手嶋龍一

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著作アーカイブ

女性たちの勇気が世界を変える

●米国初の女性最高裁判事になったサンドラ・デイ・オコナー
●尖閣諸島は日米安保の対象と言いきったヒラリー国務長官
●ビジョンを持った女性たちの勇気が新たな世界に導く

最も心に残ったひと

 アメリカ勤務で最も心に残った人物は?―こう問われれば、迷うことなく、女性として初めて合衆国最高裁判所の判事となったサンドラ・デイ・オコナーさんの名を挙げたいと思います。ワシントンであるディナーに招かれた折のことでした。隣の席に着いた小柄の女性が「法律家です」と挨拶してくれました。この小柄な女性はどこかで見たことがある―。前菜が運ばれてきたとき、彼女の横顔をもういちど見て、オコナー最高裁判事だと判りました。
 ジャスティス・アメリカの最高裁判所判事―それは特別な響きを持った言葉です。日本の最高裁判事よりはるかに権威が高いだけではない。ハーバードやスタンフォードのロースクールで、「将来、何になりたい」と尋ねると、「大統領」ではなく、「ジャスティス」と答える学生が多いのです。大統領職は最長でも2期8年の定めがありますが、最高裁判事は終生のポストです。それだけでなくアメリカ社会が歩む大きな方向を自らの判決で導くことができるのです。
 アメリカでも1980年までは最高裁判事の座は全て男たちだけで占めていましたが、レーガン大統領がオコナーさんを81年に初めて指名し、女性のジャスティスが史上初めて誕生しました。
 私がディナーを共にしたオコナーさんは、すでに伝説的な存在でしたが、補佐官も連れずにひとりで会合に姿を見せ、気さくに会話に加わっていました。いまアメリカ社会で何が問われているのか、誰よりも謙虚に、誰よりも熱心に、耳を傾けていた姿が印象的でした。未来のアメリカを思い描きながら、判決の筆を執っていたにちがいありません。

「あなたの未来を遮るものは何もない」

 そのとき、少女時代の心温まる思い出を語ってくれました。
 サンドラさんはテキサス州エルパソの牧場に生まれ、アメリカ中西部の典型的な保守主義の空気の中で育ちます。それだけに、社会は彼女に良きアメリカの妻そして母になることが望んでいました。それゆえ、彼女も自分が社会のなかで仕事を持ち活躍できるとは思ってもいなかったといいます。民主主義の国、アメリカでも連邦下院議員もごく少数だった時代です。彼女がそう思っていたのも当然でしょう。
 そんな時代に、たったひとり、「サンドラ、あなたの未来を遮るものはなにひとつない」と毎日のように言い続けた人、それが彼女の母親でした。ところが聡明なサンドラは、歳を重ね、世の中の様子がすこし分かるにつれて、「お母さんは私を励ましてくれているだけ。社会の現実は違う」と思うようになったといいます。
 後年、名門スタンフォード大学のロースクールを出て弁護士の資格を得たものの、当時の一流弁護士事務所で女性を採用するところは全くありませんでした。かろうじて公務員への道は女性にも開かれていました。やがてカリフォルニア州の郡次席検事を務め、司法省で少しずつ階段を昇っていきました。
 そしてついに最高裁判事に任命され、任命式がホワイトハウスで行われました。その就任スピーチで、オコナー新判事は次のように述べました。
 「この場に最もいて欲しかった私の母の姿が見えません。私の母は、自分たちの世代には訪れないと思っていた時代が来ることを、澄んだ目で予見していてくれました。あの母の言葉が、今ここに、アメリカの全女性を代表して、初めて最高裁判事の一角を占める私という存在を生み出してくれたのです」
 それは私が聴いた中で、最も素晴らしい演説の一つでした。

