質的な理由は彼の言葉にある。オバマの話す言葉には黒人英語の痕跡がないからだ。彼と親しく言葉を交わした者はみな「黒人とは感じられない」と言う。奴隷たちは綿花畑の働き手としてアフリカ大陸から売られてきた。彼らはその苦難の歴史ゆえに哀歓溢れる音楽を生み、独自の話し言葉を育んできた。黒人奴隷の子孫は、公共の交通機関ですら白人と席を同じくすることを許されなかった。人種隔離政策とは、黒人奴隷と白人移民の子孫を隔てる高い障壁だった。移民の系譜に属するオバマの英語に、黒人独特のアクセントや言い回しが窺えないのも頷けよう。

それぞれの家族の歴史には、固有の話し言葉が刻み込まれている。島根の農家の嫁は土地の言葉を話し、九州の警察官の娘は玄界灘の言葉をしゃべり、良家の子女は山の手の言葉を操る。その人がいかなる社会階層に属しているか、世間話をするだけで判ってしまう。話し言葉は、日々の暮らしを映す鏡なのである。それゆえ松本清張も作中の人物が交わす会話にこだわり続けた。『聖獣配列』に登場する女性主人公にこう語らせている。

「ジェームス。あなたのお仕事の邪魔は決してしないわ。そのとき、わたしのちょっととした悩みを聞いていただきたいの。ねえ、おねがいだから」

このせりふは、英語でアメリカ大統領に話しかけたものなのだが、その口吻をそっくり日本語に置き換えたものだった。相手が世界最高の権力者だからこんなもの言いをしたのではではない。かつて実際に使われていた会話体だったからだ。

いまは銀座のバーで雇われマダムをしている可南子。彼女はかつて赤坂の夜を代表するキャバレー「トロピカーナ」で働いていた。そこで客と交わしていた会話体は、語尾に微妙なニュアンスをこめる「トロピカーナ語」とでも言うべきものだった。薩摩からやって来た明治の元勲たちの子女が創りだしたと云われる「山の手言葉」。その洗練され響きと用語法を巧みに取り入れた独特の日本語であった。作中では赤坂のハイクラスなキャバレー「トロピカーナ」としているが、いまや伝説となった「コパカパーナ」であることはいうまでもない。日本人離れした肢体をもつ美女たちが腰のくびれたロングドレスに身を包んで踊る光景は華やかなパリの夜にひけをとらなかった。そんな彼女たちは洗練された言葉遣いで客たちと談笑していた。それは溌剌と息づく言語だったのである。そんな言葉遣いなら、美女たちの悲惨な戦争体験も、地方都市の出身であることも、貧しい家庭の出であることも、すっぽりと包み隠してしまう。

こうした社交の舞台に賓客としてやってきたのが、アメリカ上院の院内総務、ジェームス・バートンだった。そして可南子と情熱的な二夜を共にする。十二年の後、彼女の前に再び姿を現したジェームス・バートンは、アメリカ大統領になっていた。逢い引きの場所も都内のホテルではなく東京・元赤坂の迎賓館だった。大統領専用のスィート・ルームには、黒緑色のマントルピースがしつらえられ、黒檀の小テーブルが置かれていた。ふたりはここで甘い思い出に浸りながら一夜を過ごしたのだった。

事件はこの夜から始まる。大統領は日本の総理と密談を交わすため、可南子のいるベッドをそっと抜け出した。そしてスイス銀行に莫大な政治資金を振り込む段取りを整えたのだった。可南子はその謀議に加わった一行をたまたま目撃し、持っていた小型カメラに収めてしまった。そのなかにチューリッヒのプライベート・バンクのオーナーが混じっていた。

一九八三年九月から一九八五年六月まで「週刊新潮」に連載された作品である。いまの読者にとっては、アメリカ議会の大物がいかに高級とはいえ赤坂のキャバレーで知り合った美女と一夜を過ごすなど、安手の作り物と映るのかもしれない。だが、昭和三〇年代ならさほど珍しい話ではなかった。可南子のような美女を「トロピカーナ」に送り込んだのは、敗戦の爪痕を残す日本の貧しさだった。そんな現実にすっと入り込むことができる読者なら、『聖獣配列』はぐんとリアルな物語として迫ってくるはずだ。優れてスケッチ力に富んでいた松本清張は、あの昭和の日々に生きた女性たちの群像を精緻に写し取っていた。

占領期が終わってもなお、東京・赤坂の超高級クラブには、巨大な利権を握る在日アメリカ軍の最高幹部、巨額の戦時賠償の供与先であるインドネシア政府の高官、世界銀行の融資を左右するニューヨーク財界の大立者が出入りしていた。日本の戦後裏面史を彩る戦時賠償汚職、航空機商戦、大型ダム建設をめぐる疑獄事件の舞台だった。『聖獣』』の主人公可南子が、アメリカ政界の大物と繫がっていてもさして驚くには当たらない。

