手嶋龍一

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著作アーカイブ

英国指導者・チャーチルに真のリーダーシップを学ぶ

タテマエを排して歴史を語る

──この本の著者であるチャーチルにどうしてこれほど惹きつけられたのでしょう。

 もし故チャーチル卿へのインタビューがかなうならどんな苦労もいとわないでしょう。チャーチルという人はやはりそれほどに魅力的です。本書を読み進めてみると、大英帝国が何世紀もかけて熟成させたシングル・モルトのような深い味わいが伝わってきます。チャーチルの全著作に通底しているもの、それはホンモノだけがもつ凛とした気品でしょう。戦後の日本社会が喪ってしまった揺るぎない指導者のバックボーンがみてとれます。戦後の日本は、超大国アメリカの傘の下にひっそりと身を寄せ、冷戦の配当を存分に享受しました。だが、それによって失くしてしまったものも少なくありません。温室に咲いたひ弱な花――こうたとえられたこともありました。冷たい戦争の戦略正面で戦ったチャーチルが語る言葉は、空虚なタテマエを排して実に味わい深い。

 僕は野性に満ちた北海道に育ったからでしょう。戦後の日本につきまとう虚ろなタテマエがどうにも肌に合いませんでした。出版社の担当編集者から「戦後世代が書くものにしては、どこか風変わりだなあ。高度経済成長、受験戦争、戦後民主主義といった戦後世代共通の体験が文章からほとんどうかがえない」と言われたことがあります。

 私の父は、北海道の芦別にあった炭坑の炭坑主でした。物心ついた頃、わが家の富はピークを打ち、その後は石炭産業の斜陽化とともに真っ逆さま(笑)。一般のサラリーマン家庭が次第に豊かになっていったのと対称的に、高度成長の恩恵を受けなかったのです。

 また、鷹揚な土地柄から必死で勉強をするという環境とは無縁でした。本当によかったなあ(笑)。塾などなく、高校受験ですらないに等しかった。高校の教師もお坊さん、神主さん、牧場主と兼業で、お葬式があるたびに授業が休みになって幸せでした(笑)。受験戦争など全く無縁ののびのびとした自由の天地でした。

 父が経営していた炭坑には、素性の定かでない人物が出入りしていました。食客三千人と言ってもさして大げさではありませんでした。政財界の黒幕だった右翼の大物もよくやって来ました。その一方で、60年安保で全学連委員長を率いた唐牛健太郎の演説を北海道大学で見物したこともありました。獅子吼(ししく)する若き全学連委員長の姿を母親に持ちあげてもらって垣間見たことがある。連れていく母親も、それをせがんだ小学生も、風変わりな親子だったなあ(笑)。少年時代に風変わりな人々に接していたからでしょうか、教科書に描かれた戦後民主主義にはどこか胡散臭いところがあると直感したのでしょう。それだけにホンネで語るチャーチルの人物に惹かれたのです。

──少年時代の体験がチャーチルが語る言葉を自然に受け入れる素地を育んだのですね。

 そうなのでしょう。戦後の日本には、「非武装中立」を唱える政党がかなり優勢で、「いかなる場合も力は行使しない」とパシフィズム(平和主義)のタテマエを崩そうとはしませんでした。しかし、日本を大きな災害や戦争が襲った時には、誰かが危地に赴かなければなりません。そして危地に赴くように要請するリーダーがいなければなりません。しかし福島原発の事故に遭遇しても、この国には確たるリーダーシップは見当たりません。チャーチルの『第二次世界大戦』を読んでみると、危機のさなかにあって真のリーダーシップがいかに重要かがよく分かります。この本は、今の日本に大きな示唆を与えてくれるはずです。

意思決定に必要な情報網

──リーダーシップの他にも、この本には随所に読みごたえがある記述に満ちていますね。

 本書はたしかに第二次大戦の記述が柱になっています。1939年9月1日のナチス・ドイツ軍のポーランド侵攻以降がハイライトといわれています。しかし、この本で最も面白いのは、それ以前のいわゆる戦間期といわれる時代の記述だと思います。第一次大戦の終結からヒトラー率いるナチスが台頭して第二次大戦が勃発するまでの時代です。そこに多くの歴史の教訓が埋もれています。『第二次世界大戦』では隠れた読みどころです。

 第一次大戦後に締結されたベルサイユ条約によって非武装地帯とされたラインラントに、ヒトラーは戦々恐々としながら侵攻します。36年のことです。当然、欧州諸国や国際連盟からの反発が予想され、抵抗が強ければ即座に退却しようとヒトラーは考えていました。しかし、英仏は力をもってヒトラーを阻止する覚悟を見せませんでした。

 また、38年のミュンヘン会談でも、ナチス・ドイツに対する英仏の姿勢は及び腰でした。その宥和主義的な姿勢を野にあったチャーチルは痛烈に批判しました。あの時、ナチス・ドイツに毅然として力を行使するか、行使する意思さえ見せていれば、第二次大戦の悲劇は防げたかも知れない。

――そんなチャーチルの思いが行間に溢れています。

 もう一つ、この本でぜひ汲み取ってほしいのは、インテリジェンス感覚が研ぎ澄まされたチャーチルという政治家の本質です。ナチスのポーランド侵攻を機に、チャーチルはまず戦時内閣の海軍大臣に就任します。四半世紀ぶりのロイヤル・ネーヴィーへの復帰でした。「ウィンストン帰れり」と打電した海軍省の電報は有名です。海軍大臣に就任したその日から、チャーチルは矢継ぎ早に指令を出し、海軍という巨大なマシーンを動かしていきました。なぜそれが可能だったか。野にあった時にも、独自のインテリジェンス・ネットワークをつくり上げていたからです。一下院議員だったチャーチルに、海軍の中枢にいた人々は、国家機密を提供し続けていたのです。そうした情報を持っていたからこそ、彼は即座に戦争の指揮を執ることが可能だったのです。

