手嶋龍一

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“新冷戦”の本質と求められる『理想の外交』

三種類の国家が並存する現代世界

―手嶋さんは、いまの世界情勢を考えるうえで、イギリスの外交官ロバート・クーパーの『国家の崩壊-新リベラル帝国主義と世界秩序』(日本経済新聞出版社)に注目されていますね。

手嶋 この本はすでに一八カ国で読まれていますが、ロバート・クーパーという人はイギリスの外交官というよりもEUの外交、安全保障戦略のアーキテクト(設計者)、新しい秩序の創造者として有名で、ポスト冷戦、とりわけポスト「九・一一」事件後の新たな国際情勢を読み解くうえで大変示唆的な視点を提供しています。

たとえば、彼はこう言っています。いまの国際社会は三つのカテゴリーの国家が混在している。アフガニスタンやソマリアのように満足な統治能力すら持たない「プレ近代国家」。伝統的な国民国家の系譜を継ぐ「近代国家」。そして、内政と外交の境目すら意味を失い始めたEU諸国のような「ポスト近代国家」がそれである、と。

ヨーロッパにあっては三〇年戦争の混沌に終止符を打って、一六四八年に締結されたウエストファリア条約によって近代の国民国家のシステムが産声をあげた。そして一九八九年のベルリンの壁の崩壊で、伝統的な主権国家が古い衣を脱ぎ捨て、新しい国家システムが出現した、とクーパーは解説しています。

「ポスト近代のシステムは勢力均衡に依存しない。国の主権や、内政と外交の区別を強調することもない。欧州連合(EU)とは、ビールやソーセージといった身近なものに至るまで、互いに干渉し合うことを認める高度に発達したシステムなのである」

さらに彼はEUの外縁部にも目を向け、日本は今後の舵取りによってはEUと肩を並べるポスト近代国家に脱皮する可能性を秘めており、一方でEUは新生ロシアとも平和のうちに共存できると言っています。

こうしたポスト近代国を出現させる端緒になったのは、ベルリンの壁が崩れた翌九〇年に締結された欧州通常兵器削減(CFE)条約でした。これはNATO(北大西洋条約機構)諸国とワルシャワ条約機構加盟国が、戦車、装甲車、重火砲、戦闘機、攻撃用ヘリコプターの所在を相互に通知し、抜き打ちの査察も受け入れることで合意した画期的な盟約でした。従来の国家主権の核心である軍事統帥権の一部まで相手側に委ねてしまう。これを革命的といわずになんといえばいいのか。ヨーロッパの新たな安全保障秩序は、このCFE条約を出発点にかたちづくられていったのです。

いままでは国民国家の主権は絶対的なものと考えられていました。まさに神聖にして侵すべからざるものでした。CFE条約は、その国家主権の一部を凍結したり、制限したりすることを受け入れたのです。それは、ヨーロッパの諸国が相互の連携を強めていくことを意味するものでした。そういう意味では、われわれは、ウエストファリア条約以来の国民国家というシステムを前提に国際関係を考えてきました。しかし、こうした思考自体がすでに時代遅れになっているのかも知れません。

グルジア紛争で試されるEUの「理念の外交」

―混迷の度を深めるアフガニスタン情勢、さらにはグルジア紛争など世界情勢はますます不安定化してきているように思えます。こうした状況をどう見ておられますか。

手嶋 冒頭で紹介したロバート・クーパーの視点に従って見てみますと、アフガニスタンという国は、プレ近代国家のカテゴリーに入るのでしょう、政府の実効支配も全土に及ばず、近代国家の機能を十分に果たしていないからです。タリバンが勢力を伸ばし、「テロ支援国家」に逆戻りしてしまう危険をはらんでいます。

それゆえ「テロとの戦い」で、アフガニスタンは文字通り主戦場なのです。EU諸国がアフガン情勢をイラク情勢より深刻に受け止めている理由はそこにあります。EU諸国、とりわけドイツやフランスは、ブッシュ政権のイラク政策に批判的です。そのためイラクに軍隊を派遣することに反対してきました。その一方でアフガンには実力部隊を送って、治安の回復に全力で取り組んできました。アフガニスタンを九・一一事件の前のような、タリバンの支配にゆだねてしまえば、中央アジア全域が不安定化し、テロリズムが欧州に浸透することを懸念しています。しかし、アフガニスタンと国境を接するパキスタンでムシャラフ政権が倒れるなど、中央アジアを舞台とした情勢は混沌としてきています。

それだけに日本の役割は重いものになっています。日本は欧州諸国とは一線を画して、アフガニスタンには上部隊を派遣せず、もっぱらインド洋で多国籍軍に給油活動を続けてきました。給油活動もやめてしまえば、アメリカだけでなく欧州諸国からも批判の眼を向けられることになりましょう。

