手嶋龍一

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沖縄核密約は米国の罠だったのか

「若泉敬が自裁してまで『愚者の楽園』に伝えたかったこと

検証委員会の腑抜けな結論

手嶋 日米間の「密約」は、民主党政権の出現で、にわかに注目されるようになりました。沖縄返還時に、佐藤栄作首相とニクソン米大統領の間で交わされた「密約」もその一つです。総理の密使として奔走したのが国際政治学者の若泉敬氏。まさにその時、若泉家に若き外交官として寄宿し、晩年まで親しい間柄だった谷内さんと「密約」の本質とは何だったのか、じっくりお話したいと思います。

過日、日米間の四つの「密約」を検証してきた外務省の有識者委員会が、報告書を提出しました。報告書は、一九六〇年の日米安全保障条約改定時の核持ち込みなど三件については「密約」と認めましたが、これから議論する一九六九年、沖縄返還交渉に際して佐藤・ニクソン両首脳が密かに取り交わした約束、すなわち極東の有事には沖縄に核を持ち込むことを認めるとした、秘密裏の文書については「密約にはあたらない」という唖然とする検証結果なるものを公表しました。

戦後日本の外交史上、これほど明白な密約はないというのが私の見解です。私ならずとも、これを密約ではないと断じる根拠などないはず。

外務省もさすがに気が引けたのでしょう。これは外務省の判断ではなく、有識者の見解だと苦しい言い逃れをしている。まず本日は、条約局長や事務次官をつとめた谷内さんに、これが密約でなかったなどと言えるのか、そこから議論を始めたいと思います。

谷内 ご存知の通り、沖縄返還に際しては、一九六九年十一月、日米両首脳によって「核抜き本土並み」を基本方針とする「共同声明」が出された。

ところが、ほぼ同時に、ニクソン大統領は緊急事態に「核兵器の沖縄への再持ち込みと、沖縄を通過させる権利を必要とする」と要望し、佐藤首相が「重大な緊急事態の際の米国政府の諸要件を理解して、かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの要件を満たす」と請け負う、要するに、核持ち込みを認めることを記した「共同声明に関する合意議定書」に秘密裏にサインしています。

しかし、検証委員会は、この議定書は表向きの共同声明の第八項を大きく越える負担を約束したものではないとし、密約にあたらないと結論しました。

手嶋 共同声明の第八項とは、「総理大臣は、核兵器に対する日本国民の特殊な感情およびこれを背景とする日本政府の政策について詳細に説明した。これに対し、大統領は、深い理解を示し、 日米安保条約の事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく、沖繩の返還を、右の日本政府の政策に背馳しないよう実施する旨を総理大臣に確約した」と述べています。

谷内 この共同声明を見ただけで米国の有事の沖縄への持込は明らかで、日本政府もそれを認めた――などと読み取ることは不可能だと思います。

手嶋 まったく同感です。外交ジャーナリストとして、永くこの問題に携わってきましたが。外交当局者は、あらゆる国会答弁で沖縄への核持込を認めるニュアンスを滲ませたことなど一度たりともありません。にもかかわらず、密約などなくても、共同声明の文面から核持ち込みを読めるなど公的に言えるはずがありません。谷内さん、そう断言していいですね。

谷内 そうだと思います。

手嶋 事実に即して言えば、若泉さんがかかわってまとめた文書は「密約そのもの」といわざるを得ない。そういう立場で議論を進めてよろしいですね。

谷内 異論ありません。「厳密な密約の定義を述べよ」と聞かれても用意はないのですが、これは常識的には密約じゃないのかと。これがあって初めて沖縄返還交渉の際にはそういうことがあったのだと分かるのであって、秘密裏に結ばれた合意議事録について、公表された共同声明の自明の単なる注釈だと思う人はいないと思うからです。

