手嶋龍一

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映画「マン・ダウン 戦士の約束」

 NHKワシントン支局の向かいに建つホテルのベッドでまどろんでいた。連日連夜の中継放送で神経がささくれだっていたのだろう。ああ、緊急の呼び出し連絡がくる――。電話が鳴り始める直前になぜかその気配を感じてしまう。果たして、呼び出し音がけたたましく鳴るのだった。受話器をとると、スタジオに居残っていたディレクターが事態の急変を告げている。

 「カブール郊外まで迫っていたアメリカ軍部隊がいましがた市街地に突入しつつあります。いますぐに中継放送を始めますから、出局してください」

 超大国アメリカの経済と国防の心臓部を攻撃し、三千人もの命を奪った九・一一同時多発テロ事件。そのわずか一カ月後に、アメリカ軍を中核とするNATO軍は、アルカイダを匿っていたアフガニスタンのタリバン政権に襲いかかった。こうしてアフガン戦争が勃発した。

 アメリカの青年たちは、愛国心に駆られて星条旗のもとに馳せ参じ、夥しい若者が中央アジアの戦場に赴いていった。彼らの多くはこの時まだ戦争の大義を疑っていなかったのだろう。

 首都ワシントンに冬の気配が漂い始めた頃、彼らの幾人かは星条旗に包まれた棺に収まって無言で祖国に帰ってきた。ポトマック川を挟んで広がるアーリントン国立墓地に埋葬される兵士。黒の喪服で葬列に従う家族。その姿はいまもわが瞼に焼きついて離れない。

 超大国が始めた戦争の大義を信じたまま逝った兵士たちはまだしも幸せだったのかもしれない。テロの戦闘員と現地の住民の区別がつかず、敵と味方が定かでない灰色の戦場で戦ううち、兵士たちは心を深く病んでいった。からくも生き延びてアメリカの土を踏んだ兵士たちを地獄の日々が待ち受けていた。

 映画「マン・ダウン―戦士の約束―」は、こうした兵士たちの心象風景を初めて映像化してみせた。主人公の帰還兵は、戦死してしまった親友と共に武器を携えて廃墟の街をさまよい、息子と妻を探し求めている。そしていじめを受けている息子を救い出すべく、学校に押し入ろうとする。最後には錯乱して家に侵入し、ベッドで休んでいた息子を見つけて連れ出そうとする。追いかけてくる妻を敵と思い込み、その額に銃口を突きつける。だがそこは帰還兵の愛しの我が家であり、恐怖に駆られた妻は「やめて」と叫んで警察に通報する。それは典型的なPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患った兵士の荒廃した心の風景だった。映画のラストシーンには「イラクとアフガニスタンからの復員兵の五人に一人はPTSDを患っている。二〇万人がホームレス。一日に二十二人が自殺している」という字幕が流れる。

 遥かに太平洋の海原を望むワシントン州のオリンピック半島を訪ねたことがある。そこには広大な温帯雨林の森林が広がっていた。この一帯には心を病んだベトナム帰還兵たちが棲みついていた。彼らのおおくは十代でアメリカ軍に志願し、ベトナムの地で戦った兵士たちだった。

 「殺られる前に殺れ」

 ジャングルの戦場で戦ってみると、上官たちの教えが身に染みたという。実際、生き残るために殺るよりほかにいかなる術もなかったのである。だが来る日も来る日も殺戮を積み重ねていると、彼らの精神には後戻りの効かない化学変化が起きはじめる。それは獰猛な毒が回るような心の腐食だった。そして、戦場を離れた後も、常に何者かに怯え、内側からつきあげてくる暴力の衝動に抗うことができなくなってしまうのだ。 ついには朝起こしに来てくれた母親を敵と思い込み、首を絞めて殺そうとまでしてしまう。 

 そんな自らを恐れ、彼らはオリンピック半島の森の奥深くに逃げ込んで、潜み暮らすようになった。そして、木こりをしながら孤独な日々を暮らす「さまよえるヒーローたちだった。 オリンピック半島を訪れてみるまでは、心を病んだ帰還兵たちがなぜここを終の棲家に選んだのか、その理由がわからなかった。この深い森に分け入って、ようやく納得できた。オリンピック半島に広がる風土に解が隠されていた。太古のままの森に身を浸していると、魂が癒されるのだ。

 いまこうしているうちにも、ベトナム戦争で、湾岸戦争で、アフガン戦争で、イラク戦争で戦って、心を病んだ兵士たちが彷徨っている。いかなる戦争も獰猛な毒を孕んで前線の兵士たちに襲いかかる――。映画「マン・ダウン」はそう私たちに語りかけて、ひたひたと迫ってくる。

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