手嶋龍一

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新たなグレート・ゲームの時代を生き抜くために

「新・黒船の世紀」特別寄稿(国際交通安全学会)

グローバル化が進むサラブレット界

私は北海道に仕事場をもっていますが、千歳空港の近くにノーザンファームという牧場があります。競馬に興味がある方ならご存じだと思いますが、競争馬を生産・育成している、日本でも屈指の馬の牧場です。今回のテーマは「新・黒船の世紀」ということですが、このノーザンファームには、有名な「ディープインパクト」などのほか、「クロフネ」という馬がいるのです。かつてはダートの王者として大活躍し、現在は種牡馬ですが、産駒も重賞レースで勝利するなど、かなりよい血統の馬とされています。

このノーザンファームでは毎年7月上旬、150億円規模の馬のセレクト・セールが行われています。外国からの客も多く、香港やオーストラリアからも大勢ゲストが訪れます。昨年はオーストラリアの若き炭坑王、ネイサン・ティンクラー氏も来日しました。「クロフネ」ら日本の名馬の血統は今や世界に広がっているわけです。この馬の市(いち)がたつことの意味は、単に150億円規模の国際的な馬市が開かれるというにとどまりません。この馬市は近年、世界のサラブレッドのプライス・リーダー(価格先導者)にさえなっているのです。グローバル化の波は、こうしてサラブレッドの世界にも確実に押し寄せています。

さて、このファームがある日高町のあたりを車で走ると、通常の厩舎は真っ白なのに、黒やダークブルーに塗られた厩舎を見かけます。これはわが国のものではなく、ドバイの王族が所有する法人「ダーレー・ジャパン」が買い上げた厩舎です。ダーレー・ジャパンは最近、こうして経営が行き詰まった日本の牧場を買い漁っています。ドバイの王族たちが、自分の持ち馬を飛行機で連れてきて、クロフネやディープインパクトなどの種付けをするのです。その拠点となるのが新千歳空港です。日高に並ぶ黒やダークブルーの厩舎は、新千歳空港が国際的な商いの交通拠点となっていることを、雄弁に物語っています。

日本の最北である北海道から、さらに北へと目を転じると、北極海があります。ヨーロッパから北極海を通り、大西洋と太平洋を結ぶ航路は「北西航路」と呼ばれています。これは地球温暖化で北極を覆っていた氷が溶け出し、最近になって航行が可能になった航路です。この航路を通れば、EUから北極海を通り、北アジア、さらに東アジアにまでまわり込めます。従来の3分の2の航行路であり、一気に8000キロを短縮できるこの北西航路が、パナマ運河やスエズ運河開通以来の大・流通革命を起こそうとしています。それはまた、稚内をはじめとする北海道の港が、世界的な価値をもつようになることも意味します。

アメリカの凋落とオバマ政権の誕生

さて、その北西航路の南に位置するユーラシア大陸では、近年、19世紀かと見紛う新たな「グレート・ゲーム」が戦われています。その中心は、グルジアとアフガニスタン。なかでも最近のグルジア情勢は、世界のパワーバランスの変化を如実に物語っています。

2008年8月、北京オリンピックという平和の祭典のさなか、南オセチアでグルジア軍と南オセチア軍が衝突。翌日ロシアが軍事介入したことで、世界中に緊張が走りました。しかしこのグルジア情勢に、結果的にはアメリカは指一本、動かすことができなかった。ちょうど冷戦のさなか、スエズ動乱で手いっぱいだったアメリカが、ハンガリー動乱で有効に動けなかったことを想起させる事件でした。この事実一つとっても、今まさにアメリカの世紀が、静かに幕を下ろしつつあることがうかがえます。

このような情勢下に出現した第44代アメリカ大統領が、バラク・オバマです。オバマ大統領は、一国覇権主義を名実ともに終わらせ、新しい国際協調の時代を切り拓く責務を担って登場した大統領といえます。この47歳の新大統領は、まさに新しい国際協調の申し子となることが期待されます。