手嶋 東アジアの外交に関わる文書で、上海コミュニケを除けば、この日米共同声明の第八項ほど重要で機微に触れ、しかも多義的なものはないと言っていい。

米国政府は、全世界にある米軍の核兵器の所在について「肯定も否定もしない」という、NCND政策を堅持してきた。一方の日本も非核政策を国是としてきた。ですから共同声明の第八項は、交わるはずのない平行線を交わったと表現して見せ、米側では議会のうるさ型を納得させる武器になったのです。日本はついに有事の核の持ち込みを認めたと。日本側も米側の意向に薄々気づいていながら黙認したのが真相でしょう。「第八項から沖縄への核持ち込みが読め、従って密約など意味がない」というのは、後知恵の最たるものでしょう。

将来の外交ビジョンもなく ただ「密約」を暴いた罪

 

手嶋 民主党政権が、密約の検証になぜあれほど情熱を注いだのか。どうご覧になりますか。

谷内 時期尚早だったと思います。

核密約の話と言うものは、国家の安全保障と日米同盟の運営の両方にかかる大変に機微に触れる大きな問題であるからです。

先ほど、手嶋さんからご指摘ありましたが、米国はNCND政策を採っているわけですし、日本は非核三原則を持っていて、双方は矛盾をはらみ、ここに緊張関係があることは間違いない。そうした難しい関係の中で、どうやって「核の傘」を維持していくのか。そういう信憑性をどうやって維持していくのか。これは実に高度に安全保障にかかわる問題であるわけです。

そして、核の傘の問題は、依然として現在進行形の問題であることを指摘しておきたい。この話は四、五〇年も前の古い話だし、外務省、時の政府は国民に嘘をついていたから、ともかく事実関係を明らかにするべきだ―などとは思えません。

手嶋 まさしく現在進行形の安全保障上のテーマなのです。

谷内 今回、「広義の密約」として認められた六〇年の核密約なるものもありますよね。日米安保条約の改定時には、有事の際だけでなく、在日米軍に「重要な装備の変更」がある際にも日米が事前協議を行う必要があると定めた。ところが、藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米大使は同年、「核兵器を搭載した艦船の寄港は核の持ち込みにはあたらず、事前協議の対象としない」とする密約に署名したとされる件です。

あれ以降の国際政治を見ていると、六二年にはキューバ危機が起きた。六四年には中国が初の核実験を成功させ、六七年には水爆実験も成功させています。世界全体の状況を見渡してもあの時期は核について非常に危惧される状況だったのだと思います。全ての事態を予測して結んだ密約ではないかもしれませんが、核の危機が非常に高まり、デリケートな問題になっているという意識は日本国民にあったと思います。

当時は、核を搭載した艦船の寄港、核の持ち込みは現実にありえるのではないか、という印象を与えたほうが「核の傘」に対する信頼性を高めるといった観点から言って意義があった。

日本国民の中には国際社会の中で生きていくための知恵のようなものがある。建前は建前としてあるので、核持ち込みをあからさまに認めるわけにはいかないけれど、でも、実際にはあるかもしれないと思わせるほうが良いのではないかという現実感覚です。

手嶋 核政策を巡る〝密教〟と言っていいのかもしれませんね。

谷内 それを、国民を騙していたとか、不正直だとか、そういった次元で議論をするのは、後知恵でしかありません。あの時点では、あの手法しかなかったのだと思います。渡辺利夫拓殖大学長が「外交の狡知」とおっしゃっていたけれど、日本人はそうした実利的な感覚を持った国民なのです。

密約があったと明らかにした後、将来の外交にどうつなげるのか。民主党のビジョンが見えないのも問題です。核の国内配備は禁止し続ける一方、核搭載艦船・航空機の寄港や通過は容認するといった「非核二・五原則」を模索するのか。それとも非核三原則の堅持なのか。非核三原則こそ日本の国是であるとして、米国側に改めて確認させるためだったのか……。

有識者委員会の報告後、鳩山首相、岡田外相は非核三原則を堅持する方針を表明していましたが、実際に核の持ち込み、寄港が必要になったときには、時の政府が判断すればいいとして、その判断は避けている。結局、何をしたかったのかが不明です。

