手嶋龍一

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ロシアのウクライナ侵攻と日本が知るべき国際社会のいま

三つのオリンピックとロシアの軍事侵攻

 「プーチンの戦争」は、南東部の要衝マリウポリに無差別攻撃を仕掛け、多くの子供や女性を殺害している。国際法と国連憲章に反する戦争犯罪として歴史の厳しい審判を受けるだろう。プーチン大統領率いるロシア軍は、対ウクライナ国境を冒したが、ウクライナ側が挑発した事実はない。だが独立国家の主権は無惨に踏みにじられてしまった。

 二一世紀のいま、かかる「不正義の戦争」がなぜ引き起こされたのか。プーチンが始めた不正義の戦争とここに至る経緯は区別し、外交・安全保障の視点から冷徹に分析する必要がある。いたずらに感情に走って「プーチンの蛮行」を非難するだけでは、現下の危機を抜け出す調停の糸口を見つけることはできない。

 私は二〇一四年のクリミア併合の際、ウクライナこそ「二十一世紀の火薬庫」と題する記事を現地から送り、導火線はやがて台湾海峡に及ぶだろうと警告した。この時もプーチンの侵攻の隠れ蓑に使われたのが「オリンピック」だった。「平和の祭典」が巧みに盾に利用され、クリミア半島は呑み込まれていった。

 二〇〇八年四月、アメリカ主導の軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)首脳会議で、旧ソ連の一員だったウクライナとグルジアのNATO加盟を受け入れる合意がまとまった。近い将来、両国をNATOに参加させると「共同声明」に謳いあげたのである。これにプーチン(当時、首相)は怒りを露わにし、その八月、北京オリンピックの開幕に乗じて、ロシアはグルジア(現・ジョージア)へ侵攻した。いわゆる「南オセチア戦争」である。この侵攻によってグルジアから南オセチア自治州とアブハジア自治共和国を独立させ、ロシアの影響下に組み入れてしまった。ウクライナ戦争の原型はこのグルジア侵攻にこそある。

 一四年二月に冬のソチオリンピックが終わったのを見定めて、ロシア軍は三月初頭にクリミア半島へ軍事侵攻し併合してしまう。「駐留は親ロシア派勢力からの要請だ」というのがプーチンの変わらぬ言い分だった。その直後、親ロシア派武装勢力はウクライナ東部のドネツク・ルガンスク両州を占拠し、実効支配下に置いたのだった。

 そして二二年二月四日、冬の北京オリンピック開会式を機に、プーチンは北京に乗り込んで習近平と首脳会談に臨み、ウクライナへのNATO拡大に反対する「共同声明」を取りまとめ、中露の蜜月ぶりをアピールした。多数メダルを獲得して凱旋帰国したロシア選手団を迎え、国民の愛国心を煽った。

 二月二一日には、ドネツク州とルガンスク州を「人民共和国」として承認した。「平和維持」の名目で占領軍を送りこんだのだが、これは「プーチンの戦争」の序幕に過ぎなかった。国際社会の眼が北京オリンピックに注がれるなか、ウクライナ侵攻への命が密かに下され、二月二四日には精鋭部隊に全面侵攻が下令されたのである。

 われわれはどこかで同じ光景を目にしなかったろうか。ナチスドイツの武力介入がそれだった。ベルリンオリンピックを控えた三六年三月、ヒトラーは薄氷を踏む思いで独仏国境のラインラント地方の非武装地帯に進駐した。ロカルノ条約を踏みにじる蛮行だった。

 のちにヒトラー自身が「もし英仏が武力で応じてきたら、ドイツ軍はすごすごと撤退せざるを得なかった」と述懐している。ドイツの軍備は整っていなかったからだ。だがフランスは複雑な国内事情を抱え、イギリスも厭戦気分が横溢していたため動こうとしなかった。

 その五か月後、ヒトラーは夏のオリンピックをベルリンで華々しく開催した。レニ・リーフェンシュタール監督は、記録映画「民族の祭典」を制作し、ナチスドイツの国威をおおいにアピールしたのだった。

