揺れる尖閣問題
ヒトラーが政権の座に就いて3年後の1936年3月、ドイツ軍はついにラインラント地方に進駐した。第一次大戦後、独仏の緩衝地帯として設けられた非武装地域にヒトラーの軍隊が入ったことでベルサイユ体制は大きく揺らぎ始めた。しかし英仏は、軍事大国ドイツの復活を目の当たりにしながら明確な警告を発しなかった。とりわけドイツと長い国境線を接するフランスは、マジノ線の内側に立てこもったまま動こうとしなかった。英仏のこうした対応は、もう一つの国境線に衝撃となって伝わっていった。第1次大戦後に独立した東欧諸国がヒトラーの軍隊の脅威に曝(さら)されても、英仏からは軍事的な支援を望めないかもしれないという不安を抱かせたからだ。第二次大戦に向けての胎動はまさしくこの時始まったのだった。
尖閣諸島沖で中国漁船が日本の巡視船に衝突する事件にこと寄せて、海軍力の増強を続ける中国をかつてのドイツに見立てているのではない。軍拡に走る新興国家に凛(りん)とした外交をもって臨むことを怠ることに警鐘を鳴らしているにすぎない。相手国が譲れない一線を踏み越えても毅然(きぜん)とした対応を取らなければいかなる事態を招くか。「ラインライトの沈黙」は貴重な教訓を後世に残している。愚者は眼前の失敗から学び、賢者は歴史に学ぶという。
「東シナ海に領土問題は存在しない」
前原誠司外相は国会答弁で尖閣諸島をめぐる領土問題など日中間には全くないと言いたいのだろう。だが現実に中国は尖閣沖の海域に連日250隻以上の中国漁船を出して既成事実を積み上げようとしている。日本政府は、尖閣諸島が日本の正当な領土であると繰り返し明確に主張すべきなのである。
1950年代の中国人民解放軍作成の地図には尖閣諸島と日本領であることが明記されていた―日本の中国大使経験者はそう証言する。空母機動部隊の保有を目指す中国が領有権を声高に主張し始めた現実を直視し、誤ったシグナルを北京に送ってはならない。
民主党政権は、巡視船に衝突した中国漁船の船長を公務執行妨害で送検することを認めた。にもかかわらず中国政府が、閣僚級の会談を停止し、レアアース(希土類)の対日輸出を差し止め、建設会社の日本人社員を拘束するに及んで、沖縄の検察庁に日中関係の情勢判断を委ねて、処分保留のまま中国人船長を釈放してしまった。これによって中国側が態度を軟化させ、ニューヨークでの日中首脳会談に応じてくれると期待した節がうかがえる。中国の国内情勢をめぐるインテリジェンス能力が不足し、それゆえに民主党政権の判断が揺れる錯誤の連続だった。
日米外相会談でクリントン国務長官が「尖閣諸島は日米安保条約第5条の適用範囲内だ」と断じたことが唯ひとつの成果だった。それとても民主党政権が主導したものではない。尖閣諸島に中国軍が侵攻するようなことがあれば座視しない―米国の戦略家たちは、北京に明確なシグナルを送って「ラインラントの沈黙」を繰り返すまいとしている。
「日本農業新聞」に掲載