中央アジアからカスピ海を望むグルジア情勢もいよいよ目が離せなくなってきています。十九世紀に欧米列強が覇権を争った「グレート・ゲーム」が再び繰り広げられている観があります。サーカシビリ大統領に率いられたグルジア軍がまず南オセチア自治州とアブハジア自治共和国に侵攻して戦いは始まりました。ロシア軍はこれを待ち受けていたように、南オセチアを越えてグルジア各地になだれ込んでいきました。隣接する国家の主権内にある自治共和国を軍事的に支援し、分離・独立に向かわせ、その独立を承認する。こうした行為はCFE条約を支えてきた精神に反するものであり、冷戦を再び呼び戻してしまうと言わねばなりません。EU諸国はかつての主敵ソ連は消滅したと信じてヨーロッパの新しい安全保障システムを構想してきました。ところが今回のロシアのメドベージェフ・プーチン二重政権の思想と行動はそうした前提が崩れつつあることを示しています。グルジア紛争の本質はまさにこの一点にあります。

グルジア紛争は「新冷戦」の始まりといわれますが、冷たい戦争なら地上戦は起こらないはずです。だが今回は、一時は熱戦が戦われたのです。メドベージェフ・プーチン二重政権のロシアは、グルジアとウクライナはわが帝国の影響下にと望み、その前哨戦としてアブハジアと南オセチアを自らの勢力圏に組み込む挙に出ました。二つの地域といち早く外交関係を樹立し、これを守るためには武力行使をも辞さないとしています。グルジア紛争は、コーカサスで繰り広げられている地域紛争にとどまりません。九・一一事件後の世界秩序を揺るがす事件だといっていいのです。

EUは冷戦の終結後、一貫して東方に拡大を続けてきました。その彼方にあるのは新生ロシアでした。その意味でグルジアはウクライナと並んで「ポスト近代国家」と「近代国家」がせめぎ合う最前線に位置しています。EUがこの事態を適切に処理できなければ、「ポスト近代国家」という新たなシステムは、域内にとどまって隣接する地域には十分な浸透力を持たないことになります。EU諸国が目指した壮大な実験は、限られたものに過ぎないのか。フランスのサルコジ大統領の調停が真剣にならざるを得ないのはそれゆえです。新しいヨーロッパの命運がかかっていると言っていいでしょう。

これほど重要なグルジア情勢に、アメリカは、どうかかわっているのでしょうか。ブッシュ政権はグルジアのサーカシビリ政権を一貫して支持するという担保を与えていたフシがあります。グルジアが北京オリンピックの開会式を選んで武力行使に踏み切り、ロシア軍の反撃を招いてしまいました。サルコジ調停の内容から見て、フランスやドイツがロシアと本格的な軍事的対立を想定しているとは思えません。欧州側は、ロシアの一連の行動は認めないが、ロシアが「ポスト近代国家」と共存していく可能性はあると見ているのでしょう。

冷戦期までは、欧州諸国は伝統的な勢力均衡、つまりバランス・オブ・パワーの外交を標榜し、一方のアメリカはウィルソン流の理想主義外交に傾くことが多かったのです。ところが、冷戦後は、EU諸国は主権国家の枠を超えた理念の外交を展開し、アメリカが勢力均衡を基礎に対外関係を処理している観があります。それだけに、EU諸国はロシアと対決色を強めるアメリカと、どのように一線を画して、「ポスト近代国家」の新しいステムを根付かせることができるか、初めて真の試練にさらされているといえるでしょう。

復活する「自由と繁栄の弧」構想

―グルジア紛争はアメリカ大統領選の行方にどのような影響を与えると思われますか。

手嶋 グルジア紛争という新たな事態に指導者はどう立ち向かうか。常識的な図式では、安全保障に強いジョン・マケインに有利となるのですが、果たしてマケイン勝利に結び付くか定かではありません。確かにバラク・オバマは外交や安全保障ではさしたる経験がありません。ただ現代の戦争や紛争は、だれもが経験したことのない新しい事態のなかで生起します。にもかかわらず指導者たちは、時に「昨日の戦争」を戦いがちです。そういう時代に経験は必ずしも味方にはならないことを有権者は本能的に知っています。バラク・オバマが、グルジアという新しい舞台での国際紛争の本質を適確に見抜き、アメリカの影響力を過(あやま)たずに行使できるなら、経験不足はマイナスばかりとはいえません。ただグルジアでの危機がさらに高まるような事態となれば、即戦力としてマケインに有利になりましょう。

―日本では麻生政権が誕生しました。麻生さんが外相時代に提唱した「自由と繁栄の弧」構想をどう評価されますか。

手嶋 日本の外交にはじめて姿を表した理念なのですから、より深く検証されてしかるべきだと一貫して申し上げてきました。「自由と繁栄の弧」というのは、中央アジアから中東、そしてまさにグルジアやウクライナあたりにかけての地域を指しています。アメリカは従来、貧困と圧政のゆえに、この地域こそ国際テロリズムの温床になってきた、「不安定の弧」だと見なしてきました。

