手嶋龍一

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「大きな有事に対応できる記者となれ」     手嶋龍一氏

「まさに今がその時です」NHK記者のOBであり、外交ジャーナリスト・作家、また慶応義塾大学教授でもある手嶋龍一氏は、開口一番、記者教育についてこう話し始めた。

 「これまでの既成メディアが崩壊しつつある中で、若いジャーナリストが大きく伸びる要素を阻んでいるものには、2つあります。ひとつは自分の取材範囲に固執するあまり、受け持ち外の出来ごとに鈍感になってしまうこと。もうひとつは、記者クラブ制度の中で、取材対象との距離の取り方が曖昧になり、『肉薄』がいつのまにか『癒着』に変わっていることに記者自身が気づかなくなっている点です。先の相撲部屋へのメール問題も、同様で、守備範囲に固執すると、こういう事態も起きかねないと思います」

さらに手嶋氏は、具体的な事例を掲げながら、まず「狭いエリア」についてこう述べた。

 「かつてデビッド・ハルバースタム*iに話を聞いたことがあります。彼になぜニューヨークタイムズを辞めたのか尋ねたところ、『新聞ではどんなに長くても3000字の原稿しか書かしてもらえない。そんな制約は自分の思考を縛ってしまうと思ったからだ』と話してくれた。3000字は新聞記者の思考を限定し、1分半のリポートは放送ジャーナリストの発想を枠にはめてしまう。彼はそこから離脱したことで『ベスト&ブライテスト』という記念碑的作品を残すことが出来たわけです。日常の取材の枠に甘んじていると、ジャーナリストとして伸びて行く芽を自ら摘んでしまいかねません」

「狭いエリア」に埋没しないためにはどうしたらいいのでしょうか。

 「新人記者が地方局に赴任して、最初に担当するのが警察ですが、このこと自体に意味がないとは言いません。でも警察組織も時代とともに大きく様変わりしている。警察が持つヒエラルキーや官僚的な思考をそのままマス・メディアが受け入れていいはずがありません。もっと視野の広い、複眼的な思考の記者を育てるには、すべての新人記者を『警察取材』に放り込む時代ではもはやないと思います。マス・メディアが、報道のクレジットを『警察』、『検察』、それに『・・省庁』に安易に頼っていては、独自の取材力で記事を書く力を失くしてしまう。いまや一種の談合組織と世間から見られている記者クラブ制度に拠りながら、官僚的権威に寄り添いながら、記事を書く―これでは若い記者が二重に汚染されてしまいます。日本のマス・メディアが依拠してきた記者クラブは、世界中のどこを探してもありません。自分で考えることをせず、発表先のクレジットがないと書けない記者になってしまいます。ホワイトハウスにも「プレス・コー」は存在しますが、単なる親睦組織で各自の取材に介入することはありません。これこそジャーナリストにとって『死に至る病』と言っていいと思います。権力について書くことと、権力に寄り添って書くことは全く異なるのです」

また今回の東北関東大震災を通して、記者は何を学ぶのかという問いに対して次のように語った。

 「今回のような未曽有の有事に対応できる記者になるには、日ごろからの蓄積が大切です。被災地でない記者は、自分の守備範囲ではないと逃げたり、自分が受け持つ地域の原子力発電所はといった程度の取材に甘んじることなく、自分が全てを引き受けるくらいの気概をもって、同様の事態に立ち向かえるよう、日頃から記者としての能力に磨きをかけておくべきでしょう。そのためには、日々の自己研鑚が欠かせません。記者には単なる知識など役立ちません。1次情報を自分でどう掴み、それを有事の放送でどう生かしていくか、心がけておくことが重要です。有事には、デスクのチェック機能はなかなか働かない。せいぜいが誰に生中継を委ねるかを決めることしかできません。こんどのような事態に立ち向かう記者は、常日頃の取材、1次情報の蓄積、処理のしかた、その全てが記者本人の肩にかかっているのです」

最後にデスクに対してもどういう教育が必要なのか。

 「野球の監督に似ているかもしれません。大一番で選手に替わってデスクが打席に立つことはかなわないからです。常日頃から有事に使いものになる記者は誰かを考え、現場中継に立たせるために、厳しい指導が必要でしょう。そのためには、中継リポートの原稿を細かく書き直してはいけません。デスクは現場にはいないのですから。生々しい現地の様子を自分の言葉で伝えることが出来る記者を育てることしかありません。カメラの前でうつろな視線の記者が多すぎます。カメラ脇の紙を読んでいるからでしょう。現場の記者に言論の自由をと申し上げたい」

最後に放送メディアの記者教育について

 「放送の人たちは、新聞、活字メディアの後発の意識がまだ残っています。どうしても活字の取材システムに追い着き、追い越せ的な域をいまだにでていません。記者教育のシステムにもそれが残っています。しかし、活字とは全く異なるメディアなのですから、その特性を生かすべきです。新聞の報道をテレビ報道に取り込んでしまうくらいの気概がほしいと思います。放送メディアは、とりわけ有事には、どんなに新聞が頑張っても追い着けない圧倒的な存在です。今回の大震災報道ひとつとってもよくわかります。いくら新聞が号外を出そうとも、圧倒的情報量をリアルタイムで伝える放送は優位に立っています。それだけに、シナリオのない展開のなかで、それを刻々と伝え、視聴者の期待に耐えうる放送を出す能力を養っておくことがなにより大切です」

*i David Halberstam(1934~2007)アメリカのジャーナリスト。ハーバード大学卒業後ミシシッピー州ウエストポストの記者を経てニューヨークタイムズ記者。ベトナム戦争取材で1964年ピュリッツァー賞。上記の著作のほか大企業の内幕や政府の腐敗を暴いた。

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