 ヒトラーはこの二年後の三八年九月、英独伊の首脳とミュンヘンで会談した。この席で「チェコスロバキアのズデーテン地方をナチスドイツに割譲してくれれば、領土に関する要求はこれを最後にする」とうそぶいた。ズデーテン割譲を認めて、第二次世界大戦の危機を脱したイギリスのチェンバレン首相は「凱旋将軍」のようにロンドンに迎えられた。

 だが翌三九年九月、ヒトラーは約束を反故にしてポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まった。独裁者の手法は、かつてもいまも驚くほど似ている。独裁者の領土欲を満たすため、オリンピックまで侵攻の道具と盾として利用する手法までそっくりなのである。

ウクライナ危機と台湾海峡危機

 こうしたプーチンの侵攻スタイルは何に衝き動かされ、いかなる「内在的論理」に拠っているのか。その人物像を探りながら分析してみよう。八五年から九〇年までの五年間、プーチンは旧東ドイツのドレスデンで情報機関KGB(ソ連国家保安委員会)の幹部として駐在していた。八六年四月、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所(現・ウクライナ)で未曽有の爆発事故が発生する。

 「神の火」にも譬えられる原子の火の制御に失敗したことがきっかけとなり、ソ連の支配体制はガラガラと崩れ去っていった。プーチンは、原子力システムを統御できなかったことこそビエトの支配体制を崩壊させたと覚ったのだろう。八九年一一月にはベルリンの壁が崩壊し、一二月には地中海のマルタ島でゴルバチョフ書記長とパパ・ブッシュ大統領が会談した。私も現場で取材したマルタ会談で永かった冷戦は終わり、九一年一二月にソ連は崩壊した。

 祖国、ソビエト連邦が冷たい戦争に敗れ去っていく様を、モスクワではなくドイツの地で、プーチンが目撃したことが重要だ。プーチンはのちに故郷サンクトペテルブルクに帰り、個人タクシーの運転手をしながら、祖国が壊れていく惨めさを思うさま味わったのだった。自分も権力の座を追われた屈辱に耐えつつ、「いつの日かロシアに栄光を」と心に誓ったという。

 九九年三月には、ポーランド、ハンガリー、チェコがNATOに加盟を果たし、同じ年の八月にはプーチンが首相の座に就いている。翌二〇〇〇年五月に大統領となった。ロシアを率いるプーチンからは、西側の前線が刻々とロシア国境に迫り、自国の安全が脅かされていると危機感を募らせたのだろう。そんなプーチンにとって「最後の砦」がウクライナだった。この緩衝国だけは、どんなことがあってもNATOに引き渡すわけにはいかないと考えた。ウクライナのNATO加盟こそ武力侵攻も辞さないプーチンの「レッドライン」になったのである。

 プーチンが勝手に引いた「レッドライン」を容認し、不正義の戦争を正当化することは断じてできない。だが、欧米の、とりわけ米国の安全保障当局者は、ここに至るプーチンの「内在的論理」は、忘れるべきではなかったろう。これこそ「プーチンの戦争」の引き金になりかねない決定的要素だった。今後の和平交渉の道筋を探る意味でも極めて重要なのである。

 この「プーチンのレッドライン」は、ウクライナと並ぶ世界大戦の危機を孕む台湾危機と対比してみると分かりやすい。台湾の独立派が、何らかの形で中国からの独立を宣言してしまえば、中国の侵攻を招く恐れが大きい。〇五年三月には、中国で「反国家分裂法」という法律が可決された。この法律の第八条にはこう書いてある。

 〈「台独」分裂勢力がいかなる名目、いかなる方式であれ台湾を中国から切り離す事実をつくり、台湾の中国からの分離をもたらしかねない重大な事変が発生し、または平和統一の可能性が完全に失われたとき、国は非平和的方式その他必要な措置を講じて、国家の主権と領土保全を守ることができる。〉(中華人民共和国駐日本国大使館ウェブサイトより)