手嶋 外交の舵取りをどうするかといった判断から密約問題を手がけたわけではないのです。凡庸なメディアとさして変わらない低い視点からパンドラの箱を開けてしまったのが真相でしょう。国民から外交を委ねられているという崇高な使命感は伝わってきません。

密約があったか否か、それを暴くだけでは何も生まれない。一連の検証騒ぎを議論する意味があるとすれば、日本外交を迷走させた民主党政権のありようが、そこにくっきりと顔を覗かせているからです。普天間飛行場の移転問題をここまで悪化させてしまった民主党政権の弱点を物語っています。

「外交の狡知」は、賞賛されるものではないかもしれない。しかしながら、国際社会の苛烈な舞台では、時に欠かせません。日本は敗戦国であり、核を持たず、日米同盟とはいいながら、彼我には圧倒的な政治力、軍事力、経済力の差が現に存在していた。狐のような知恵を武器に生きざるを得なかったのです。まさに若泉さんが密約の存在を初めて白日のもとに曝した渾身の著作『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の書名の通りなのです。戦争で負けて外交で沖縄を取り戻すには他の策はなかったと考えたのでしょう。

民主党政権が迷い込んでいった密約の検証なるものは、こうした冷徹な認識を踏まえて進められたとは思えません。誤解なきように言っておきますが、私は密約を暴くべきではないと主張しているのではありません。しかし、密約を暴くだけでは新しい時代の幕はあがらない。ましてや、有事の沖縄への核持ち込みの文書は密約ではないという見解を引きだしてしまった。言葉を喪ってしまうほどお粗末な指導力です。

そんな人たちが、あれほど複雑な要素が絡み合う幾重にも問題が絡みあった普天間問題に取り組んだのですから、日米同盟に取り返しのつかない亀裂を生じさせてしまったのも頷けます。しかし、その結果責任はきちんと取られていない。

谷内 極めて憂慮される事態です。

アメリカの罠と保険?「密約」の本質とは

手嶋 さて、若泉さんが奔走して取りまとめた密約ですが、果たして密約が必要だったのでしょうか。

私は長らくワシントンのホワイトハウスや米国議会で取材し、米側の論理や心理を知る者の立場から推測するに、当時の佐藤政権は、ニクソン政権、とりわけ大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャー氏の「外交の狡知」にはめられたのではないかと思います。

超大国アメリカは、ひとたび戦争になれば、黙って核を沖縄に持ち込む覚悟はできていたはずです。一片の文書などに縛られない。では何故、密約が必要だったのでしょう。

条約の承認権を持ち、時にニクソン・ホワイトハウスの前に立ちはだかった米国上院のうるさ型に「共同声明は決してアメリカの軍事行動を縛るものではない」と説き伏せなければならなかった。上院の有力議員への説得の切り札という側面は確かにあったと考えられます。「大丈夫です。有事の備えはここに一札とってあります」と。

事実、そのような説明が行われていた節は米側の公文書から窺えます。相手も米国外交を時に主導してきた上院のつわものたちですから、文書の存在をほのめかすだけで納得したケースもあったでしょう。ワシントン政治には、ホワイトハウスと議会という二つの心臓があると言われます。その一つを担い、米国外交を推し進めてきた人たちは、なかなかに懐が深いのです。

佐藤首相から一札取っておくことは、議会有力者への切り札として貴重だったはずです。だがそれだけでは、あれほどの密約に米国政府が踏み込んでいった理由としては薄弱です。

より深い理由があったと考えざるを得ない。実は、日本外交にとって柔らかい脇腹だった分野で証文を取っておくことで、米国政府が本当に欲しかった果実を手にしたのではないでしょうか。若泉敬著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の注意深い読者は気付かれたはずですが、繊維にかかわる果実です。

