手嶋龍一

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核なき世界を求めて
―オバマ・スピーチが訴えたものー

 第二次大戦の「残虐な結末」
"The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki…”

書評  アメリカのバラク・オバマ大統領がそのフレーズを口にした瞬間、私の隣でスピーチにじっと聴きいっていた被爆二世の美甘章子(五四)さんは雷鳴に打たれたように思わず肩を震わせた。 アメリカの大学で学び、彼の地でながく暮らした彼女にとって、核保有国の現職大統領が原爆ドームを背に語った一言(ひとこと)は予期せぬ出来事だったのだろう。

 「アメリカはヒロシマ、ナガサキへの原爆投下を決して謝罪しない」 戦後の歴代政権は、民主党と共和党を問わず「謝罪せず」という基本姿勢を貫いてきた。原爆投下の正当性を次のように国民に一貫して説き続けてきた。 「われわれは原子爆弾を使ったことによって第二次世界大戦をようやく終わらせることができた。そして幾百万という前線の若い兵士たちの命が救われたのである」と原爆投下の正当性を一貫して主張してきた。

 オバマ政権もまたあらゆる機会を捉えて「謝罪せず」と言い募ってきた。だが、人類が最初に原爆を使った広島を初めて訪れたホワイトハウスの主は、無辜の市民の頭上で炸裂した原爆がもたらした現実を「残虐な結末」ときっぱり言ってのけたのである。
 オバマ大統領が原爆の投下を「正当な振舞いだった」と考えているなら“brutal end” とは決して言うはずはない――美甘章子さんはそう受け止めた。 「お父さん、大統領は日本語でヒバクシャと――」章子さんは、その時、原爆の閃光を全身に浴びて耳の一部が溶け落ちた父親の進示さん(九〇)の背をそっと抱き抱え、こう語りかけた。進示さんは幾度も手術を受け、辛くも一命をとりとめた被爆者だ。退院後に廃墟となった自宅に帰りつくと、原爆で死んだ父親が大切にしていた懐中時計を灰の中から見つけ出した。

 オバマ大統領はヒロシマ・スピーチで一九四五年八月六日を「明るく、雲ひとつない、澄み渡ったあの朝、死が天空から降り注ぎ、世界は姿を変えてしまった」と言い表した。そして「閃光と炎の壁が街を破壊し、人類が自らを破滅させる手段を手にしてしまったことを示したのです」と述べた。原爆の閃光を浴びて、父親の懐中時計は瞬時に針が溶けてしまった。だが、文字盤には八時十五分の影がくっきりと刻みつけられていた。

 進示さんは亡き父の時計を原爆資料館に寄贈し、後に国連本部に永久貸与された。だが被爆時計はガラスの陳列ケースから何者かの手で持ち去られてしまった。この時も進示さんは章子さんに「起きてしまったことは恨んでもしかたない」と諭したという。自分たちは謝罪にこだわらない。現職大統領が被爆地を訪れることで核なき世界に向けて一歩でも踏み出してほしいという姿勢につながっている。

 過ぎ去りし71年間の思いを胸に、広島の人々はオバマ大統領を平和記念公園に迎えた。ある被爆者は家族と共に自宅のテレビで、別の被爆者は親しい友人と寄り添って街角から遥か爆心地を望んで、また被爆者の代表は慰霊碑前にたたずむオバマ大統領の姿に眼を凝らした。そして、しばし瞼を閉じて祈る核大国の指導者をじっと見入ったのだった。

 献花を終えたオバマ大統領は、原爆死没者に直接背を向けないように立ち、原爆ドームを左肩に背負いながら全世界に語りかけた。
「われわれはなにゆえヒロシマの地を訪れるのか。それは、さして遠くない過去に解き放たれた恐ろしいあの力に思いを致すためなのです」



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