ゾルゲが愛した銀座
「満州事変が勃発して世情は騒然となったと思われがちだけれど、銀座はその後も浮き立つような華やかさに包まれていたわ。通りの並木を歩いていると、思わずステップを踏みたくなってしまう。そんな気分はあの街に暮らしていた者じゃなければ判らないでしょうね」
わが母は戦後、炭鉱経営者だった父に従って北海道に渡り、炭鉱の街で過ごしたひとだった。それゆえ、ひとたび昭和一〇年代の銀座に話が及ぶと、過ぎ去りし日々を想って、夢見るような眼差しになった。
ずっと銀座の街で過ごしたい―若き日の母が思いついたのは、大好きだった松屋デパートに勤めてしまうことだった。「モガ」と呼ばれるハイカラな女性だったのだろう。母が都心で暮らしていた昭和十一年には、青年将校らが総理や重臣を襲った二・二六事件が起き、翌十二年には盧溝橋橋事件が勃発して、この国はアジア・太平洋戦争へとまっしぐらに突き進んでいった。
戦後の出版物は、この時期の日本を戦争のへ坂道を転がり落ちてゆく暗い時代として描いている。洒落たドレスを身につけて職場に通う母の姿と書物に記された寂しげな銀座のたたずまい。どちらが実相に近かったのだろう。その落差をどうにも埋められないまま、わが脳裏には解けない疑問が棲みついてしまった。
「私が大好きな紫の色は、焼跡の銀座通りを颯爽と闊歩していた美しい人のドレス地から啓示を受けたものなの」
三輪明宏が語った麗人とは、海軍大臣や総理大臣を歴任した山本権兵衛の孫、山本満喜子のことだった。ドイツ皇帝カイゼルを彷彿させる祖父の血を引き、息を呑むほど美しい伯爵家の令嬢。そんな彼女は「二〇世紀最大のスパイ」と謳われたリヒャルト・ゾルゲと不思議な接点をもっていた。彼女が明かしてくれたゾルゲの思い出は、僕を再び母の銀座に誘ってくれた。
「もうひと目見たときからぞくぞくするほど素敵な、でもどこかジゴロを思わせるような男だったわ。オートバイの後ろに乗せてもらって、銀座通りを猛スピードで駆け抜けたものよ。事件後に描かれたスパイ・ゾルゲとは、まるで違ったひとだったわ」
帝国陸軍の参謀本部の近くにあった三宅坂のドイツ大使館で開かれたパーティに招かれての帰り道、薄紫のサマードレスを着た満喜子に声をかけたのはゾルゲだった。麻の背広にパナマ帽がまぶしかったという。
「知りあった女性とたちまち一夜をともにする、彼はそんな男。特高警察の監視下で、胃をきりきりと苛みながら、モスクワのために諜報活動に身を呈していた―なんて言われているけれど、リヒャルトは享楽的で、刹那的なタイプだった」
「スターリンのスパイ」と形容され、日本軍の南進を精緻に言い当てたリヒャルト・ゾルゲ。その一方で伯爵家の令嬢に「君となら一生をこの東京で送りたい」と言い寄るような男だった。
『アジア特電』や『ゾルゲの時代』は、ゾルゲ・スパイ団のひとり、ブランコ・ド・ヴーケリッチがボスとして仕えた東京特派員、ロベール・ギランの筆になるものだ。この回想録の名篇を注意深く読んでみるといい。敏腕のフランス人ジャーナリストもまた、心やさしい日本の女たちに囲まれて東京で暮らしていた。厳しい当局の検閲を戦う日々―とは裏腹に、夢二の絵を思わせる女性たちと粋な下町暮らしをしていたことがわかるだろう。
いま多磨霊園でゾルゲを抱くように眠っている石井花子もそんなひとりだった。希代の諜報員は日中にドイツ大使館を訪れて機密情報の公電綴りを渉猟し、夕方になると帝国ホテルのバーにあらわれて時間をつぶし、夜になると銀座にふらりと出かけていく。お気に入りは酒場にしてドイツの料理も出す「ラインゴールド」だった。
ゾルゲは四十歳の誕生日にここで花子と初めて話を交わしシャンペンを呑み交わして祝ったという。石井花子は『わが夫ゾルゲ』にこう記している。
「客は首をかしげてわたしをじっと見て、『あなた、アグネスですか?』『ハイ、そうです』『わたし、ゾルゲです』。彼は手を差しのべた。わたしは彼の大きな手を握りながら、強い顔に似あわぬやさしい温かい彼の音声にちょっとおどろいた」
ゾルゲは酸味の強いドイツ・ビールと黴臭いザワークラフトがお気に入りで、毎晩のように「ラインゴールド」に姿を見せたという。当時のマッチ箱には「銀座西5-5-8」と記されているから、いまのカティエ・ビルと養清堂に挟まれた路地のあたりにあったのだろう。
日本の最上層部から超一級のインテリジェンスを掴みとり、極秘電を赤軍第四本部へ送り続けた孤高のスパイ。こんな「ゾルゲ像」は、どうして生まれたのだろう。逮捕された後で検察当局に語ったゾルゲの「供述調書」がすべてだった。そこには触れれば鮮血が迸りでるような苦難の日々が刻印されている。たおやかな女性たちに囲まれて、めくるめくような銀座の日々を過ごす、ゾルゲのもうひとつの顔はその片鱗すら窺わせていない。
「日本の女たちは知的水準が低く情報を得る相手とはならなかった」
ゾルゲが取り調べにあたって特高の刑事や検事たちに語った供述である。だが、これはゾルゲの巧妙な戦術だった。自分と交際があった女たちを捜査対策とさせないための布石であった。検察官たちもそんなゾルゲの心の内を薄々察していたのだろう。重要な供述と引き換えに一種の司法取引をした節が窺える。
現に捜査当局は、伯爵家の令嬢はもとより石井花子にすら訴追の網をかけようとしなかった。ゾルゲは極刑の足音に慄きながらも、心を通わせた日本の女性たちを最後まで守り通した。それはニッポンの女たちを愛したゾルゲ最後の戦いだった。