共和党のニクソン大統領は六八年の大統領選挙中、民主党の金城湯池だった南部に分け入り、一枚の約束手形を振り出すことで切り崩していきました。当時、日本製繊維の洪水的な輸出で打撃を受けていた南部の基幹産業である繊維企業を保護するために、日本政府に繊維製品の対米自主規制をさせると公約に掲げていたのです。ニクソンはこの南部戦略が功を奏して見事に当選を果たしました。当選後、ニクソン政権はこの約束手形を落とすため、日本を二重の密約に誘い込んでいった。若泉証言によれば、キッシンジャー氏と極秘の交渉を重ね、合繊などの五年間の対米輸出自主規制を呑まされていった。米国はこの果実を取るために、核の密約も結んで一種の脅しに使った節があります。

谷内 ご指摘の通りと思います。

沖縄の方々には非常に申し訳がないことなのですが、第二次世界大戦では沖縄では最大の激烈な地上戦が行われて、最大の犠牲を背負わせてしまった。そして、密約についてもそうなのですが、国際政治を生き抜くためとはいえ、沖縄はことあるごとに日米間の取引に使われてしまった側面は否めません。

さて、なぜ密約を結んだのか。当時の米国は、ベトナム戦争が泥沼化し、戦費も膨大なものに膨れ上がっていましたから、そろそろベトナムから手を引きたいと考えていた。一方の日本では、ベトナム反戦運動なども盛んでしたから、米国は沖縄を返還した後、日本は自立の道を歩もうとするのではないかと不安だったのではないか。日米同盟があるからといって一〇〇%安心できなかった。だから、ベトナム戦争から手をひくためにも、日本は同盟国として引き付けておきたいという冷静な計算があったのではないでしょうか。

手嶋 ニクソン・キッシンジャー組の政治手法を見ていると、外交とは、ああ、狡知とみつけたり。(笑)

谷内 日本が米国から離れ、自立の道を歩みだしたときには、「実は、こういうものがあるんだよ」と、密約をちらつかせることもできる。あまり考えたくありませんが、当時の佐藤政権、政権与党にとって、密約を野党などにリークされたとすれば、大変な致命傷になっていたでしょう。そのくらいドライな感覚がキッシンジャーにはあったのではないでしょうか。

しかし、表面的には、つまり、若泉さんに対しては、この共同声明ではペンタゴン(国防総省)が納得しない。いざと言うときには、日本が米国の核持ち込みを認めるという保障もなしに、説得できない――などと畳み掛けたのだと思います。しかし、本質的には米国の戦略上、同盟国として日本を確保しておきたかった。それが密約の本質だと思えてなりません。

手嶋 極めて興味深い見立てです。

一方、当時の冷戦期の西側の盟主米国に〝国家理性〟が備わっていたとすれば、近未来への洞察力が見事なまでに発揮されたと言えます。

米国の戦略拠点、沖縄を日本に返すことで、東アジアの安定の要である日米同盟を四〇年にわたって命ながらえさせたのは紛れもない事実です。これは、後世に言っておかねばなりません。

普天間の悲劇

谷内 激しい地上戦によって獲得し、支配下に置いた沖縄を、ベトナム戦争のあの激しいさなかに返還するなどということは、米国でなければありえなかったのではないでしょうか。

手嶋 そう思います。北方領土を巡る対ロ交渉と比べれば明らかです。

日米同盟では、アメリカは極東や日本の安全を保障する条約上の義務を負う一方で、日本は基地を米国軍に提供することで、バランスが保たれています。民主党政権は、この非対称な同盟の本質について洞察を欠いていた。それゆえに普天間基地の移転問題で躓き、鳩山首相は辞任に追い込まれた。

鳩山首相はかつて「常時駐留なき安保」論などを主張していたのですが、政権の座にいざ就いてみると、外交の選択肢は誠に限られたものでした。にもかかわらず、普天間の移転で、あたかも国外や県外の選択肢があるかのような幻想を抱き、いたずらに時間を浪費していきました。

「最低でも県外」という発言はまさにその典型でした。野党だから分からなかった、と彼らは釈明するのですが、それでは政権交代などできなくなってしまう。何とも論評のしようがありません。

