安倍総理の「保守」を問う
ワシントン特派員として赴いた政治都市は、レーガン主義に覆われていた。冷たい戦争が終わる2年前のことだ。強いドル政策を掲げて、大胆な減税を実施し、強気の軍拡を進める右派の大統領――。リベラルな東部のメディアは、「ハリウッドから来た俳優あがり」を見下して、こう決めつけていた。
だがホワイトハウスで取材を始めてみると、草の根の共和党員の心をがっちりと掴んだ保守派のリーダーは、薄っぺらな品定めなど寄せ付けない難物だった。核の抑止理論を全く受けつけず、核戦争の人質に自国民を差し出すのを潔しとしなかった。アメリカの空を迎撃ミサイル網で覆うと宣言し、史上初めて中距離核の撤廃に道を拓いてみせた。そして、日系米市民を強制収容キャンプに送った大統領令をアメリカの汚点と認めて謝罪した。アメリカよ、過去の過ちを繰り返してはならないと訴えるレーガン演説には、民主主義への揺るぎない信念が脈打っている。
レーガン大統領がいま、中国の習近平主席とカリフォルニアで会談したらと考えてみよう。「尖閣諸島の帰属では、日中どちらかの立場はとらない」などとは決して言わないはずだ。「東アジアのかけがえのない民主主義国にして同盟国ニッポンの領土が強権国家に冒されれば、日米安保という伝家の宝刀を抜く」と言い切ったことだろう。
安倍総理の周辺を取り囲む右派や超右派の政治家が、レーガン発言に喜ぶのは早とちりだろう。この保守派の大統領こそ、圧政に立ち向かう民主主義の力を誰よりも信じたひとであった。それゆえ、太平洋を挟む二つの民主主義の盟約を揺るぎないものにと考えたひとでもあった。
冷戦を終わらせた大統領にとって、保守であるとはすなわち、圧政に立ち向かうデモクラシーに忠実であり続けることだった。日本の政治土壌にも、自由の旗を高く掲げて、一党独裁下の軍拡、自国民への弾圧、そして領土拡張に立ちはだかる、真正の保守が現れることを切に望みたい。