手嶋龍一

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米国の国連人権理事会立候補にみるオバマ政権の内実

5月12日、各国の人権状況の改善を目指す国際連合(国連)人権理事会の理事国の改選選挙が実施になった。この選挙では、これまで人権理事会と距離を置いてきた米国が初めて立候補し、当選した。米国の「対国連戦略の転換」という見方もあるようだが、オバマ政権の内実はそう単純ではない。

人権理事会に背を向けた米国にイスラエルの影

国際連合人権理事会(UNHRC=United Nations Human Rights Council)の設立は2006年6月のことである。その前身は国際連合人権委員会(UNCHR=United Nations Commission on Human Rights)だ。同委員会はもともと国際連合経済社会理事会の機能委員会の一つであり、それを総会の直接の下部機関(補助機関)に発展・改組する形で「格上げ」して生まれたのが国際連合人権理事会ということになる。

改組によって、具体的には何が変わったのか。旧・人権委員会は毎年1回6週間だけ開催する存在だったのに対し、人権理事会は年3回(合計10週間以上)の定例会合のほか、理事国の3分の1の要請があれば緊急会(特別会期)も開くことのできる常設理事会となったのだ。それだけ「世界」への影響力も強まったことになる。

この人権理事会の発足に反対したのが、当時のジョージ・ブッシュ共和党政権である。理事国への立候補も表明せず、人権理事会と距離を置く強烈な姿勢を示した。「一国主義(ユニラテラリズム)」というブッシュ政権の性格が影を落としていた。だが、より大きな理由は、同盟国イスラエルへの批判が強まることへの懸念だった。占領下のパレスチナ、特にガザ地区へのイスラエル軍の攻撃に対し、人権委員会は再三にわたり非難決議を行なってきた。その人権委員会が格上げされれば、イスラエルに対する国際的非難はいっそう強まることになる。米国はそれを嫌ったのだろう。

しかし「人権理事会創設決議案」は、賛成170、反対4(米国、マーシャル諸島、パラオ、イスラエル)、棄権3(ベラルーシ、イラン、ベネズエラ)の圧倒的多数をもって国連総会で可決されてしまう。2006年3月15日のことである。以来、米国は人権理事会に背を向けつづけてきた。

その米国が民主党のバラク・オバマ政権の誕生を機に、初めて理事国に立候補した。そして5月12日に行われた国連総会での投票で、当選に必要な過半数を大きく上まわる、192国連加盟国のうち167カ国からの支持を受けて米国は当選した。その圧倒的勝利の裏には、早くから立候補を表明していたニュージーランドの辞退を促したと言われた。それほどに「オバマの米国」は人権理事会の理事国入りにこだわった、ということだろう。

米国当選の日本への影響

国連人権理事会の理事国に米国が入ったことで、米国と国連の距離は間違いなく縮まったといえる。ブッシュ政権にとって、国連は「制御不能の我慢ならない存在」だった。2003年3月、イラクへ武力を行使する際も、ブッシュ政権は「国連の新しい決議は取れるなら取っておきたい」と国連安全保障理事会で「イラクへの武力行使の容認決議」を取りにいった。だが、拒否権を持つフランスが反対姿勢を崩さず、米国は「決議なきイラク攻撃」に踏み切ったのだった。ブッシュ政権と国連の関係がイラク攻撃に象徴されていたといえる。

当時の小泉純一郎政権は、「ブッシュの戦争」を支持し、自衛隊をイラクに派遣して、この戦争に随伴していく。1991年1月の第1次湾岸戦争以降、サダム・フセインのイラクは累次にわたって大量破壊兵器をめぐる国連安保理に違反してきたためと説明した。しかし、米国は新たな国連の武力容認決議を取りにいったのだが、拒否権を持つフランスが強く反対したため、決議を安保理の採決に付すことができなかった。明らかに、ブッシュ政権は国連のお墨付きを手にすることができなかった。日本のイラク戦争支持の論理は「条約官僚の作文」にしぎない。

当時、日本の民主党は、「国連が認めていない武力行使だ」として、イラクへの武力行使には賛成できないという姿勢をとった。そして2006年4月に小沢一郎が党首になると、ますます国連重視の姿勢を強めていく。当時の小沢代表は、国連決議があればたとえ武力行使を伴う場合でも、日本は国連の部隊に参加することができるという見解を打ち出していた。「国連重視」というより「国連至上主義者」と呼んでもいいだろう。

当時のブッシュ政権は、こうした日本の民主党に強い警戒感をもち、その関係は決して良好とはいえなかった。当の小沢氏が代表の座を退いても、民主党の国連重視の姿勢は変わらない。その一方で、オバマ新政権の登場で、人権理事会の理事国になったことにみられるように、国連との関係を改善しているように見える。そのため、米政府と民主党との関係も好転するはずと民主党側は期待しているかもしれない。しかし、事態はそれほど単純ではない。

新政権が反イスラエルに転じたわけではない

米国民主党は伝統的に「人権外交」の党である。1976年の大統領選挙で勝利した民主党のジミー・カーターは、「人権外交」をあまりに全面に出しすぎた。総じてその「人権外交」は成功しなかった。オバマ大統領も、民主党のリーダーだが、政策の肌合いはカーター政権とはずいぶんと違っている。バランスを重視する脱イデオロギー型の政権だ。

国連人権理事会の理事国となったのも、ブッシュ政権時代のあまりに過剰な「反国連色」を薄めたにすぎない。ブッシュ政権時代に離れすぎてしまった国連との距離を少しだけ縮め、バランスを回復したのだろう。オバマ政権とて、その軸足は米国の国益にあり、国連にあるわけではない。その意味で、日本の民主党の過剰な期待は裏切られることになろう。この政権がカーター政権のような人権外交に偏り過ぎることはないだろう。

オバマ政権で外交を束ねているのはヒラリー・クリントン国務長官だ。彼女の上院時代の選挙地盤はイスラエルと密接な関係を持つユダヤ系の票田だった。政権の首席補佐官もユダヤ系だ。こうした背景を考えれば、オバマ政権が反イスラエルに転じるとは考えにくい。オバマ政権の人権権理事国入りは、反イスラエルに転じたゆえでなく、国連内にとどまって反イスラエル的な動きを未然に封じ込める狙いもあるのだろう。

国連外交の場は、力のある国の発言力が強いのが現実だ。人権理事会の理事国は47カ国で、米国はその一つに過ぎない。だが、世界最大の軍事力と経済力を背景に、米国の発言力は他の理事国とは比較にならない。その国が人権理事会に戻ってきた意義は大きい。

オバマ政権のアキレス腱は「強硬な人権派」の存在

バランス感覚を重視するオバマ政権にあって「アキレス腱になりかねない」といわれているのが、国連大使に就任したスーザン・ライス女史である。ワシントン政界で「ふたりのライス」として知られた存在だ。彼女は人権派であり、特にスーダンのダルフール地方で行われたキリスト教徒の虐殺には、クリントン政権のアフリカ担当国務次官補時代から強硬な姿勢をとり続けてきた。

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