手嶋龍一

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「予期せぬ別れ」

 ドイツの小さな町、ボンに特派員として赴任することになった――そう告げると、英国外交官の友人、ハワード・ピアスはこんな忠告をしてくれた。
 「あの町に暮らすと偏頭痛になるよ。暇をみては抜けだすんだな。いわば義務的に休暇を取らなければいけない。もう東西冷戦は終わったんだから、多少任地を留守にしても大丈夫さ」

 短い夏が終わると、頭上の空は鉛色の雲に覆われ、いかにも陰鬱な季節がやってくる。そのうえ、ライン河の流れが辺り一帯の気圧を押し下げるらしく、どうにも頭が重い。やはりハワードが言うように、統一ドイツの暫定首都ボンを脱出することが唯一の処方箋なのかもしれない。もっと光を――死のみぎわにこう呟いたゲーテの言葉は存外このことを言っていたのではないか。それからは、ことあるごとに雪を戴くアルプス山脈を越えてイタリアに出かけることにした。目指すはフィレンツェ。アルノ河に架かるポンテベッキオの屋根つき橋を望む小さなホテル「ミケランジェロ」。ここが定宿になった。いつも読書をしているフロントの女性がはっとするほど美しかった。

 「リストランテ案内」に載っている店がどれもピンとこず、「眺めのいい部屋」の舞台となった館に近い裏道をぶらぶらと歩いているとき、忘れ得ぬ恋人のような存在となる店に出遭ったのだった。夕暮れ時の通りには客たちの楽しげな会話が漏れてきた。石畳に窓の灯りが映ってキラキラと輝いている。扉を開けるとエプロン姿のおばさんが窓際の席を用意してくれた。庶民的で心温かいもてなしが何とも心地いい。トラットリア「ベンヴェヌート」は味も絶品だった。小太りの店主が作るスパゲディ・アマトリチャーナを超えるパスタをいまだに口にしたことがない。

 「ベンヴェヌート」の客は全て地元に暮らす人たちだった。仕事を終えた左官屋さんや配管工たちが、藁に包まれてでっぷり太ったフィアスコ瓶のキャンティをグラスに注いで飲んでいる。給仕をしてくれたのはシチリア島出身のロージーだった。年は二〇代半ば、漆黒の髪に黒い瞳、小柄で無愛想にみえるが、気働きが素晴らしい。英語は全く話さないのでイタリア語の単語を並べて意志の疎通を図っていたのだが、幾度も通っているうち百年の友といった間柄になった。「シニョーリア広場のバー・タバッキで恋人が働いているので是非会っていってくれ」という。エトナ火山の麓にある村から一緒に出てきたという。やはり漆黒の髪と澄んだ瞳をもつ青年だった。店の主の目を盗んで、たびたびカプチーノをおごってくれた。

 ライン河畔に特有の偏頭痛にも少しだけ慣れた頃のことだった。週末を利用してケルン・ボン空港からフィレンツェへ飛んで、ホテル・ミケランジェロに荷物を置くと勇んで「ベンヴェヌート」に出かけていった。店の灯りが見えてくると食欲が湧いてつい急ぎ足になった。
 ところがドアを開けたとたん、思わず立ちすくんでしまった。なんと黒服のギャルソンがいるではないか。真新しいテーブルクロスが敷かれ、キャンドルが揺らめいている。あの人肌の温もりが伝わってくる「ベンヴェヌート」が消えてしまい、月並みなリストランテになり果てていた。そして、働き者の店主夫妻も心優しいロージーも消えてしまった。心を許した永年の友を喪ってしまった哀しみはその後も消えなかった。

 松丸本舗が閉店すると聞いて、真っ先に思い出したのが、フィレンツェのトラットリア「ベンヴェヌート」だった。夕方、京都駅の新幹線の階段を駆け上がって、一本早いのぞみ号に乗る。そうすれば、東京駅丸の内北口にある丸善書店の4階にある松丸本舗に少しの間立ち寄ることができる。それを楽しみに面談をうまく切り上げたことが幾度もあった。それほどに松丸本舗は魅惑的だった。店の隅々にまで配慮が行き届いており、本のセレクションはじつに洗練され、書店員さんのひとりひとりがプロフェッショナルだった。各界の名だたる読書家の書斎の一端を垣間見ることができる「大家」の書棚も楽しかった。とりわけ福原義春さんの書棚が好きだった。読書の領域がのびのびとしている。それでいてどこか自己抑制が効いていて、本好きな人にありがちな衒学的な匂いがない。ご本人の人柄が読書にもあらわれているのだろう。

 福原義春さんの書棚では『石光眞清の手記』がひときわ光を放っていた。お会いしたことはないのだが、今日の資生堂を築いた経営者が身近な人に思えてくる。『城下の人』『望郷の歌』『曠野の花』『誰のために』の四部作は、公にすることを想定せず、ひそかに祖国日本への遺書として綴られた。石光眞清は日本陸軍の中枢にとどまれば将官への栄達が約束された逸材だった。だが極東へ勢力を伸ばすロシアの脅威に危機感を募らせ、自ら志願して諜報任務に就き、黒竜江の対岸にあるロシア領ブラゴベシチェンスクに赴いていった。写真技師に身をやつしてシベリアの地を独り歩く石光眞清には明治期の武人の矜持が溢れている。福原義春さんは孤高の人に心惹かれ、特異な自伝に明治の日本の凛とした面影を追ったのだろう。松丸本舗がなければ、福原義春さんの人となりを知る機会もなかったと思う。

 さよなら松丸本舗。



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