 台湾独立が武力介入のトリガー(引き金)となり、中国人民解放軍が台湾海峡を渡ると法律に明記されているのである。

 台湾側が独立を宣言しながら、中国の指導部が手をこまねいれば、習近平に限らずどんな指導者も失脚を免れないだろう。台湾がレッドラインを渡ったと断じれば、どんな指導者も人民解放軍に侵攻を命じるに違いない。だが実質的には自動発動の措置とみなしていい。

 明示的な「独立」宣言は、中台戦争の明らかな導火線となると皆が理解している。それゆえ、いかに過激な台湾の独立派も一線を超えないよう慎重に行動している。重要なことは、容認できない一線を越えたか否かを判定するのは、日・米・台の側ではない。北京が「レッドライン」を越えたかどうかを決め、台湾海峡を渡る命令を出すのである。

 ロシアのプーチン政権にとって、ウクライナとジョージアのNATO加盟は、同様の意味を持っている――米国内の名だたるロシア専門家は、そう警告してきた。二〇一九年に大統領の座に就いたゼレンスキー、二〇年にホワイトハウス入りしたバイデンは、この「レッドライン」の存在にどれほど自覚的だったのか。この点は十分に検証されてしかるべきだろう。

バイデン大統領の錯誤と失敗

 「プーチンの戦争」を抑止できなかった結果責任はだれが負うべきか。今回の開戦のプロセスを振り返るとき、アメリカのバイデンの責任は極めて重いと言わざるをえない。ホワイトハウスで歴代の大統領が力を行使する瞬間に立ち会ってきた外交記者としてそう思う。

 二一年一二月八日、バイデンとプーチンはビデオ電話による首脳会談を開いた。バイデンはこの場でウクライナへの米軍派遣を検討していないと早々に明言している。二月二四日にロシアがウクライナに侵攻したときも、バイデンは「ウクライナで米軍がロシア軍と戦うことはない」と演説した。

 歴代の米大統領は「私の机の上にはall means(あらゆる選択肢)が置いてある」と言ってきた。「武力行使」を明言すべきだったと言っているのではない。軽率な発言は第三次世界大戦の引き金を引きかねない。それゆえ、婉曲的に「all means」と表現し、スーツの内ポケットにピストを秘めていると仄めかしてきたのである。懐に一物なしと明かしていいわけがない。

 第三次世界大戦の最悪の事態を避けるためにこそ、究極の武力行使の可能性を秘め、抑止を効かせておく。これが超大国の指導者の姿勢であるべきだろう。キューバ危機(六二年一〇月)に直面したケネディ大統領はじめ歴代大統領は、急遽のディレンマを抱えながら、核戦争の危機を凌いできたのである。

 ところがバイデンは「ホワイトハウスの執務室の机の上には、そもそも武力行使という選択肢はない」と明言して、いきなり手の内を明かしてしまった。バイデンの軍事不介入の発言で、プーチンは安んじてウクライナへの侵攻を決断した。

 バイデンの迷走は開戦前から始まっていた。ロシアへの経済制裁を巡っても、「ドネツクとルガンスク一帯の限定的な侵攻であれば、経済制裁をしないか、もしくは非常に小ぶりな経済制裁にとどまる」と言ってしまった。

 開戦六日前の二月一八日、バイデンは「プーチン大統領は軍事侵攻を決断した」と明言した。アメリカはインテリジェンス・ウォー(情報戦)を通じて、ロシア軍がウクライナへ侵攻する「能力」と「意志」を両方もち、その発動を確信したことを内外に明らかにした。にもかかわらず、バイデンは戦争を抑止するための有効な手立てを何ら打とうとしなかった。戦争の危機が迫っているにも関わらず、経済制裁を言うだけで、安全保障上の措置をとらずに傍観していたといわれても仕方ないだろう。プーチンの武力発動のプロセスを検証すれば、バイデン政権の迷走に次ぐ迷走に言及せざるをえない。

