手嶋龍一

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インテリジェンス感覚を磨きたい方々のために

 インテリジェンスとは何か。私が書いた小説、「ウルトラ・ダラー」の中に、そのエッセンスが描かれています。この「ウルトラ・ダラー」、そして「スギハラ・サバイバル」の主人公であるスティーブン・ブラッドレーは、表向きこそBBCの特派員なのですが、実は英国秘密情報部のインテリジェンス・オフィサーです。彼が恩師に実に興味深い問いを発しています。

「先生、われわれはインテリジェンスという言葉を、情報や諜報という意味でいともたやすく使っていますが、ほんとうは何を意味するのでしょうか」と。
 この問いに対してオックスフォード大学の教授にして秘密情報部リクルーターでもある名物教授は、次のように答えています。

「大文字で始まるインテリジェンス、これは知の神を意味することは知っているね。神のごとき視座とでもいおうか。さかしらな人間の知恵を離れ、神のような高みにまで飛翔し、人間界を見下ろして事態の本質をとらまえる。これがインテリジェンス・サービス、そう、情報士官を志した者の目指すものだ」
 教授は情報を河原の石ころにたとえて、石ころをいくつ集めても、石ころは石ころにすぎないと断じます。しかし、心眼を備えたインテリジェンス・オフィサーが眺めていると、石ころは異なった様相を見せはじめるというのです。石ころのいくつかには、特別な意味がやどっている。宝石の原石をつなぎ合わせていくとやがてダイヤモンドのような輝きを放ち始める。こうして、雑多な情報のなかからインテリジェンスを選りわけて、国家の舵を握る者に提示してみせるのが情報士官の責務なのです。

 見事な説明です。自分が書いた小説を見事だと評するのは、このくだりが、オックスフォード大学リンカン・コレッジの宗教学の泰斗にして秘密情報部のリクルーター、デイヴィッド・グリーン教授の言葉がそのまま採録されているからなのです。
「ウルトラ・ダラー」の文庫解説で佐藤優氏は「インテリジェンス小説とは、公開情報や秘密情報を精査、分析して、近未来に起こるであろう出来事を描く小説である」と書いています。「ウルトラ・ダラー」は事実をそのなぞったノンフィクション・ノヴェルではありません。情報源を秘匿するためにさまざまな工夫を凝らしてあります。

 インテリジェンスをよりどころにして重大な決断をするのは、国家のリーダーだけではありません。企業の経営者でも、あるいは個人でも、共通しているところがあります。インテリジェンスに依拠しながら決断し、近未来に一歩を踏み出す点では同じなのです。

 ただ、インテリジェンスには、適切な日本語の訳語がありません。これは日本にインテリジェンスをめぐる文化がないことの反映なのでしょう。訳語ひとつないのですから、当然、国家にはインテリジェンス組織が存在していません。国際的には、インテリジェンス機関は2つ対になって、初めて機能します。イギリスの例で説明しましょう。ひとつはカウンター・インテリジェンスの機関。つまりイギリスの領土にテロリストやスパイが入り込むのを防ぐMI5。そしていまひとつは。海外に情報要員を配して情報の収集にあたる対外情報機関のMI6。日本はG8、先進国8カ国の中で、対外情報機関を唯一もっていない不思議の国なのです。

 日本は巨大な軍備を持っていません。核ミサイルや空母機動部隊といった牙を備えていない経済大国です。ウサギも牙は持っていませんが、長い耳を備えています。日本も軽武装・経済重視の国として、鋭い牙を持たないのなら、少なくとも長い耳はそばだてておくべきでしょう。情報機能なき国家が、苛烈な国際社会を生きのびられたのは、たんに幸運に恵まれたからなのでしょうか。

 インテリジェンスの教科書のようなものはたくさんありますが、いずれも欧米の教科書の翻訳のようなものが大半です。ただ、教科書でインテリジェンスを学んだからといって、実際にインテリジェンス感覚が身につくものではありません。ましてや日本という国家の風土にインテリジェンスの文化が根づくとは限りません。

 インテリジェンスという言葉には、ラテン語で物語るという意味もあります。国際情勢を物語として紡いでいく。これはインテリジェンスの重要な要素です。それゆえ、或る種の物語はインテリジェンスの見事な教科書なのです。私も無意識のうちにインテリジェンスのテキストとして「ウルトラ・ダラー」を書いたのかもしれません。

 ジョン・ル・カレとグレアム・グリーンは、すぐれたインテリジェンス・オフィサーでもありました。とも英国の情報機関にいたことで知られています。
 ル・カレの「寒い国から帰ってきたスパイ」とグリーンの「ヒューマン・ファクター」は、インテリジェントに携わる者たちの哀しい性と宿命をリアルに描いて、情報小説の金字塔となっています。両作品は冷たい戦争の本質、そして冷戦の最前線に身を置く諜報員の素顔を見事な筆さばきで明らかにしています。2つの作品を貫くテーマは、ダブルエージェント、つまり二重スパイです。
 実際にMI6では、後にキム・フィルビー事件が起きます。MI6の幹部だったキム・フィルビーが、じつは長年、ソ連のスパイだったことが、彼のモスクワへの亡命で明らかになった事件です。栄光ある組織は、裏切りを生む風土でもあったことで、英国の指導層に言い知れぬ衝撃を与えました。2つの作品は、諜報組織に影のようにつきまとう二重スパイの存在を的確に予言し、インテリジェント小説の白眉といっていいでしょう。

 インテリジェント・オフィサーは、誰のため、何のために働くのか。誰に忠誠を誓うのか。グリーンの「ヒューマン・ファクター」は、妻や子どもに忠誠を誓って、国家を裏切るのですが、彼は自らの良心を少しも裏切ってはいない。

 ふたりの作家は、物語の形式をとることで、インテリジェンス世界の情報源を守り切っています。佐藤優氏との対談、「動乱のインテリジェンス」もこの世界の文法に忠実なのです。この本には巧みな仕掛けが施されています。佐藤氏は自分の情報源を徹底して秘匿し、私も開示していない。しかし私は、佐藤氏の情報源に踏み込み、彼も我が領分にどんどん踏み込んでくる。でも私たちは、この本で、互いの口を使って秘匿すべきことを語っているわけではありません。相手が至近弾を打ちこんできても、どれが至近弾であるかを明かさないのですから。「ウルトラ・ダラー」を書いたとき、佐藤氏に「どこが事実でどこがフィクションなのか」と質問した人がいました。相当な読み手だったのですが、佐藤氏は「ここはつくりものとあなたが思ったところは事実で、ここは真実と踏んだところは、情報源を秘匿するためフィクションが施されている」と答えています。私は否定も肯定もしていませんが(笑)。

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