手嶋龍一

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「スギハラ・サバイバル」

著者ノート

書評 クラコフの秋は、駿馬のように駆け抜けていく。
 この作品の筆を執るにあたって、王都の風格を湛える晩秋のクラコフをあらためて歩いてみた。凍てつく寒気にトレンチコートの襟を立て、ユダヤ人が行きかうノヴィー広場の露店をめぐり、古書店に立ち寄って年老いた店主と雑談を交わした。そうしているうちに、七十年前の光景が匂い立つように蘇ってきた。
 古都クラコフにはヒトラーの機甲師団が襲いかかり、スターリンの狙撃師団は北部国境で牙を剥きつつあった。欧州きってのユダヤ人街に暮らす流浪の民は、絶体絶命の窮地に追い込まれていたのである。生きのびる可能性は万に一つ。彼らの「出ポーランド記」は、ひとりの日本人の存在なくして成立しなかった。独ソ戦勃発の直前にバルト半島の小国リトアニアに赴任してきた外交官杉原千畝である。

 ポーランドに住むユダヤ人の多くは、ハンガリーやオーストリアに逃れようとした。だが少数の一群は大胆にも北を目指し、国境の街リヴュニスに身を寄せた。あろうことか、ヒトラーはこの街を隣国リトアニアに投げ与えた。悪魔の密約によってやがてスターリンに呑みこまれる運命にあった小国の歓心をいっときだけ買おうとしたのだ。この物語の主人公一家も北に向かった一群にいた。そして杉原千畝が本省の訓令に抗って発行した命のビザを手に入れ、シベリアから日本海を経て神戸に寄留し、約束の地アメリカへ渡っていった。「スギハラ・サバイバル」と呼ばれるユダヤ人はおよそ六千人。彼は類稀な勇気を内に秘めたヒューマニストだった。
 だが杉原千畝がもう一つの顔を持っていたことは意外に知られていない。第二次世界大戦の嵐に突き進もうとしていた日本に突然変異種のように現れたインテリジェンス・オフィサーだったのである。リトアニアを情報拠点に、欧州全域に諜報網を張り巡らし、複雑怪奇な欧州政局を精緻に読み抜いて誤らなかった。スギハラ諜報網を支えたのは、ポーランド軍のユダヤ系情報将校たちだった。「命のビザ」は彼らが提供する貴重な情報の代償だった。
 ロンドンにあった亡命ポーランド政府は、このスギハラ諜報網を介して、独ソ双方に潜ませてある情報要員から最高機密を受け取っていた。それゆえ、英国のインテリジェンス・コミュニティは、早くから杉原が何者であるかを知り抜いていたのである。杉原が築いたインテリジェンス・ネットワークは、後にストックホルムの小野寺信駐在武官に引き継がれていく。ロンドンは彼らが東京に打電する情報を超一級のインテリジェンスとして傍受していたのである。

 本書の巻末に挙げた重要資料の一覧はその事実を裏付けている。物語作者の禁を半ば破っていえば、『スギハラ・ダラー』はこれらの資料に依拠して書かかれたのではない。物語を書きあげた後で、信頼する史料検索の専門家に膨大な外交文書をあらためて渉猟してもらったのである。果たして読み筋通りの機密の公電が次々に見つかった。著者の見立ての正しさを言たてているのではない。主人公が身を置く英国秘密情報部が、戦前・戦中・戦後を通じて決して外部に漏らそうとせず、それゆえ、肺腑を射抜くような力を秘めたインテリジェンスであったことを指摘しているにすぎない。
 インテリジェンス小説といわれる物語を紡いでいくには、情報源の秘匿こそ命である。それゆえ、杉原千畝の実像に新たな光をあてるには、他策はなかったと信じている。一級の史料が機密指定を解かれたいまもそう考えは変わらない。
 その一方で、杉原千畝については、新たに発掘された史料に依拠して、一書が綴られるべきだと思い、外交史料館の白石仁章氏に執筆を強く勧めた。これによって、杉原像は一段と豊かになり、その存在も大きなものとなる。そして戦時の歴史にこの外交官の実像が精緻に刻まれることになるはずだ。こうしてノンフィクション作品『諜報の天才 杉原千畝』(新潮選書)が生まれた。白石氏が前書きと後書きにその経緯を詳しく触れているのはこのような事情による。

