手嶋龍一

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台湾危機に備えるバイデン次期政権

 忍び寄る戦争の兆しは、情報(インテリジェンス)分野で最初に現れる――。英国の諜報(ちょうほう)界に語り継がれてきた格言だ。「インテリジェンス」とは、膨大で雑多な「インフォメーション」の海のなかから、えりすぐられ、分析し抜かれた宝石のような情報をいう。国家のかじ取りを委ねられた政治指導者に迅速に提供され、彼らが決断を下すよりどころとなるものだ。

 優れた「インテリジェンス」は、近未来を精緻に射抜く力を宿している。トランプ米大統領の「敗北宣言」なきバイデン次期大統領への政権移行という変事によって、ホワイトハウスにはいま巨大な権力の空白が生じている。各国の情報コミュニティーはその危うさを敏感に感じ取っている。なかでも焦点は台湾海峡だ。

 ハワイの米インド太平洋軍司令部で情報部門を統括するスチュードマン提督は、このほど台湾を訪れ、軍関係者と緊迫する台湾海峡情勢の協議を行った。情報関係の接触は極秘裏に行われるのが常であり、米台当局者がメディアにリークしたのは、北京をけん制する狙いがあったのだろう。

 それほどに台湾海峡の軍事的緊張は高まっている。中国側は、コロナ禍に世界の耳目が注がれている隙(すき)をついて、台湾海峡に軍用機を頻繁に飛ばし、尖閣諸島の周辺にも海警局の艦艇を出没させている。さらに海警局の艦艇が管轄海域で外国船に武器の使用を許可する法律の草案まで明らかにして、さらなる攻勢を強めつつある。


綱領からひっそりと削られたキーワード

 バイデン・ハリス民主党政権が発足すれば、対中国政策もより穏当なものになるという観測が欧米のメディアに見受けられる。だが根拠に乏しい期待と言わざるを得ない。先の米大統領選は、草の根の対中感情が険しさを増すなか、共和、民主どちらの陣営が、「習近平の中国」により強硬なのかを競う戦いとなった。

 それゆえ、バイデン次期政権も中国への厳しい姿勢を堅持せざるをえないはずだ。2020年民主党綱領こそ、その確かな証左である。この8月、民主党は、党大会を開いてバイデン・ハリス両氏を正副大統領候補に指名し、民主党政権の外交・内政の基本政策を採択した。

 この新綱領に「何が書かれている」という以上に、「何が書かれていないか」が時に重要となる。新綱領の草案の外交パートには、国際協調への復帰などがうたわれたが、さして新味はなかった。だが、採択された綱領から重要な文言がひっそりと削られていた。「一つの中国」というキーワードがそれだった。

 従来、米国の対中政策は、1972年に交わされた「上海コミュニケ」が基調となってきた。キッシンジャーと周恩来が知的な格闘を繰り広げた末に取りまとめ、台湾海峡はこの文書によって半世紀の間、波穏やかに保たれてきたと評されてきた。

 その「上海コミュニケ」の台湾条項は、「台湾問題の平和的解決を希求する」と武力行使をけん制し、併せて「両岸の中国人が『中国は一つ』と主張していることを米国は事実として知り置いている」と記している。従来の共和、民主両党の綱領もこれを忠実になぞってきた。

 ところが、バイデン・ハリス両氏が率いる民主党は、新綱領から「一つの中国」をそぎ落としてしまった。「一つの中国」こそ、習近平主席の中国が、台湾を「1国2制度」のもとに統一する大義そのものであり、民主党の決定に北京は怒りを募らせている。


菅首相は中国に明晰なメッセージを

 そうしたさなか、習近平政権は王毅外相を日本に派遣し、対中協調派の二階俊博・自民党幹事長らを通じて日米同盟に楔(くさび)を打ち込もうとしている。米中対立の基調は、バイデン政権になっても変わらないと読んで、日本を引き寄せて米国の力をそごうとしているのだろう。

 今後、日米同盟が劣化して、台湾海峡で米中の武力衝突が起きれば、真っ先に日本に影響が及ぶことは必至だ。台湾海峡危機こそ日米同盟が想定する最大の有事であり、日本のイージス艦隊と対潜哨戒部隊は、米空母機動群と行動を共にせざるを得ないだろう。それゆえ、台湾海峡の有事だけは決して顕在化させてはならない。日本はあらゆる手段を尽くしても外交を通じてしのがなければならない。

 菅義偉内閣は発足以来、日米の安全保障同盟をさらに強固なものにしつつ、同時に中国との安定した関係を築いていくと繰り返している。だが、東アジアの戦略環境は、そうした外交辞令を次第に許さなくなっている。日米の安全保障同盟をさらに堅固な盾としつつ、日・米・豪・印による対中包囲を揺るぎないものとする。そのうえで「習近平の中国」に対して力による海洋や宇宙への攻勢をやめるよう明晰(めいせき)なメッセージを伝える。いまこそ、その時だと覚悟すべきだろう。

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