谷内 鳩山首相は、自民党時代に作成された現行案に戻る際の説明として、「学べば学ぶほど抑止力(が必要と)の思いに至った」と述べた。しかし、抑止力という観点から必然的に現行案に行き着くとは言えないはずです。さらに言えば、抑止力について学んだということと、核密約をともかく公表するということとは矛盾しないのかと問いたい。

これからお話しする若泉さんにとって、安全保障は生涯をかけたテーマでありました。安全保障と言うものは、究極の国家のレゾンデートル(存在意義)です。その最も重要なことについて深く理解している人に国家の指導者になっていただきたい。こんないい加減であいまいな姿勢で、この問題に取り組まれたことは、日本国民にとって極めて不幸なことだと思います。

手嶋 政治指導者は安保について細かな知識など要りません。求められているのは優れた洞察力です。鳩山政権に欠けていたまさしくそれでした。

戦後永く米国の核の傘に身をひっそりと寄せてきたため、自立した国家としての覚悟、洞察力が摩滅し、今日のような事態を引き起こしてしまった。そうした日本の惨状が、若泉敬さんという至誠のひとを深く絶望させてしまったのだと思います。

若泉敬はなぜ自裁したのか

手嶋 若泉敬さんは、九四年、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を著し、沖縄返還の密約のすべてを明らかにした。九六年に英語版を仕上げて、毒杯を呷って自裁しました。このほど新装版の上梓にあたって、私は「あとがき」の執筆を依頼され、関係者にも諮って初めて自裁の事実を記しました。若泉さんの素顔を読者にご紹介ください。

谷内 私が最初に若泉さんに出会ったのは東大の学生時代です。若泉さんのもとで、アルバイトをしたこともありました。六九年に外務省に入省した際には、若泉さんのご自宅に居候させてもらってもいます。

そのころ、「国事に奔走している」ということでお忙しくしていらっしゃいましたが、その時期にまさに、いま議論している密約の交渉をしていらしたことになります。それは、まったく知りませんでした。

私は若泉さんを人間的にも、国際政治の理解においても大変に尊敬しているのですが、この本で密約について公表するべきだったのかどうか、また、自裁されたことについては様々な疑問を抱いています。

手嶋 この本の刊行後、若泉さんが沖縄県知事へ出した歎願状に「拙著の公刊によって沖縄県民の皆様に新たな御不安、御心痛、御憤怒を惹き起した事実を切々自覚しつつ、一九六九年日米首脳会談以来、歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を執り、武士道の精神に則って、国立沖縄戦没者墓苑において自裁します」とあります。

谷内 沖縄の皆さんには、大変な犠牲を強いてきた。そのうえ、さらなる犠牲を強いてしまった。申し訳ない、ということだったのか。安全保障上に密約を作ったことに対して申し訳ないと思ったのか。何に対して責任を負おうとしたのか。判然としないのです。

若泉さんは外務省の方ではないので、六〇年安保改定時に既に結んでいた密約についてご存知なかったのかもしれません。だから、自責の念を深めていかれたのでしょうか。

手嶋 その可能性は高いですね。

谷内 若泉さんは、ヨシダというコードネームでキッシンジャーと切り結んだわけですが、とはいっても交渉は常に総理なり外務大臣と話し合いながら進めている。そのうえ、サインをしたのは佐藤首相ですから、最終的な結果責任であれば佐藤首相が負うべきです。交渉の実現に向けて動かれた若泉さんが自裁するほどに責任を感じなくてもいいような気がするのです。

手嶋 密約を公表しようと筆を執ったときと、書き終えた後の心象風景はかなり違っていたはずです。書き進むうちに絶望の思いが深くなっていったのでしょう。

この大著のあとがきに「敗戦後半世紀間の日本は『戦後復興』の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果、変わることなき鎖国心理の中でいわば〝愚者の楽園〟と化し、精神的、道義的、文化的に〝根無し草〟に堕してしまったのではないだろうか」とあります。

