トム・クランシー追悼
10月の赤い革命を冠した最新鋭の原潜が母国ソ連に叛旗を翻し米国の軍港を目指して亡命を試みる―。『レッド・オクトーバーを追え』で一躍世に出た作家は、奇しくも10月1日に逝ってしまった。
トム・クランシーは、保険代理店を営みながら9年の歳月をかけて物語を書きためていた。ようやく活字になったのは、米ソの冷たい戦争が沸点に達しつつあった1984年のことだった。
ロナルド・レーガン大統領は「面白すぎてこの本を手放せなかった」と呟き、瞬く間に230万部が売れに売れた。主人公のジャック・ライアンはアメリカン・ヒーローとなり、あたかも実在の人物のように親しまれ、クランシ―作品のシリーズの最後には大統領にまでのぼり詰めてしまう。
強いアメリカをひっさげて冷戦に幕を引く「レーガンの時代」こそ、この作家を誕生させたのである。米海軍に連なる版元が無名の保険ブローカーを見出し、米海軍の関係者が草稿を読み込んで事実関係をチェックし、軍の機密に触れる叙述はカットし出版に漕ぎつけた。主人公の艦長が、チェルネンコ書記長が率いる一党独裁に反感を募らせ、「キャタピラー・ドライブ」という無音の推進システムを手土産にアメリカを目指すストーリーは、レーガンの治世にぴったりだった。
冷たい戦争が終わり対テロ戦争の幕があがると、彼の物語も華麗な兵器戦から情報戦に変質していかざるをえなかった。だが超軍事大国は最後に軍事力で決着をつけるがゆえに必ずしも情報大国ではない。晩年の作品『ライアンの代価』には、そんなアメリカの苦悩が滲んでいる。米ソの対決が生んだ作家の死と共に超大国の終わりの始まりの足音が聞こえくる。
外交ジャーナリスト・作家
手嶋龍一