オバマ政権を誕生させたのは、事実上今回のアメリカ発の経済危機だったと思います。ニューヨークで始まった金融危機は、ただちにシカゴに飛び火し、ほぼ同日に東京のマーケットにも及びました。したがってオバマ氏は、アメリカの大統領ではありますが、こうしたグローバル化時代を象徴する、我ら「地球市民」の大統領ともいえるでしょう。

私自身、バラク・オバマ氏とは比較的以前から交流のあるジャーナリストの一人ですが、彼は一言でいうと、大変スキッとした聡明なリーダーです。大統領選の勝利宣言のときも、少しも浮ついた感じがないのを皆さんもお気付きになったでしょう。これは、リーダーとしての資質の高さをうかがわせるものです。同時に、アメリカ発の危機を「世界恐慌」にいたらせてはならない、それを我が肩が担っているのだという、自らの責務の重さを自覚している表情でもあったと思います。

オバマ政権の最大のポイントは、欲望が渦巻く資本主義から、「グリーン・キャピタリズムへ」と舵を切る強い意志をもっていることです。ワシントンでは今、環境による新たなニューディール、すなわち「グリーン・ニューディール」が叫ばれています。オバマ氏のエネルギー政策は、クリーン・エネルギーに今後10年で1500億ドル(約15兆円)を投じて500万人の雇用を生み、石油依存を減らし、2015年までに100万台のプラグイン・ハイブリッド車を走らせ、自然エネルギー電力を2012年までに10%、2025年までに25%達成し、温室効果ガスを2050年までに80%削減(1990年比)するという、非常に大胆なものです。グリーンビジネスでアメリカ経済を再建し、必要なだけの雇用も生み出すという、まさに「グリーンの大統領」と呼ぶにふさわしい指導ぶりです。

グローバル・スタンダードとは何か

環境といえば、2008年7月に開かれた洞爺湖サミットのメインテーマが、まさに環境でした。そしてEU、とりわけイギリスは、キャップ&トレードによるCO2排出権取引の拡大を、従来以上に強く主張しました。これに対し、「あの取引制度は、日本にとって不利なものだ。EUの尻馬に乗るな」というような声が、日本には少なからずあります。

しかし、私にいわせればこれは、極めて当たり前のことです。なぜならあの取引制度は、もともとイギリス人が考えたわけですから、イギリスの都合のいいようにつくられていて何の不思議もない。今回の経済危機に沈んだ彼らもまた、グリーン・キャピタリズムのスタンダードづくりの主役となって、再び這い上がることに命運をかけているのです。

ちなみに、こうした「グローバル・スタンダード」とは、あらゆる国や人たちにとって公平な世界標準のことではなく、あくまでも強者の論理です。19世紀はイギリスの時代でしたから、イギリスがつくった社会システムを世界に押し付けてきた。20世紀はアメリカの時代でしたから、アメリカ人に都合のいい制度やルールを世界に押し付けてきたわけです。これは我々、国際政治のジャーナリストにとっては、いわずもがなのことです。

そこで、私がこの場で強調しておきたいのは、これからの日本人は、とりわけ若い方たちは、どんなかたちでもいい、各分野のグローバルな基準づくり、仕組みづくりに参画していかねばならないということです。そうしないと、日本は未来永劫、アメリカやイギリスに牛耳られ続けることになります。彼らが用意した枠組みに従うだけで、常に不利益を甘んじて受けざるを得ない地位から、そろそろ我々は抜け出すべきではないでしょうか。

しかし、日本人には底力があり、モノづくりもうまく、わが国の金融システムもそれなりに健全です。したがって私自身は、日本は今後、各分野の国際舞台でリーダーシップを発揮し、大国としての役割を果たしうる潜在力をもっていると信じています。そのことを我々は再確認し、とくに今いったグローバル・スタンダードづくりの場において、確固たる存在感を示していかねばならないということを、最後に重ねて強調しておきます。

(財)国際交通安全学界シンポジウム『新・黒船の世紀』講演より抜粋

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