──「インテリジェンス」は、日本ではまだまだ馴染みのない言葉ですね。

 日本ではインテリジェンスについて書かれた本は少なく、大学でも教えてきませんでした。現在、私は慶應義塾大学の大学院でインテリジェンスに関する講義を持っていますが、海空両幕僚監部のインテリジェンス・オフィサーもここで学んでいます。

 インテリジェンスとは何か。直訳すれば「極秘情報」もしくは「諜報」ということになりますが、単なる「情報」であれば、インフォメーションと言うべきです。インテリジェンスとは、膨大なインフォメーションの中から丹念に選り分けられ、意味付けられた重要情報の全体像のことです。それは、国家の指導者が下す決断の拠り所になるようなものでなければなりません。つまり、意思決定に資する情報でなければインテリジェンスとは呼べないのです。意思決定とは、近未来に向けて一歩を踏み出す行為ですから、インテリジェンスはその足下を照らし出すような力を秘めていなければいけない。

 会社の場合なら、情報のカスタマーたる社長が、企画、総務、マーケティングなどの各部門に自分がどんな情報に関心をもっているか伝える。ここから「インテリジェンス・サイクル」はまわり始めます。社のスタッフはそれに従って、様々なインフォメーションを集めます。しかし、生の情報素材だけではインテリジェンスには高められません。膨大な生の情報をふるいにかけ、会社の利害に照らして、インテリジェンスを紡ぎ出し、それをレポートにとりまとめる。社長はそれを見て、その中でさらに深く知りたい情報をチェックし、スタッフに再び指示を出す。その繰り返しによって「インテリジェンス・サイクル」が粛々と回りだします。そんなサイクルが適確に回っている会社は、情報感覚に優れた会社と言えましょう。

 情報収集のネットワークを整備し、「インテリジェンス・サイクル」を粛々と回していく。それが優れた組織に求められるものです。チャーチルが身をもって実践して見せたのはまさにそれでした。『第二次世界大戦』の中に、インテリジェンスとはこういうものだと納得させるような記述があります。1944年6月6日のノルマンディ上陸作戦とその後の侵攻作戦に関するくだりです。

 連合国の300万に上る兵士が参加したこの大規模な作戦の指揮を執ったのは、英国陸軍のモントゴメリー総司令官でした。彼は、少佐クラスの若い幕僚を同盟各国を含めた各部隊に自分の名代として直接派遣する仕組みをつくりあげました。彼らが総司令官に替わって、自分の目で見て報告する。その詳細でリアルな情報と、各国司令部から上がってくる公式の報告文書。その二つを比較検討して、総司令官は精査された独自のインテリジェンスを紡ぎあげていたのです。それは見事な「インテリジェンス・サイクル」の回し方でした。今回、日本を見舞った巨大な災厄のなかで、人々は危機のなかの指導力が惨めなほどに機能していないさまを目の当たりにしました。その大きな原因の一つに指導者のインテリジェンス感覚の欠如が挙げられます。

情報は魅力的な人間の下に集まる

──歴史書の多くは研究者や歴史家の手になるものですが、『第二次世界大戦』は、意思決定のさなかにいた人物が書いた歴史の書である点で異彩を放っています。

 歴史書の多くは、残された史料に基づいて綴られていきます。しかし、本当に重要な真実は史料には残されていないことを我々は体験で知っています。私が『ウルトラ・ダラー』という小説を書いて言いたかったことは、日本では外交上の重要な記録は意図して残されていないということでした。北朝鮮との極秘交渉の記録は一切残されていないことを条約担当の局長が国会で証言しています。

 東西冷戦がまさに終わりつつあった時、私は次期支援戦闘機の共同開発をめぐる日米の暗闘をテーマに『外交敗戦』を書きあげました。今では、この本に書かれている事実を当事者たちが等しく認めています。しかし、それを裏付ける決定的な公文書は、外務省にも、通産省にも、防衛省にも残されていない。歴史上の重要な事実は、意外なほどに文書の形では残されないものなのです。

 『第二次世界大戦』は、歴史家の叙述ではありませんから、すべてを客観的に記述している訳ではない。その一方で歴史の真実に肉薄しているという点では、圧倒的な迫力を秘めています。大戦を指導したチャーチル以上に第二次大戦を描き切った著者はいないといっていい。実社会で仕事をし、自らの問題意識を持っている人たちが読むには、教科書的な第二次世界大戦の通史よりチャーチルの本をお薦めしたいと思います。

──最後に、読者へのメッセージをお願いします。

 「情報・インテリジェンス」というテーマについても本書は示唆に富む素材に溢れています。第一級のインテリジェンスは、人と人との関わりのなかでしか得られない。本書を読めばこの鉄則が納得できるはずです。真の情報は、自らのリーダーシップとディグニティー(品位)によって、磁石のように集まってくるものなのです。 チャーチルは、この点で磁力のような魅力を秘めていたのです。最近では、何かを知りたくなると、反射神経のように検索サイトのキーを叩いてしまう人が多い。しかし、良質な情報は、サイバー空間からイージーに獲得できるものではありません。
 何かを調べる時に、検索サイトばかり頼るのはやめたほうがいい。サイトの検索エンジンによって得られる情報は、みな似たりよったりで、思考がワンパターンになってしまいます。そもそもネット上には誤った情報も少なくありません。チャーチルが意外なほど聞き上手であり、人はつい機密を明かしてしまう。彼のような人間的な資質を備えていて初めて、真のインテリジェンスが手に入り、それを武器とすることができるのです。情報畏るべし。

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