手嶋龍一

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真珠湾の現代的教訓 ~パール・ハーバーとヒロシマ~

 殺人を犯して最大の利益を得る者こそ、殺人犯である可能性が高い――アガサ・クリスティの推理小説は、意外にもこうしたシンプルな発想を犯人捜しの基本に据えている。
 アメリカのルーズベルト大統領は、日本の空母機動部隊による真珠湾奇襲を事前に承知していた。だが、ナチス・ドイツへの参戦を忌避するアメリカ国内の世論を突き動かすため、敢えて真珠湾にいた太平洋艦隊を日本海軍に闇討ちにさせた。1941年12月7日の真珠湾攻撃の直後から囁かれてきた「ルーズベルト陰謀説」である。

 先日、テレビの番組で、憲法学者を名乗る「論客」が、真珠湾奇襲の陰謀説を真面目に説いて、対日批判をかわそうとしていた。こうした場面で言い争ったり、批判したりすることなど滅多にない。だが、若い視聴者がかかる杜撰な話を信じ込んでしまってはいけないと思い、反論することにした。
 アメリカ本国でも、修正主義学派に属する人々が、さまざまな陰謀説を発表してきた。だが、厳密な歴史の考証に耐えうるような新しい証拠は今日まで公になっていない。

 永井陽之助は『歴史と戦略』のなかで、日本の有識者のなかにいまなお陰謀説を信じている人が多い歴史的背景を鋭く言い当てている。
「察するに、アメリカ人がパール・ハーバーの『卑劣きわまる、だまし討ち』を信じることで、ヒロシマ・ナガサキの非人道性を正当化しようという心理がはたらいているのとおなじように、われわれもまた、ルーズベルト陰謀説を信じることで、モヤモヤした戦後の対米コンプレックスを一掃し、わが国の自立と誇りを回復したという願望がかくされているのだろう」

 冷戦がいまだ続いていた1980年代の半ばに書かれた論考なのだが、パール・ハーバーとヒロシマに関する限り、日米の位相は大きく変わっていない。それだけに、太平洋戦争が始まって75年が経った2016年という節目に、アメリカのバラク・オバマ大統領が被爆地、広島でヒロシマ・スピーチを行い、日本の安倍晋三首相が真珠湾のアリゾナ記念館を訪れて犠牲者たちに慰霊の祈りを捧げる意義は大きい。太平洋戦争が幕を開けた真珠湾とこの戦争を終結に向かわせた原爆投下の地、広島を日米の首脳が相互に訪れることは、国際社会の秩序が変容しはじめ、新たな時代に入りつつあることを物語っている。

影の主役、トランプ次期大統領

 広島へのオバマ大統領の訪問、そして安倍首相の真珠湾訪問は、ともに背後で第45代アメリカ大統領となるドナルド・トランプ氏の影が見え隠れしている。
 太平洋の波を静かなものにしてきた日米同盟について、共和党のトランプ候補は、大統領選挙のキャンペーンを通じて、日本側に多くの財政負担を求め、見直しの意向を示してきた。

 「日本はどうやって北朝鮮から自国を守ろうとしているのか。日本に核兵器を持たせることは、さほど悪いことではないと思う」(2016年3月、ニューヨークタイムズ紙とのインタビュー)
 戦後のアメリカは、民主、共和のいずれの政権も、日本とドイツに核のボタンを委ねることだけは認めないという原則を一貫して堅持してきた。トランプ発言は、核兵器を東アジアと欧州にさらには中東に拡散させる引金となりかねない。共和党の有力候補トランプ氏のこうした主張にオバマ大統領は強い懸念を抱いたのだろう。その危機感がオバマ大統領にヒロシマ・スピーチを決断させたと言っていい。

 トランプ次期大統領は、「アメリカ・ファースト主義」を唱え、アメリカの国益を何より優先させる姿勢を鮮明にしてきた。戦後のアメリカは、西側同盟の盟主であり、冷戦の終結後も世界の指導的国家であり続けてきた。現に第一次湾岸戦争では、同盟国や国際社会の利益を優先させ、クウェートと安全保障条約を結んでいないにもかかわらず、アメリカの若い兵士は最前線に赴いていった。こうした行動を通じて指導的な地位を揺るぎないものにしてきた。

 「日本もアメリカを防衛する義務を負うべきだ。我々がこう求めたなら、日本の人々はきっと断ってくるに違いない。それじゃ交渉は決裂だと言えばいい。日本は必ずやアメリカを防衛すると我々の要求を受け入れはずだ」
 今回の大統領選挙で隠れた激戦州となったウィスコンシン州ミルウォーキーでの選挙演説である。

 オバマ大統領の「ヒロシマ・スピーチ」は、日米両国にマグマのように堆積されつつある「歪んだナショナリズム」に警告を発するものであった。それゆえ日米の同盟関係を単に軍事的な盟約にとどめることなく、自由や民主主義といった共通の理念を分かち合い、揺るぎない礎の上に築き上げていくべきだと説いている。

 「アメリカと日本は単なる安全保障同盟だけでなく、私たち市民に戦争を通じて得られるよりも遥かに多くのものをもたらす友情を築いてきた」
 安倍演説では、首都ワシントンのフリーダム・ウォールの壁面に刻まれた第二次世界大戦の犠牲者を追悼する4千の星々に触れている。
「その星ひとつ、ひとつが先の戦陣に斃れた兵士百人の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。金色の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません」

 安倍スピーチの草稿を準備したのは、ジャーナリストの谷口智彦氏だが、この演説の行間には、日米同盟が自由と民主主義という共通の価値観を分かち合う「理念の同盟」に脱皮していかなければというトーンに貫かれている。4年間に及んだ安倍・オバマ時代の締めくくりとなる真珠湾会談で「理念の同盟」をより揺るぎないものにしたいと考えているのだろう。それは、トランプ次期大統領との間で、共通の理念を分かち合えずにいる危機感の反映に他ならない。安倍・オバマ時代に太平洋を結ぶ同盟の礎を確固たるものにしておかなければという両首脳の思いが真珠湾会談を実現させたのだろう。

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