停戦のカギを握る中立化と非武装化

 だが、米国の抑止は破綻し、戦端は開かれてしまった。いまは一刻も早く戦火をとめて子供や女性の命を救うべき時だ。外交の出番がこれほど求められている時はない。現に様々なレベルで交渉が行われている。日本では調停交渉と戦闘を対極のものと見なしがちだ。」だがぎりぎりの外交の現場で目撃してきた外交記者からいえば、大きく立場がことなる両当事者が、〝歩み寄る〟ことなど期待できない。優れた外交の技は、交わらない平行線を交わったと見せて双方の妥協を引き出すことにある。外交もまた“言の葉の戦争”といわれる所以なのである。

 その意味で現下のウクライナ戦争を止めるキーワードは「中立化」だ。プーチンのロシアは、停戦の条件として、当初は「中立化」と「非武装化」を挙げていた。これはウクライナのゼレンスキー政権に、実質的な無条件降伏を求めるに等しい。だが、ウクライナ側も「中立化」だけなら受け入れが可能だろう。現にウクライナはNATOに加盟していない、現状を「中立化」と表現し、将来の加盟にいまは明言しなければ妥協が可能だろう。一方でウクライナの非武装化は、武装解除とロシアへの併合に道を拓いてしまう。キエフ攻防戦は双方にとって苛烈を究めた戦いになっている。この戦局の行方こそ、「プーチンのロシア」に非軍事化の要求を実質的に取り下げさせるカギとなろう。そのためにも、プーチンという独裁者の「内在的論理」を十分に理解し、妥協を引き出す外交の力が欠かせない。

 超大国アメリカは、外交上の手厚い資産、とりわけ傑出したロシア専門家を抱えている。「プーチンのロシア」が歩んできた道のりを知り尽くし、妥協に誘う方法を熟知する人々がいる。だが、バイデン政権はそれらの知的な蓄積を存分に活用して対ロ包囲網を築けずにいる。アメリカの対ロ外交、そして安全保障政策の再建は急務だと思う。

 西側陣営はいま、ウクライナの戦いと台湾海峡危機という二つの危機に同時に対処を迫られている。こうした状況下で、中ロ連携に傾く「習近平の中国」が仲介外交に乗り出して、ロシア寄りの調停に成功するような事態となれば、東アジアの戦略風景は一変してしまうだろう。ノーベル平和賞を手にした習近平が、その威信を最大限に活用しながら「一国二制度」の名のもとで台湾を併合する事態すら十分にありうるだろう。

 国際社会はいまこそ中露連携の絆を断ち、「未曽有の不正義に中国は加担していいのか」という声を中国の強権的な指導者に届けなければならない。

 近代の中国はアヘン戦争(一八四〇〜四二年)以来、欧米列強や日本から侵略を受け、植民地化されてきた。一〇〇年以上にわたって中国は全き主権を持てなかった。一九四九年中華人民共和国の建国によって、ようやく主権を回復して独を果たした。それゆえ中国は非同盟を標榜し、第三世界のリーダーになった。インドのネルー首相とともに周恩来首相が乗りこんだバンドン会議は(一九五五年四月)、植民地支配の軛から逃れようとしている国々の希望の星となった。

 主権国家の独立を尊重し、武力で主権を冒す振る舞いに異を唱え、第三世界のリーダーを目指す。これが現代中国の生きざまだったはずだ。だが「習近平の中国」は、プーチンの侵略戦争を「軍事衝突」と言い換え、不正義の戦いから目を逸らしていると国内からも厳しい批判が出始めている。

 抵抗の作家、魯迅がプーチンの背後にあって侵攻を支える「習近平の中国」を目の当たりにすれば、怒りの筆を執ったにちがいない。仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)で教え子、魯迅の解剖学ノートに朱筆を入れ続けた藤野厳九郎先生は、心を込めて一留学生に接しただけではない。名作『藤野先生』には欧米列強に主権を踏みにじられながら抵抗する新生中国への思いが行間に滲んでいる。

 「習近平の中国」は、罪なき人々が無差別攻撃で命を落とす現状を侵略と認めず、中国革命の理念に反していると言わざるをえない。日本はいま、東アジアの責任ある大国として、草の根の中国の人びとに建国の大義に立ち戻るよう説くべきだと思う。そして、台湾への武力侵攻がどれほどの代償を払うことになるのか知らしめるべきだろう。


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