手嶋龍一

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試練に挑む日の丸飛行隊

 ソチ・オリンピックのジャンプ台で、次々に見事な飛翔を決める日本のスキー選手たち――久々に表彰台に翻った日の丸は、また陽が昇る日本のこれからを象徴している。

 とりわけ41歳の葛西紀明選手が、7度目のオリンピックに挑んで、ラージヒル種目で銀メダルを獲得した意義は大きい。日本チームにとっては、1998年の長野オリンピックで金メダルを獲得して以来、じつに16年ぶりのメダルとなった。各国のメディアは、葛西紀明選手の快挙を「レジェンド(伝説)」と呼んで惜しみない賞賛の声を送った。

 ジャンプとクロスカントリーを競うノルディック複合競技でも、渡部暁人選手が前半で大ジャンプを決め、後半のクロスカントリーでもゴール直前まで首位争いを繰り広げて銀メダルに輝いた。
 日本のスキー選手陣にとっては、長野オリンピックを最後につらい冬の時代が続いていた。長野オリンピックの後、度重なるルールの変更に翻弄されていたからだ。日本のジャンプ陣の不振は、確かにルールの改正とぴたりと重なっている。だが、雌伏することじつに16年、ソチ・オリンピックで「日の丸飛行隊」は雄々しく蘇ったのである。

 「日の丸飛行隊を狙い撃ちしたアンフェアなルール変更こそ日本チームを表彰台から消してしまった」
 こんな不満の声が日本国内からはあがった。実際にどのようなルールの変更が行われたのかをみておこう。
 1994年から98年までは、ジャンプ選手は自身の身長より最大で80センチ長いスキー板を使うことができた。ところが長野オリンピック以降はルールが大幅に改められ、身長の最大146パーセントの長さのスキー板を使うと定められた。従来は身長が165センチの選手なら245センチのスキー板を履くことができたのだが、新しいルールでは4センチも短縮されてしまった。一方で身長が180センチの大型選手の場合は、従来260センチまでしか認められなかったスキー板を3センチも延長していいことになった。

 欧米の選手に較べて背丈が相対的に低い日本の選手は、短いスキー板を使わざるをえず、空気を十分に捉えることができずに不利になった――日本の競技陣からはそんな声が出たのだが、欧米の委員が多数を占める協議の場では無視されてしまう。またスキー・スーツについても細かい規定が設けられ、その影響をめぐって果てしない論争が繰り広げられた。

 こうしたルールの変更はスキーのジャンプ競技にとどまらない。鈴木大地選手はソウル・オリンピックの背泳ぎで金メダリストになりながら、その後のルール変更で活躍を封じられてしまった。1988年のソウル・オリンピックでは、水中に潜ったまま30メートルを泳ぐ独自の「バサロ泳法」で優勝の栄冠を手にしたのだが、たちまちルールの改変に見舞われてしまう。鈴木大地選手はメディアのインタビューにこう語っている。

 「バサロという泳法を自分なりに工夫してオリンピックに臨んだのですが、その後はルールの変更に苦しみ抜きました。私のバサロ泳法もソウル・オリンピックの後は、水中に潜っている距離が制限され、次のオリンピックでは日本代表にすらなれませんでした」

 こうしたルールの改正が果たして日本人を狙い撃ちにしたものかどうか、いまなお論争に決着がついていない。ルールの改変が日本など特定の国の選手にどのように不利に働いたのか否か、その因果関係を検証することは難しい。
 それだけに、葛西紀明選手の活躍は、いっそう意義深い。長野オリンピックで優勝した日の丸飛行隊に選ばれず、ホテルで競技をひとり観戦しなければならなかった。その屈辱をばねにひたすら自己鍛錬に励み、ルールの変更という試練を乗り越えていった。ひとりの選手の足跡に、悲惨と試練と栄光が同居している。こんなドラマがあるだろうか。

 ソチ・オリンピックこそ日本が自ら変貌する転機となった。長野オリンピックのあと、日本の選手たちは、決して有利とは言いがたいルールのもとでひたすら技を磨き、自己の鍛練を積み重ね、厳しい試練をはねのけ、その果てに栄光を掴み取ったのである。

 東アジアの大国であり、世界経済の牽引役でもある日本がいつまでも被害者意識を抱き続けるのは健全な姿ではない。葛西紀明選手や渡部暁人選手は、久々にメダルをもたらすことで、この国にかかっていた霧を振り払ってくれた。
 だが問題が全て氷解したわけではない。国際的なルールづくりに日本が積極的に参加し、ルールづくりに影響力を発揮する仕組みは未だに確立されていない。これまでもルールづくりから日本の委員が全て排除されていたわけではない。だがメンバーに加わっていても、堂々と議論し、日本の主張が反映されたとは言い難い。

 鈴木大地氏は、いまこそ国際的なルールづくりに日本が主体的に加わり、その議論を主導すべき時期がきていると主張している。
 「後に続く若い選手のために、日本人に不利なルール変更を許さないよう努めていくことが何より求められている」
 これからの日本は、国際的なルールを地震や台風のように自然の厄災として受け入れるのではなく、ルールを自ら創り出す担い手になるべきだろう。他人から与えられたルールに耐え抜くだけでは、国際社会を恨み孤立する屈折した心理を生み出してしまう。ソチ・オリンピックはこの国の進むべき新たな針路を指し示している。

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