 杉原情報、それを受け継ぐ小野寺情報は、紛れもなく超一級のインテリジェンスだった。だがそれゆえに、日本の統帥部はかれらの情報の価値を無視し続けた。銀が泣いている――将棋の坂田三吉は自らの失策で盤上に置いてしまった駒を睨んでこう呻いたという。一方、杉原・小野寺情報は、いぶし銀のような光を放っていたのだが、国家の舵取りを委ねられし者たちは顧みようとしなかった。敗戦が色濃くなっていくなか、軍部は仇敵ソ連を仲介役に終戦工作を進めつつあった。それゆえ、ソ連の対日参戦を定めたヤルタ密約などあってはならない現実だったのだろう。優れた情報が辿る哀しい宿命なのである。
 だが、杉原千畝が大地に巻いた種は、戦後世界の創世に役割を果たして大輪の花を咲かせている。官僚組織の末端に身を置いていた領事代理が救った六千人のスギハラ・サバイバル。そのひとりがやがて、アメリカ中西部の大都市、シカゴの金融市場で資本主義の新たな切っ先を切り拓く金融先物商品を誕生させた。ロンドンに在勤していた阿部重夫氏は、日々変貌していく金融商品の起爆力を目の当たりにした金融ジャーナリストらしい見立てを披露している。

 「この本の楽しみ方は、まず参考文献から眺めることだ。第二次大戦中の独ソ、終戦工作、民族問題、旅券発給に関する日本外務省資料とともに、レオ・メラメドの自伝Escape to the Futures(邦訳は絶版)が並んでいる。フューチャーズに『未来』と『先物』の意味が二つあるのに気づけば、あなたの読み筋はもう完璧と言っていい」
 作品はひとたび著者の手を離れてしまえば、読者一人ひとりのものとなる。読むひとが登場人物に実在の人物を重ね合わせも、それは読者の自由である。ただ、阿部重夫氏がこの作品を「国境を越えて逃れようとするマネーの物語」だと喝破したことにぎくりとさせられた。
 「そこに浮かぶのは、マネーの本質である「越境性」――すなわち国民経済を担保とするマネーが、国境を越えたグローバル性を得ようとする矛盾である。ギリシャなどPIIGSと言われる財政危機の国々の『ソブリン・リスク』が世界を震撼させている今、これはぞっとするほどアクチュアルなテーマだ」

 この物語の主人公アンドレイ・フリスクは、たしかに果てしなき越境の旅を続けた。国家をもたなかった流浪の民の末裔としてポーランドに生まれ、やがてリトアニアからシベリア鉄道を経て不思議の国ニッポンに身を寄せ、人工国家アメリカに旅立っていった。こうした道を歩んだ者でなければ、奇想天を衝くような金融先物商品など生み出せなかったろう。当時、世界の基軸通貨ドルは、固定相場制のもとで国境の枠内に縛りつけられていた。だが、運命の年一九七一年、ニクソン米大統領はドルの変動相場制移行を宣言した。ベトナム戦争の重荷で固定相場がもはや維持できなくなったためだ。この時、国境なき民の血を引くアンドレイの手に「国境を超越するマネー」が委ねられるチャンスが到来したのだった。
 必要は発明の母という。ドルが変動相場制に移行する以前から、ロンドンには「ユーロダラー」市場が密やかに簇棲していた。冷戦下のソ連邦も、情報活動や戦略物資を調達するため大量のドルをため込み、ロンドンの金融市場で運用していたのである。それを担ったのはユダヤ財閥の一族だった、基軸通貨ドルのホームグランドたるウォール街の陰で、ロンドンの金融街シティーは、デリバティブすなわち金融派生商品の市場を育んでいたのである。

 これらの隠微な市場は、冷たい戦争の時代には、囚われていたスパイを買い戻す際のドルの調達場所であり、冷戦の終結後は、国際テロ組織が資金を運用するシークレット・ガーデンともなった。九・一一同時多発テロ事件に潜む最大のナゾとされるアルカイダの資金調達も、国境を超えてアミーバのように浸透する通貨の魔性に解が潜んでいる。



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