手嶋龍一

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著作アーカイブ

いくつもの仕事を当然とする
手嶋龍一が語るしごととは③

「知の焼き畑」から抜け出そう

真にプロの名に値する群像に出会って

 さして覚悟もなく報道の世界に入った僕ですが、若い頃はニュースが次々と目の前に押し寄せるまま明け暮れていました。ワシントン特派員としてアメリカに赴いたことが一つの転機となりました。彼の地で真にプロフェッショナルの名に値する人々に出会ったのです。僕の内面で化学変化が起きたように思います。メディアの世界にも、サッカーならネイマールやメッシのような桁外れの人々がしのぎを削っていました。ワシントン・ポストのホワイトハウス担当記者、アン・デブロイもそんなひとりでした。
 湾岸戦争の開戦前夜、僕はブッシュ・41代大統領に同行してアンと共にサウジアラビアの最前線に赴きました。ワシントンへの帰途、大統領の報道官から「ブッシュ大統領はシリアのアサド大統領と急きょジュネーブで会談することになった」と緊急のアナウンスがありました。仇敵同士が初めてあいまみえるのですからビッグニュースです。でも、現地で原稿を書き、リポートを収録する時間は、わずかに30分。アンが機関銃のような速さでキーボードを打ち続けるのを目の当たりにしました。
 「野球なら160キロに迫る剛速球だったなあ」とアンに機内で伝えると「あなたたちのような気楽な専業記者とは違うんだから」と微笑んだ。ホワイトハウスで激務をこなし、家に帰っては、夫と子どもの食事を作り、洗濯もする。のんびりと原稿を書いているわけにはいかないのだと。プロフェッショナルはどの世界でも、一にスピード、二にスピード、三、四がなくて五に正確なのです。でもアンは剛速球を投げすぎたのか、若くしてガンで亡くなりました。

仕事人生にも知的補給は要る サバティカルを日本にも

 メディアの世界は大きな出来事が向こうから押し寄せてきます。真面目な若者ほど全力を出し切ってニュースに立ち向かう。早朝から深夜までデスクの指示を真に受けて働き詰めです。これでは、くたびれるだけでなく、知的にも油が切れてしまう。そう「メディア界の焼畑農業」なのです。でも日本では、干からびると早速前線から放り出してしまう。ジャーナリストがこれほど若くして現場を離れる国は見たことがありません。僕のように真面目とは言いかねる人間にも焼畑の危機は忍び寄っていました。
 でも僕は幸運でした。ワシントン時代の著作『ニッポンFSXを撃て』がアメリカ側の眼にとまり、ハーバード大学のCFIA(国際問題研究所)からフェロー(上級研究員)として招聘されたのです。この機会に恵まれていなければいまも現役のジャーナリストを務めていることはできなかったでしょう。日常の激務をいったん離れて研究生活を送り、知的補給を終えて現場へ戻っていく。これをサバティカルといいます。様々な国から選ばれた十数人の仲間は個性的で魅力的でした。いまも家族のように付き合っています。
 ハーバード大学で僕が師事したのは、現職のカトリック神父にして、国際政治学者のブライアン・ヘア教授でした。核の時代にあって指導者はいかなる時に武力の行使を許されるかを論じる孤高の人でした。師の前で繰り広げられた知的格闘技の日々は、再び日常の世界に戻っていく力を授けてくれました。毎日の仕事に追われる若い方々も自分なりのサバティカルを工夫してみてはどうでしょう。眼前の風景が変わって見えますよ。

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