物語のリアリティを担保する鍵は意外なことに会話体にあった。これは松本清張作品に限らない。この時代の優れた書き手たちは、作中の男女が交わす会話に心血を注いだのだった。梶山季之物の代表作『赤いダイヤ』を見てみよう。ユダヤ系の実業家と暮らし、輸入ものを扱う銀座の高級店で働く井戸美子。彼女はこの同棲相手と手を切り、輸入外貨の割り当て枠を売買する「リテンション・ビジネス」に手を染める。ビジネス。パートナーと利益の取り分を決める場面が描かれている。

「ええ。おいやかしら」「その代わり、もうけは七、三よ。あたしが七で、木塚さんが三の割合・・・。この条件では、ご不満かしら?」

鎌倉夫人が操るような優美なイントネーションを語尾に配して、獲物の分け前を話し合う美しい女。純文学の作家たちが技巧的な文章術で心象風景を書きついでいるとき、週刊誌のトップ屋だった梶山季之は洗練された言葉遣いを武器に強欲な男と渡り合う女性像を見事に描いてみせた。彼女たちは過去を葬り去るために、かつて話していた言葉も地中深くに封印した。『ゼロの焦点』でも、かつて米兵相手に身体を売っていたヒロインが、古都金沢で知的な名流夫人に変貌したのも同じ戦後の風景だった。

こうした作品を書くため松本清張は、現実の社会に情報源を張り巡らし、時代のいまと切り結んでいたのである。だが戦後の昭和の舞台はあまりに早く回転していった。ドルの割り当て枠がゴールドに等しかった時代は遠くに飛び去り、許認可権を握る高級官僚の力を次第に萎えさせていった。並みの作家ならそうした現実から眼をそらし、昔の名前で世過ぎ身過ぎをしたことだろう。だが松本清張はいまに挑むことをあきらめなかった。有力出版社の週刊誌と連携することで、雑誌記者の取材力を存分に使って新たなテーマに分け入っていった。

『聖獣配列』で挑んだ「スイス銀行」がその典型であった。戦後の日本人が理想として憧れた永世中立国スイス。マッターホルンの気高い雪をいただくこの小国は、幾度の戦火にも毅然として平和を守りぬいた。だがこの国は奥深くに野獣の本性を宿していた。外国要人への賄賂資金、武器密輸の取引代金、亡命に備えた秘密預金。わけありの金を何処からともなく吸い寄せるプライベート・バンクこそ「聖なる獣」だった。松本清張は、破られることのない暗号の乱数表を読み解くように「聖なる獣」の素顔を抉り出そうとした。

「聖なる獣」の正体に何処まで迫ることができたのだろう。正直に記せば固い岩盤はついに突き崩せなかった。七十二歳の作家が、ロッキード事件に触発され、新たな領域に挑んだ野心作なのだが、「聖なる獣」もまたしたたかだった。雑誌記者とともに現地で丹念な取材を続け、現地に駐在する日本人金融マンにインタビューを試みたが、「聖なる獣」の鉄壁は容易に揺るがなかった。スイスのプライベート・バンクとは短期間の現地取材で突破口が開かれるほど生易しい相手ではない。彼らの利益の源泉である守秘義務とはそれほどに堅かったのである

インテリジェンス小説と評された『ウルトラ・ダラー』を執筆する過程で、筆者もスイスのプライベート・バンクに挑んだことがある。それだけに松本清張のファイティング・スピリットに満腔の敬意を表したい。疑惑の銀行はレマン湖のほとりにひっそりと建っていた。北朝鮮の独裁者の御用達銀行といわれたマカオの「バンコ・デルタ・アジア」からもこのP銀行には黒い資金が流れ込んでいた。独裁者の三男がスイス留学中に資金の面倒をみていたのもこの銀行だった。オーナーが秘蔵するクラシックカーに同乗させてもらい、優雅な邸宅と見紛うような銀行の内部をオーナー自らの案内で見せてもらった。有名美術館でもめったにお目にかかれない絵画がさりげなく壁に架かっていた。アメリカの捜査当局と貴重なインテリジェンスをやり取りして、プライベート・バンクという名の獣道に踏み込んでいった。だが、なおその闇は深かった。

だが再び舞台は回りつつある。「顧客の守秘義務厳守」という大儀を盾に抗戦を続けてきたプライベート・バンクの堅城がいま陥落しようとしている。アメリカ政府やEU加盟国が、タックス・ヘヴンや黒い資金の洗浄に使われてきた「聖なる獣」をもはや容認しないと通告したからだ。 あと何年かすると、スイスのプライベート・バンクで実名も告げずにナンバーだけを示して何億円という現金を引き出す場面など小説の一場面になってしまうだろう。ちょうど赤坂の高級クラブ「コパカパーナ」で、インドネシア大統領に貢物として女性を差し出すようなビジネスが実際に行われていたことを誰も信じなくなるように―。だが、かつて美女たちが操っていた会話には微か密やかなディールの痕跡が残っている。

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