手嶋龍一

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「目指せ!ヘルシー地球人」

統一ドイツのダイエット宰相

 そこは「ドイツの小さな町」のイタリア料理店だった。隣のテーブルで大皿を次々に平らげている巨漢がいた。ふと見れば、ドイツの宰相ヘルムート・コールではないか。東西ドイツの統一を成し遂げ、次なる目標である欧州の共通通貨「ユーロ」を誕生させようと突き進む大男の横顔には得も言われぬ精気が漲っていた。ドイツ特派員として暫定首都ボンに暮らしていた一九九〇年代半ばのことだ。
 「ミッテ・オイロッパの宰相」の食欲にはただただ呆れるばかりだった。駄々をこねるギリシャを通貨統合に呑み込むには、エネルギーの補給が欠かせないとでも思っていたのだろうか。前菜にはモッツァレラ・チーズ、パスタに続いてリゾットの大皿をあっという間に平らげる。だが、ドイツ宰相のディナーはここからが本番だった。家鴨のローストが、大盛りの野菜サラダと一緒に胃袋に吸い込まれていく。見ているだけで満腹になってしまいそうだ。デザートには特大のティラミスが供され、これも美味しそうに頬張っていた。
 これでは太らないわけがない。首相府の報道官が明かした控えめな数字によれば、宰相の体重は一三〇キロ。身長一九〇センチとはいえ、明らかに超肥満の部類に入る。これではまずい――。本人も気にしているらしく、毎年、夏休みにはオーストリアの山岳地帯に籠ってダイエットに励んでいた。保養地にある専門病院で指導を受け、休暇が明ける頃には一五キロほど減量に成功する。だが、ボンに帰ってくるとまた猛然と食べ始め、瞬く間に最高体重の上値を追い始める。「これでは通貨統合の指揮系統に変調をきたしてしまう」と更なるダイエットを薦める英国紙の特集記事まであらわれた。

蔵王の涼やかな夏

 八年に及んだワシントンでの特派員生活に区切りをつけて、十数年ぶりに帰国し、東京での慌ただしい暮らしに舞い戻った。湿度の高い日本の夏、動き回っているのに体重は確実に増え続けた。頭のどこかに巨漢宰相のダイエットがあったのかもしれない。意を決して、東京の夏を脱出することにした。
 冷房が要らず、窓を開け放しても蚊が入らず、ヘルシーな食事ができる宿はないだろうかと尋ね歩いた。山形・天童で造り酒屋を営む友人が勧めてくれたのが蔵王温泉だった。標高八八〇メートルの宿は山形市街より九度近く涼しい。蔵王の湯はph1.7、硫黄を含む強酸温泉で四六度の源泉かけ流しだ。緑白色の酢川が湯煙を立てて流れている。酸が強いためかボウフラが湧かず、蚊もほとんどいない。夜、部屋の電気をつけ、窓を開け放して原稿を書いていても蚊が入ってこない。自然の山風がひんやりして心地いい。
 高湯通りの奥、温泉神社の石段ふもとにある深山荘高見屋が定宿となった。朝はたっぷりの緑黄色野菜のサラダとヨーグルト。親しくなった地元の方からいただく完熟トマトはリコピンたっぷり。抗がん作用があると聞く。昼は山形の新蕎麦、出羽かおり。盛りは東京の蕎麦屋の二倍はあるだろう。煮物の小鉢や漬物もついてくる。稲花餅が美味しい「さんべ」さんでは、庄内のメロン、尾花沢の西瓜、だだちゃ豆、ブドウ、モモをごちそうになる。
 夕食は地元産夏野菜の料理を中心に、庄内で獲れた新鮮なお刺身、小国川の鮎、蔵王牛、金山産の米の娘豚(お米を食べて育った豚)のしゃぶしゃぶなどをいただく。山菜のミズやあけび、山形県民のソウルフード、芋煮も味わい深い。山形は地酒もワインも美味しいが、こちらは控えめに。毎日おなかを満たしても、適度な散歩が功を奏してか、蔵王を降りてくる頃には体重は減っている。

元気でいることの責任

「ニューヨークの同時多発テロ事件では、昼夜の別なく一一日間にわたる中継放送をして、身体は大丈夫だったのですか」
 アメリカから帰国した後、こんな質問を何度されたことだろう。日本とアメリカ東海岸には十三時間の時差があり、昼夜が逆転している。放送の仕事では最も過酷な勤務地だ。一過性の事件なら二日ほど徹夜をすればヤマは過ぎる。だがこれほどの大事件では、初動で無理をしてしまうとあとが続かない。現場の責任者の仕事は、初日からスタッフをベッドに行かせて短時間でも良質な睡眠をとらせることに尽きる。「巨人の星」に倣って根性で仕事を続けていては効率が落ちるだけではない。瞬時の判断力が鈍って事故につながる。事態が刻々と動くなか、細切れに睡眠をとることが勝負だ。ワシントン支局と通りを挟んだホテルで仮眠をとっていた時のことだった。未明にBBC支局長が泊まっている隣室の電話の音が聞こえた。何か新たな事態が起きたのだ。十秒ほどで枕元の電話も鳴った。
 「カブール市内に多国籍軍が侵攻を始めました。すぐに中継を、と東京が言ってきています」
 ベッドから抜け出してスタジオに駆け付けると、すぐにON AIRのランプが点滅した。この間、わずか七分だった。こんな過酷な毎日を送っていて身体に変調をきたさないはずがない。支局のかかりつけの医師に往診をお願いし、ひとりの病人も出さずにあの日々を乗り切ったことをささやかなわが誇りにしている。
 苛烈な事態に身を置く時、それを乗り切るには緊張感と気力が欠かせない。だが、時に個人の限界を超える事態はやってくる。現場の指揮官は「チームの健康こそ第一」と心得るべきだろう。

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