小さな巨人

 9・11同時多発テロから1年後、知られざる事実を発掘して、「9・11テロ 1年目の真実」というドキュメンタリーを制作しました。その時、ニューヨークに訪ねたのが、やはり女性の法律家で、メアリー・ジョー・ホワイトという人でした。ニューヨーク南部地区担当の連邦首席検事です。日本風にいうと、捜査部門すべてを率いる検事長という役どころです。その不屈の意志から、アメリカのメディアは彼女のことを「小さな巨人」と呼んでいました。
 1993年に同じワールド・トレーダーセンターの地下に大規模な爆弾が仕掛けられ、大きな犠牲者を生む爆破事件が起きました。彼女はその事件の捜査を担当し、FBIや捜査陣を率いて、国際テロ組織アルカイダを初めて法廷の場に引きずりだして、厳格な証拠に基づいて起訴に持ち込んだのでした。
 その経験から彼女は、アルカイダがやがてアメリカの心臓部、ニューヨークとワシントン狙うに違いないと警告し続けたのです。彼女にとって、9・11のようなテロ事件は「いつか起こるかもしれない」のではない。「いつ、どの時点で起こるのか」なのでした。彼女は1日24時間、その一点を考え続け、大統領にも司法長官にもFBIの首脳にも、最大の警戒態勢をとるように促し続けたのです。
 メアリー・ホワイトさんの両親は戦前、ナチス・ドイツの圧政を逃れてアメリカにやってきたユダヤ人でした。彼女はニューヨークのダウンタウンで育ちました。彼女の母親もまた、娘に「あなたの将来をさえぎるものはない。未来は果てしなく開かれている」と言い続けたのでした。しかし、法律家としての彼女もまた、厳しい道を歩まなければなりませんでした。
 幾人ものFBIの捜査官たちが「メアリー・ホワイトは鉄の意志を持ったリーダーだった」と尊敬の気持ちを打ち明けてくれました。どんな少数意見にも耳を傾け、部下を守ってくれる。皆があの人の下で働きたいと思ったそうです。彼女の実力で部下を心服させ、率いていったのです。
 ロースクールで鍛え抜かれた法律家の卵たちが、サンドラ・オコーナ―判事やメリー・アン・ホワイト検事の補佐官になりたがったのも頷けるでしょう。

尖閣事件、クリントン国務長官の勇気ある発言

 ヒラリー・クリントン国務長官は、ホワイトハウスのファーストレーディ時代からクリントン政権の総参謀長でした。それだけに、私たちホワイトハウス担当の特派員にとって最もアクセスの難しい人だったのです。
 そのヒラリーさんが、尖閣問題のさなかに決定的な発言をしました。尖閣諸島は日本固有の領土だということを前提に、日米安全保障条約第5条の適用範囲だと初めてきっぱりと言い切りました。中国が尖閣諸島に武力行使の構えを見せれば、アメリカもそれを座視しない―。第5条とは、日本の国土や在日米軍基地が攻撃されれば、アメリ自身が攻撃されたと同様に受け止め、軍事力を発動する条約上の義務を果たすというものです。
 尖閣諸島は自国の領土だと主張する中国を牽制して、同盟国日本の立場に立った重要発言でした。尖閣諸島沖での中国漁船による日本の巡視船への衝突事件で、最も重要な発言と言っていいでしょう。並みの国務長官なら、こんな果断な物言いはしなかったでしょう。
 日米安全保障体制は、朝鮮半島と台湾の有事を想定したものです。日米同盟は、とりわけ台湾の有事を想定した盟約なのですが、尖閣諸島はその前浜にある要衝です。一方の中国側にとっては、台湾は譲ることのできない中国の一部であり、それゆえ尖閣諸島の領有をめぐっても近年より強硬な姿勢を見せるようになっています。そうした地域で、クリントン長官が思い切った発言をした意義は小さくありません。

キングメーカー、ヒラリー

 ヒラリーさんは、夫ビル・クリントンの大統領選挙の総参謀長役として、現職のブッシュ41代大統領を破る中心的な役割を果たしました。ホワイトハウス入りを前に、夫ビルの地元アーカンソー州の州都リトルロックにこもって、新政権の骨格を固めていきました。
 ホワイトハウスの記者団が話を聞きたいのは、総参謀長のヒラリーでした。話の筋は通っているし、情報は正確だったからです。ところが、記者団の前に気軽に姿を見せるのは、次期大統領のビルのほうでした。ある月曜日の朝、ビルがリーバイスのジーンズをはいて現れました。
 前日の日曜日に、ヒラリーを乗せ久々に郊外にドライブに行ったというのです。馴染みのガソリンスタンドに立ち寄ったところ、店の主人が飛び出してきて、オイルをチェックし、ガソリンを入れ、ウインドーを磨いてくれた。彼とヒラリーは非常に親しかったので、ビルが「君がもし彼と結婚していれば、今頃はガソリンスタンド・チェーンのおかみさんになっていたね」と軽口をたたいた。ところがヒラリーは「あなたは間違っているわ。もし私が彼と結婚していたら、ホワイトハウスに入ったのは彼だわ」と―。

日本は非核保有国を代表して国連常任理事国に

 東アジアにはふたつの大国、日本と中国が並び立っています。しかし、一方の日本は、核兵器も空母機動部隊も持っておらず、中国は核兵器を持ち、空母の建造を進めており、そのうえ国連安保理事会で拒否権を持つ常任理事国です。これに対して日本は国連資金の突出した拠出国であるにもかかわらず、常任理事国の椅子を与えられていません。国連の構成はいまだに5大戦勝国の支配が続いています。
 こうした現状を変革して、日本が国際社会で応分の発言力を得るには、国連安保理の常任理事国にならなければなりません。オバマ大統領は、核なき世界の実現を目指していますが、日本はいまこそ、核を持たない大多数の国を代表して、核なき平和な世界を創造する先頭に立つべき時でしょう。

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