至誠のひとが苛烈な状況のもとで交渉に臨み、沖縄返還を勝ち取った。それによって、日米同盟を、そして日本の安全保障を確たるものにしたいと切に願ったのでした。

しかし、沖縄返還後の日本の現状は、〝愚者の楽園〟と呼ばなければならない惨状を呈しつつある。眼前の日本のありさまに絶望していった。「結果責任」というよりは、深い絶望が彼を自裁に誘っていったように思います。

谷内 若泉さんは、本を刊行することで社会に大きな衝撃が走り、国会から呼ばれ、マスコミも大きく取り上げ、厳しく糾弾されることを想定していたようです。そうなったら、自分はすべてを隠さず、歴史の証言台に立つんだという覚悟で書かれたようです。

ところが、時の首相は「そのような事実はない」と密約を否定した。外務省も認めない。ほとんど反応がないわけです。この国はいったいどうなっていくのかと不安を深めたのではないかと考えられます。私も自裁は、結果責任を負ったというより、絶望に裏付けられたものではないかと思います。

若泉さんはこの本の英語版を二年後に出されているのですが、この序文からはさらに深刻度を深めている様子が窺える。国家の安全保障のために、文字通り命がけで仕事をされた方です。自分の人生を燃焼し尽くしてこの問題に取り組んだ。そうした自分の姿勢が若い人たちに何かを点火するのではないか、と期待していらしたのではないでしょうか。若泉さんが、ignite(火をつける)という言葉をよく使っていたことが思い起こされます。しかし、火がついたかどうか分からないまま、自裁されてしまう。

手嶋 若泉さんの絶望は、同盟の本質に関わっていました。その意味で鬱々たる感情として片づけるわけにはいきません。

安全保障を超大国との同盟に委ねた国家は、国際社会の秩序の創造に関わる志をいつしか喪失し、やがて衰退してしまう―。こう考えたのはフランスのドゴールでした。それゆえ、北大西洋条約機構(NATO)の軍事部門から離脱し、独自の核兵器保有を目指したのでした。

一方の日本は、後に「吉田ドクトリン」の名で呼ばれるように、軽武装、経済重視の路線をひた走り、安全保障を日米同盟に委ねることになった。かくして世界第二位の経済大国となっていった。武器を輸出することなく、経済大国となったことは誤りではなかったはずです。

一方で国際政治の大きな舵取りを超大国アメリカに委ねてしまったことで、自ら主体的に国際秩序の形成に関わる意思を磨滅させていった。これこそ、同盟につきまとう、まさしく影だったのです。若泉さんが人並みすぐれて鋭敏だったのは、同盟に密かに兆す影を自覚するその感性でした。

谷内 戦後、この国の政治家が安全保障の問題に命がけで取り組んでこなかったことは最大の問題です。憲法9条の解釈を内閣法制局に任せ、政治はあいまいなままでごまかしてきたことの責任なども極めて重い。そして、安全保障面では米国におんぶに抱っこという状態が続いた。

ビスマルクは、同盟とは騎士と馬の関係だと表現しているそうです。日米同盟でいえば、日本は馬だと思いますが、馬がいつも騎士の言うことを聞いているかといえばそうではない。馬と騎士が一体となってはじめて力を発揮するのですから、騎士は馬の意向もきかなくてはならない。現在の米国とイスラエルの同盟関係を見れば、イスラエルがどれほど大きな力を発揮しているかは一目瞭然です。マイナーパワーだからといって、常にメジャーの言いなりになるわけではありません。そこはしたたかな戦略的外交が成立する余地があると、私は思う。

若泉さんが願ったように、安全保障、防衛体制については日本もきちんと整備するべきです。国民を自国の力で守るのだという気概は必要不可欠です。その上で、どうしても足らない部分を米国に依存するという姿勢が必要なのではないでしょうか。

