テロの世紀第二幕でも変わらない情報小国ニッポン
2015年は、パリの風刺新聞社「シャルリー・エブド」を標的とする同時多発テロで幕を開けた。そしてパリ全域を再び恐怖に陥れ、130人を超す犠牲者を出した同時多発テロの余波が続くなかで暮れようとしている。後世の歴史家は「この年を境に『テロの世紀』の第二幕があがった」と記すことになるだろう。
「テロの世紀」の第一幕があがったのは、2001年9月11日だった。国際テロ組織「アルカイダ」が超大国アメリカの経済と安全保障の中枢を標的に自爆テロ攻撃を仕掛けたのである。筆者は冷戦後の風景を塗り替えてしまった世紀の事件を首都ワシントンで迎えた。暮れなずむ夕空に大統領専用ヘリ「マリーン・ワン」が姿を現わし、ホワイトハウスの中庭にジョージ・W・ブッシュ大統領が降り立った光景をいまも忘れない。
「アメリカを攻撃したテロリストと、彼らを使嗾し、匿う組織や国家を区別しない」
われわれホワイトハウス特派員を前に吐いた大統領のひとことこそ「テロの世紀」の幕開けを告げるものとなった。ハイジャック犯を操った国際テロ組織「アルカイダ」を率いる巨魁に鉄槌を下し、テロ組織を匿う「ならず者国家」を許さない。ブッシュ大統領は、彼らを一体とみなして戦う決意を明らかにした。この瞬間に、無期限にして、無制限の対テロ戦争が始まり、われわれはいまもその真っただなかにいる。
「ブッシュのアメリカ」は、その圧倒的な軍事力、警察力、諜報力を駆使して「アルカイダ」の本拠をたたき、国際テロ組織を抱え込んでいたアフガニスタンのタリバン政権を崩壊させた。そしてイラク戦争に突き進んでいった。イスラム過激派は、この戦いの過程で新たな組織に変貌していく。超大国の力が届きにくい、辺境を見つけて潜伏する。そして小さな集団に分かれて自爆テロを仕掛けはじめる。独自の判断でそれぞれに拠点を設けて戦え――こうインターネットを通じて呼びかける「グローバル・ジハード運動」に呼応して、現状に不満を募らせるムスリムの若者たちが立ち上がっていった。
欧米先進国で生まれ育った彼らはやがて「ホームグロウン・テロリスト」の予備軍となる。神の代理人たるカリフが治める「イスラム国」の建設に共鳴して、新たな聖戦に身を投じていった。そしてシリアからイラクに広がる「イスラム国」の支配地域に密かに入り、軍事訓練を受けて再び欧米社会に舞い戻る。表面上はごくふつうの市民生活を続けながら、蜂起の機会をじっと待ち受けていたのである。インテリジェンスの世界でいう「スリーパー」だった。パリを舞台に起きた同時多発テロは、こうしたジハード戦士たちによって引き起こされたのである。
われわれが身を置く「テロの世紀」とはどんな時代なのか。その本質を正確に捉えることこそ、日本を含めた国際社会が新たなテロに備える出発点となる。「アルカイダ」は、オサマ・ビンラディンを最高指揮官と仰ぐピラミッド型の組織だった。これに対してIS「イスラム国」は、分散型の組織形態をとって各地に浸透している。それゆえ同時多発テロ事件を起こした武装グループを摘発しても、モグラの一つを叩いたに過ぎない。果てしなき戦いは今後も続いていく。「イスラム国」はエボラ・ウィルスにも似て、衛生状態が劣悪で、体力の衰えた、国際社会の柔らかい脇腹にとりついて蔓延する。それゆえ、各国は気の遠くなるような忍耐で包囲網を築きあげることを強いられる。だがその一方で、イスラム過激派のテロリストたちは、防疫線を軽々と超えて、欧米の社会に浸透しつつある。
9・11テロの後、国境に堅固な防壁を築きあげ、テロを封じてきたと自負していたアメリカの当局を震撼させる事件が起きた。12月2日、カリフォルニア州のサンバーナディノで起きた乱射事件で14人が殺害されたのである。テロの首謀者は、サンバーナディノ郡に勤めて年収870万円を得ていた公務員だった。彼はイスラム教徒だったが、アメリカ国籍を持つ普通の市民を装っていた。FBIをはじめ捜査・情報当局の監視対象にしていなかった。典型的なホームグロウン・テロリストにしてローン・ウルフ型のテロリストだったのである。彼らの心のなかに芽生え、次第に膨らんでいく憎悪を見出すことなど捜査当局にできるはずがない。
日本政府は一連のテロ事件を受けて12月8日、「国際テロ情報収集ユニット」なる組織を発足させた。外務・防衛・警察の各省庁から20人の要員を集め、4つの在外公館に設けた拠点の20人と合わせて、テロ情報を各国と交換し、分析する。「インテリジェンス・ユニット」を統括するのは杉田和博官房副長官だ。併せて各省庁の局長クラスで構成される「国際テロ情報収集・集約幹事会」を内閣官房に設けて、テロの重要情報を分かち合い、的確に分析して、新たなテロに備えるという。そして来年の伊勢志摩サミットや2020年の東京オリンピックに備える構えだ。
戦後の日本にも、テロリストやスパイが国内に浸透するのを防ぐ「カウンター・インテリジェンス機関」は、警察の警備・公安部局に存在する。だが、G7(先進七カ国)のなかで唯一つ、情報要員を海外に配して対外的なインテリジェンスを収集し分析する機関を持たなかった。新しい政府組織は、そうした日本の弱点を少しでも補おうと設けられたのだろう。
だが、老情報大国として知られるイギリスの政府は、今回のテロ事件を受けて、カウンター・インテリジェンスを担うMI5、対外情報を受け持つMI6、さらに電波傍受などを受け持つGCHQ(政府通信本部)に総勢2千人にも増員を行う意向を明らかにした。これでは「情報小国ニッポン」の現状は改まらない。
所帯があまりに小さく、時に非合法の分野にも踏み込まざるを得ない海外の要員がいないだけではない。第二次安倍内閣の発足に伴って創設した「日本版NSC」である国家安全保障局とどのように連携していくか、必ずしも明確ではない。インテリジェンスの収集・分析をめぐる外務省と警察庁の縄張り争いにいまだ決着がついていないのだろう。国家安全保障局は外務省が防衛省を味方につけて主導しているが、新しい「国際テロ情報収集ユニット」では警察庁が仕切りたいと考えている。各国の政府部内のインテリジェンス機関はいまだに貴重な情報を抱え込んで離そうとしない――。一連のテロ事件は、こうした官僚機構の病弊が少しも改まっていないことをさらけだした。対外情報機関を備えていない日本もこうした「インテリジェンスの風土病」には立派に罹っている。
つい先ごろ名古屋の警察署に盗聴器が仕掛けられていることが発覚した。たとえ内部の犯行であっても、外部の者に傍受が易々とできてしまう。加えて日本国内のイスラム教徒の名簿が外部に漏れて出版される不祥事も起きている。連携先の外国の機関が日本に貴重なテロ情報を提供しようにも情報の管理がこうまで杜撰では二の足を踏んでしまう。情報大国への道のりは日暮れてなお彼方に霞んだままだ。