アメリカの同盟国の外相として麻生さんは、この「不安定の弧」に注目し、ここに戦後驚異的な復興を遂げた日本の政治的、経済的な資源を貼り付けることによって「自由と繁栄の孤」に変えようという壮大な構想です。その手段として、日本の経済協力・技術協力によって、この地を豊かにし、民主主義を根付かせようというものです。麻生内閣が誕生すると、この構想が何らかの形で具体的な外交に反映されることになるでしょう。日本のメディアは、こうした理念をドンと取材の対象にすえ、深い思索を通じて読者・視聴者に実像を伝えるべきでしょう。

この構想のエッセンスは、日本とヨーロッパの間に自由と繁栄の大きなブリッジを架ける、というところにあります。「ポスト近代国家」のヨーロッパと「ポスト近代国家」になる可能性を秘めた東アジアの日本が、「自由と繁栄の弧」という名のブリッジで結ばれる意義はちいさくありません。ヨーロッパは、大西洋同盟を介してアメリカと、また日本は太平洋同盟を介してアメリカと安全保障の盟約を結んでいます。アメリカとヨーロッパ、アメリカと日本の間に、「自由と繁栄の弧」という橋が新たに架けられることで、アメリカは安全保障上の安定感を増すことになるはずです。それは自由な市場を持つ日・米・欧の経済的な絆をもさらに強めることになるはずです。日本とヨーロッパの間に架かる「新アジアハイウェイ」は、アメリカのヘゲモニー(主導権)の凋落の速度を緩め、安定的な世界を維持することを暗に目指しているのです。

空洞化する日米同盟の再建が急務

―麻生さんの構想はややネオコン的な印象もあるのですが。

手嶋 新しい保守主義を掲げるアメリカのネオコンも「理念の集団」です。麻生さんの構想も理念によって立つ外交を基本に据えていますから、合い通じるところはあるのでしょう。確かに戦後の日本は、「理念」や「価値観」を前面に押し出す外交に臆病でしたから。従来の日本外交は、経済協力の分野などで黙々と実績と実利を積み上げていくというものでした。それだけに、ヨーロッパ諸国からはようやく日本の顔が見える外交として評価を得ています。

実は、あまり論じられていないのですが、「自由と繁栄の孤」に含まれる構想は、日米同盟が空洞化の兆しを見せているときだからこそ意味があるのです。「アメリカの凋落を目の当たりにして日本はどうする」といった議論をよく聞きます。ならば、日米同盟から離脱する選択肢があるのかといえば、答えは「ノー」なのです。アメリカのヘゲモニーが次第に衰微するなかで、現実的な備えは何か。これに欧州を巻き込んで「解」を探ったのが、「自由と繁栄の孤」の構想でした。

北朝鮮をテロ支援国家の指定から解除する問題で、アメリカ政府は同盟国日本の意向を無視して動きました。普天間を含む米軍基地の再編は、政府と地元沖縄の主張の違いが誤差の範囲内に収まりかけているにもかかわらず、アメリカの姿勢が固く進展していません。日米両政府の相互不信が根深いためです。アメリカ側は、もう寸分も妥協したくない、妥協したあげく裏切られるのはこりごりだ、という苦い思いを抱いています。自衛隊の次期主力戦闘機FXの選定問題が進捗していないのも、同じ理由からでしょう。主力戦闘機のような同盟にとって最もセンシティブな(敏感な)問題を扱うには、互いの信頼関係は決定的に重要です。したがって、新政権が真っ先に取り組むべき課題は、日中関係でも、北朝鮮問題でもなく、日米同盟の再建でなければならないと私は一貫して申し上げてきました。

―麻生政権になると、右派の政権だから日中関係が後戻りするのではないかという観測もあります。

手嶋 麻生さんの側に立って言うわけではありませんが、まったく根拠のない観測です。日中関係をここまで安定軌道に乗せた外交は、麻生外務大臣の時代に静かにスタートしているからです。それを誰よりもよく知っているのは交渉当事者の中国側でしょう。

具体的な例を一つだけ上げておきましょう。小泉内閣時代、靖国神社の参拝問題で日中関係が暗礁に乗り上げていたとき、ドーハで日中外相会談を久々に行って、打開策を探ったのは、当時の麻生外務大臣でした。靖国問題を打開する靖国の非宗教法人化など「麻生三提案」がひそかに示されたのもこのときでした。麻生政権になると日中関係が後戻りするなどとは、当の中国側が考えていないはずです。

(聞き手/編集部)
「潮」2008年11月号掲載

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