対談 「ODA60周年」
手嶋 日本の政府開発援助(ODA)が60周年を迎えました。日本のODAは、途上国の貧困に立ち向かい、その経済を発展させ、日本が国際社会から尊敬され、信頼される存在になるための重要な役割を担ってきました。
石兼公博 ODAは、「積極的平和主義」という外交方針に欠かせない柱です。資源、食糧の大半を海外に依存する日本は、ODAによって諸外国との友好関係を構築してきました。さらには、国際社会における日本の地位向上や発言力強化にも繋がっています。
手嶋 いまや東アジアは世界経済を牽引するエンジンとなりましたが、日本のODAはその礎を創ったと言っていいでしょう。
石兼 ミャンマー、タイ、ベトナム、ラオスの4か国を幹線道路で結ぶ「東西経済回廊」は、民間企業の進出を促し、成長の起爆剤になったと認識しています。その成果というべきでしょうか、今年3月のASEAN7か国世論調査で、日本は「最も信頼できる国」の1位に選ばれました。また、「日本の経済・技術協力が役立っている」の回答は89%に達しています。
手嶋 アジアの防災ネットワークも日本のODAが役立っていますね。地震国の日本が、独自の衛星技術やIT技術を駆使して、津波の被害を小さくする減災に存在感を示しつつあります。
石兼 「AHAセンター(ASEAN防災人道支援調整センター)」の能力強化支援はもちろん、2国間協力も推進しています。災害対策の知識や経験、情報を東アジアで共有し、宇宙から僻地までを網羅したネットワーク構築を実現させます。
手嶋 南米では、チリにサーモンの養殖技術を定着させ、サケがいなかった河を一変させました。
石兼 20年かけての試行錯誤と努力のすえ、鮭の成育域ですらなかったチリが、今や世界有数のサーモン輸出国になっています。大豆不毛の地だったブラジルを、世界2位の大生産地にまで育てたのも日本のODAの功績です。
手嶋 日本の果たした役割には胸を張っていいはずです。しかし、ODAを更に良いものにするには、更なる自己改革が必要です。例えば、国際協力のアクターが多様化するなかで、ODAが民間資金と連携していく必要があります。
石兼 現在、「ODA大綱」の見直し作業を行っており、年内には閣議決定される見通しです。作業の過程では、有識者から「開発協力大綱」に変更すべきではないかというご意見を頂戴しました。大綱案はこういった声を反映し、政府だけでなくNGOや企業など、民間の力を活性化させる必要性が強調されています。ODAによって道路や橋、港湾といった経済インフラが整備されれば日本企業の進出も促進されます。ODAが民間投資の触媒となり、新たな投資を呼ぶ好循環が生まれるわけです。
手嶋 そのためには被援助国からの「要請主義」も見直していい時期ですね。
石兼 「援助」に対する認識を新たにしていきます。もともと、日本のODAは無条件に援助資金を拠出するのではなく、先方が考えた上での要請を踏まえてという形でした。
手嶋 確かに、途上国の自助努力を援助するのが第一で、「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」というスタイルでした。
石兼 今後は一層パートナーシップを重視し「その国に適した方法を一緒に考える」へステップアップしていきます。いわば、「援助から協力、さらにパートナーシップ」への転換であり、日本と諸外国が手を携えて成功を目指していくわけです。
手嶋 新たな一歩に期待します。
石兼 個別の「国」ばかりでなく、ASEANやアフリカ地域等の「地域機関」を通じた支援も行うというのも、60周年を迎えたODAの新たな特色となります。
手嶋 国家の設計図を自ら描く人材を育てる―こうした人づくりの分野でも、日本は積極的な役割を果たしてほしいと思います。
石兼 最近では、アフリカ諸国の若者の産業人材育成プラン「ABEイニシアティブ」があります。これは、アフリカ各国から1000人の研修員を募るプロジェクトです。彼らは日本で学び、日本企業でインターンとして働くチャンスを得ます。将来、彼らが日本と各国を繋ぐ主役になってくれるはずです。
手嶋 今後は各地の大学とも連携してODAの構想力に磨きをかけてほしいと思います。