手嶋龍一

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「危険な作家 手嶋龍一」
鉄の掟は情報源の秘匿。情報の真の価値を見抜き、物語る。

 英国仕立ての背広にトレンチコートを纏って、手嶋龍一は約束の場に現れた。外交ジャーナリストにしてインテリジェンス小説の作家、さらには日本のトップを疾走するサラブレッド・クラブの代表でもある。そんな書き手が紡いでいく物語は危険な要素に満ちている。

 手嶋は2006年、支局長だったワシントンの地でNHKから独立してしまう。チェサピーク湾を望むコテージにこもって『ウルトラ・ダラー』の筆を執った。新種の蝶のように出現した北朝鮮製の偽百ドル札。その軌跡を追って、拉致事件に絡む闇を照射し、背後に蠢く軍事大国、中国の存在を浮かび上がらせる。英国秘密情報部員スティーブンの視点で描かれたこの物語は、過去の出来事をなぞったノンフィクション・ノベルではない。膨大な情報からダイヤモンドのような機密情報、そう「インテリジェンス」を選り抜き、精巧に紡ぎあげられた物語である。それゆえ小説の中で生起する出来事を現実のニュースが追いかけていると評された。

 「確かに物語を書いた時点では何も起きていませんでしたね。(笑)この小説が出版された頃から少しずつ現実になっていきました。それで〝インテリジェンス小説″だと言われたのですが、僕が名付け親ではありません」

 小説に描かれた出来事がやがて事実に変貌していく。『ウルトラ・ダラー』に登場するカジノ都市、マカオの黒い銀行は、北朝鮮の偽ドルを流通させる重要な舞台になった。だが出版の時点では、バンコ・デルタ・アジアにアメリカの捜査当局の摘発は及んでいない。フィクションと見えたストーリーがやがてノンフィクションに染め上げられていく。これこそが「インテリジェンス小説」なのだろう。

 なぜ手嶋はこうした手法をとったのだろう。

 「理由は実に明快です。僕ら書き手のモラルはたった一つ。情報源の秘匿に尽きるのです。ここを誤れば人の命が現実に失われてしまいます」

 情報の提供者は、取材する者を信頼し貴重な情報をそっと明かしてくれる。そんな人々を危険にさらすわけにいかないと手嶋は言う。

 「厳格な守秘義務に縛られる情報の世界では、意外なことに、退屈な解説書より、インテリジェンス小説のほうがはるかに正確に現実を写し取っているのです。だから若い読者にもエスピオナージ小説の古典を薦めています」

 インテリジェンス・ワールドでは、すべてが二重底になっているという。『ウルトラ・ダラー』には、偽ドルを扱うモスクワの北朝鮮大使館を背後の高層ビルから覗き見る場面が描かれている。文庫版解説で、ラスプーチンの異名をとる佐藤優は「半分事実で半分嘘だ」と指摘している。作者は現場を踏んで、窓から覗いている。だがすべてをここでつかんでいるわけではない。もう一つの監視ポイントである東欧の大使館の名があえて伏せられている。すべてを明かせば情報提供者の命が危ないからだと佐藤優は指摘する。インテリジェンス小説ではどこが事実でどのパートが虚構か、その境界は曖昧模糊として定かではない。

 最後にどうしても聞いておきたい質問を著者にぶつけてみた。
「主人公の英国秘密情報部員スティーブン・ブラッドレーは、著者である手嶋さんの分身なんでしょう」

  彼の身に危険が及ぶので答えるわけにはいかないと言いつつ、ぽつりとこう言い残して、けやき坂のカフェテリアから雑踏に消えていった。
 「スティーブンは実在の人物ですよ。でも僕じゃありません。そもそも僕は彼のように井戸茶碗にも浮世絵にも詳しくない。金沢の茶屋街にすっと入り込み、美形の芸妓さんたちにたちまち受け入れてもらえる器量はとても持ち合わせていませんよ(笑)」

 実在のスティーブンも多くの危険を引き受けて、影武者の役を務めているに違いない。

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