手嶋 若泉さんは同盟の運営にまつわる機密を曝け出してまで伝えたかったのはまさにその一点だったのでしょう。海外に在勤していた私は、若泉さんから長文の手紙を幾度もいただきましたが、愚者の楽園に安住する日本の人々をなんとか覚醒させたいという思いが綴られていました。

確かにいまの日本もさして状況は変わっていない。しかし、この本に書かれた若泉さんの遺志は、広い意味で必ず受け継がれていくと信じています。

誤った政治主導と新たな時代の日米同盟

手嶋 政治主導の問題を考える際に、内閣法制局のあり方は重要です。日本の政治は憲法解釈を事実上内閣法制局に委ねてきました。しかし、内閣法制局の役割は、法的には内閣総理大臣に助言するにすぎない立場です。内閣法制局に憲法の解釈権があるわけではない。民主党政権の〝政治主導〟には多くの問題がありますが、内閣法制局長官に国会答弁を委ねないのは実に正しい判断だと思います。さて、一方の国際法については、外務省条約局が解釈権を有していると言っていいですね。

谷内 外務省設置法に「条約その他の国際約束及び確立された国際法規の解釈及び実施に関すること」をつかさどるとあり、その他の設置法に類する記述がないことから、伝統的に解釈権は外務省にあることになっています。

手嶋 しかし、政治主導というなら、この強大な権限を官僚組織に委ねておくのはおかしい―民主党政治の論理ではそうなるはずです。岡田外相は「条約当局に条約の解釈権はない。政務三役こそが条約の有権解釈権を担う」と堅牢な外務省の権益に踏み入るべきです。密約の解釈も含めて条約官僚が依然として権限を握っているのは大いに問題があります。

谷内 〝政治主導〟を成功させるためには、官のプロフェッショナリズムと政治家のある種のアマチュアリズムがうまく組み合わさる必要があります。国家運営には官僚の仕事だけではだめで、国際社会の動きを展望しながら、大局的な判断で動かす政治家の判断が必要です。官僚は、国会答弁の積み重ねの上で仕事をしていますから、これを変えようとする場合には政治主導しかありえません。

手嶋 元条約局長の指摘だけに重要です。極めて複雑な国際法の解釈を政治家だけでやるのは不可能でしょう。プロフェッショナルの意見を参考にしながら政治判断をする。それが政治家の責務ですが、現実は相当にお寒いものがあります。政治主導の道遥かです。

谷内 ところで、民主党は、日米同盟の「深化」を主張しますが、これは何を意味するのか気がかりです。 対等な日米関係をさらに進めるということなら、気をつける必要がある。対等という意味は、民主党からすると米国に言いたいことを言い、同盟の負担を減らすとことかもしれませんが、米国側はもっと負担をしてほしいと考えている。双方の認識には、大きな隔たりがある。

手嶋 冷戦終結によって共通の敵を失ったのですから、日米同盟には求心力より、遠心力が働くのは当然です。それに加えて、誤った政治主導によって、いま、日米同盟の基盤が大きく揺らいでいます。

ただ、これは、永く政権党だった自民党の責任も相当に重いと言わざるをえない。冷戦終結から十数年、新たな東アジアの安全保障のあり方を誰も提示しようとしませんでした。想定を超える事態に備えておく―そんな洞察力をもって東アジアの近未来に分け入っていくリーダーを欠いてきました。

明確な敵なき時代の同盟のあり方を構想すべきでしょう。敵を旧ソ連から中国に置き換える安易な発想では、確かな解は得られません。

谷内 普天間についてのみいえば、ここまで泥沼化してしまったのですから、かつて橋本龍太郎首相がそうしたように、何度でも政府首脳が沖縄に足を運び、地元の得心ゆく答えを見つけるしかないでしょう。

手嶋 同時に沖縄の負担軽減のため、すべての日本人が同盟のコストを担う姿勢を沖縄の方々に身を以て示さなければと考えます。

対談
谷内正太郎/前外務事務次官
手嶋龍一/外交ジャーナリスト・作家

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